心のサークル(blog版)

心のサークルは、スピリチュアリズムを学べますが、オープンな初心者向です。

第153回 心のサークル報告

【と き】  2023年8月20日(日)、14時~17時

【ところ】  宮城県歯科医師会館+ZOOM

【参加者】 進行:US、記録:SK

US、ST、HM、IK、Su、Mi 、AK、SM、SN、SK   以上10名

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(1)』の読書会

 

 

今年の夏は異常に暑い! 言わずもがなでございますが、あまりにも暑すぎて言わずにはいられないのでした。最高気温35度なんて予報も当たり前の日々が7月からずっと続いています。今この原稿を書いている9月でさえ相変わらずの暑さです。(その後やっと秋の気配が・・)

 読書会集合時間は14時です。会場へ向かう炎天下の道のりに日影は少なく、目的地は果てしなく遠く感じられたのでした。太陽と地球の距離は1億4960kmもあるのに、太陽はすぐ近くで燃えているかのようでした。太陽ってすごい。

 

 そんな中、会場7名、zoom3名の仲間が集まってくれて読書会の開催です。シルバーバーチの祈りを唱え、輪読開始しました。

 

 

6章 役に立つ喜び

 

 

 「他者のために」はシルバーバーチの基本的な訓えです。不思議なことに誰かの役に立ったときは自分も嬉しいものです。利他主義とは実は自分のためなのではないかと私は思ったりしています。私はあなた、あなたは私というワンネスたる所以だからでしょうか。神の摂理は無駄のない仕組みです。ただし、気を付けるべきは逆もありきなのです。他者を攻撃したとき、それも自分に返ってくる。これも納得です。

 

 さて、「他者のため」ってどんな生き方でしょう? 

分かっているようで分かっていないかもしれません。そんな話し合いの時間になりました。

 

 

Suさんからこんな意見が…。

 

Su:今回の章は自分にとってはちょっと重かったなぁと思いました。というのは最近、そろそろ自分ファーストでもいいんじゃないかなと思っていたからです。人のために頑張ってもなかなか賛同してもらえず、今与えられている役目は手放してもいいのではないかと考えていたところでした。

 

自分ファースト。自分を大切に。

 

 Suさんのような気持ちになっている方は大勢いらっしゃるのではないでしょうか。最近のスピリチュアルリーダーは特にこの点を強調して推奨しているのでその傾向へ進んでいるように思います。

 

 「自分ファーストと利他主義は相反することなのだろうか?」とずっと考えてきました。私はシルバーバーチが自分を蔑ろにしてまで他人に尽くしなさいと言っているとは思えなかったのです。そんなはずはない……もっと自由なはずだ、…と。

 霊訓をどう読むのかは読み手によって温度差があるのだろうと思います。(それがパラレルワールドなのではないかしら?…と考察。違うかな?)。真理の探究は孤独なものなので、温度差があることは考えてみれば当然のこと。見ている世界はその人それぞれ。だから地球は面白いと言えるのかなぁ~。

 

 自分の進みたい道を選ぶことは利己的なことではなく、自己表現や自由意志の問題であり、新しい道を切り拓いていくのはむしろ素晴らしいことのように思えます。また、別の視点で考えることもできます。もしかしたら波長の法則が働いてその場から離れなさいというサインかもしれません。そうであればその流れに抗うことこそ問題。というわけで判断が難しい局面ってありますよね。

 今の自分に居心地の悪さを感じる時、その時こそ人生のテーマに触れているのかもしれません。いまこそチャンスの時。しかし、なかなか理路整然にというわけにいかないのも現実だと思います。

 

自分が果たしてどの程度の人間か、どの程度進化しているかを自分で判断することは、今のあなた方には無理なことです。判断を下す手段を持ち合わせないからです。人間は霊的視野で物を見ることができません。四六時中物的視野で物事を考えているために、判断がことごとく歪んでおります。魂への影響を推し量ることができない。そこが実はいちばん大切な点です。肉体が体験することは魂に及ぼす影響次第でその価値が決まります。魂になんの影響も及ぼさない体験は価値がありません。p110

 

 自分が一番よいと思う場所へ。たとえそれが魂の願いとは違っていたとしても、そのうち自動的に修正が働いて最終的に目的地へ導かれるような気がします。

 

例えば予期していた悟りの段階まで到達しないことがあります。するとその埋め合わせに再び地上へ戻ってくることになります。それを何度も繰り返すことがあります。そうしているうちにようやく必要な資質を身につけて大我の一部として融合していきます。p110

 

 

US:自分のことを大事にするということは皆さんすでにやっていらっしゃると思います。現世ではそれも大切です。大我よりも小我が優先されてしまうことは仕方ないことかもしれません。他人のためにという意識を掲げているということだけでいいのではないでしょうか。今生に生きていると肉体の声を聴くことも必要です。疲れたら休まなくてはならない。精神と霊と肉体のバランスが大事です。

 

 

 生きることは迷いや決断の連続。たとえ選んだ道の先で苦難に出合っても、経験してみなければ分からないことなのです。紆余曲折。霊性開発中の必要な行程を一歩一歩進んでいるだけ。がっかりせず、当たり前と思いたいです。

 

そうした叡智を身につけることは容易なことではありません。身体的、精神的、霊的苦難が伴います。この三つの要素のうちの二つが絡むことがあれば三つが全部絡むこともあります。霊性の開発は茨の道です。苦難の道を歩みつつ、あとに自分だけの懐かしい想い出の標識を残していきます。魂の巡礼の旅は孤独です。行けば行くほど孤独さを増していきます。p111

 

 

この章で感じたそれぞれの感想で会話が広がります。

 

Su:この章は大へんおもしろく読みました。自分自身が死にかけた経験があります。誰かの役に立っているという気持ちになった時に生命力を取り戻すことができました。人の役にたつということは大げさなことを想像してしまいますが、そうではないと思います。

 闘病中に”ある本”を読みました。14、5歳の女の子の本でした。彼女は小児性のガンで死を前にした時に決心します。亡くなるまで誰かのために祈ろう…と。「虐待されている子供が助け出されますように」「幽界で彷徨っている魂が救われるように」この女の子は自分が死にかけていても他者の為に祈るのだなと思い、私も祈ろうと思いました。その後、体が少し良くなってからは敷地内のごみ拾いをしました。そして家族のために自分の表情を和らげることにしました。

 

Ak:目標にする章だと思いました。輪廻自選。私たちは生まれる前に人生を選んでいるはずです。しかし、どういうことを目標に生まれてきたのかまだ見つけていません。いま祈りながら求めているところです。

 

 

SK:仏教の教えに顔施というお布施があります。笑顔は人のためになる。それがヒントになるような気がします。優しい言葉を心がける、人のためというのはそういうことなのかもしれないと思います(気を付けなければ!)。

 

US:道を歩いていても予期しない出来事に出合うことがあります。例えば誰かに道を聞かれるかもしれない。そんな風に日常の中で人のためになる機会が生まれることがあります。

 

SM:人の悪いところに注目すると物事がなかなか進まないけれど、人のいいところを見ると気持ちが前向きになり物事がスムーズになります。

 

US:嫌いな人との関係に悩むことがありますが、その人のために反対の意識で祈るという方法があります。

 

SK:それを試したことがあるのですが無理やりに反転させるのは苦しいので、その前に自分の心を整えることも必要かなと思いました。

 

US:マザーテレサが言っていましたが、すべては自分の内側にあります。

 

SK:まったくその通りですよね。すべて自分の中で調和を作りだすことができるということですね。とはいうものの、心の底からそうできるという心境に至るのは大変難しいです。何かがブロックしています。それが何なのかを突き止めて外していければいいと願います。

 

 

IK:SMさんが救急車が通るたびに中にいる人の回復を祈っているという話を聞いて、私も倣うことにしています。

 

 

このように今回の読書会では「祈る」ということが多く話されました。

「祈りには強力なパワーが秘められています。その力がどれだけ偉大かあなた方は知りません」とシルバーバーチは時々話されます。

 

 

SN:113pの文章がとても印象的でした。

 

———要するになんらかの形で人類の福祉に貢献したいと思っている人が挫折しかけた時は、必ずやその背後に霊界からの援助の手が差し伸べられるということも知っています。

 

SN:私はボランティアをやっていますが、やはり何度も挫折しかけたときがありました。万策つきた時にやったことは祈りでした。すると背後の力が働いたと感じた時がありました。だから本当だなぁと思います。

 

この話を聞きUSさんより東日本大震災の時に自宅へ津波が押し寄せてきた時の心境を話してくれました。

 

US:窓の外に見えた景色はすごい状況でした。車の中に人がいる状態で流されていたり、屋根の上に人が乗ったまま家が流されてきました。いよいよ自宅も危ないとなった時にシルバーバーチの訓えが浮かび家族のために祈りました。

 

時には万策尽き、これにて万事休すと諦めかけた、その最後の一瞬に救いの手が差し伸べられることがあります。霊的知識を授かった者は、いかなる苦境にあっても、その全生命活動の根源である霊的実相について知識が生み出す内なる冷静、不動の静寂、千万人といえども我れ行かんの気概を失うようなことがあてはなりません。p113

 

 

US:本当の祈りとは「私を神の僕にしてください」というものですが、こういう祈りもそれに繋がると思います。

 

 

災害で亡くなる人と生き残る人がいます。生まれる前にそれぞれ選んできているはずです。

 

 

地上へ誕生してくる時、魂そのものは地上でどのような人生を辿るかをあらかじめ承知しています。潜在的大我の発達にとって必要な資質を身につけるうえでそのコースがいちばん効果的であることを得心して、その大我の自由意志によって選択するのです。その意味であなた方は自分がどんな人生を生きるかを承知の上で生まれてきているのです。p109

 

その意味ではお気の毒に…などと同情する必要もなく、地上の不公平や不正に対して憤慨することもないわけです。

 

なるほどですね。そうであることを知っていればいいのですが。

 

 

ところで、最近多く耳にする「次元」とはなんでしょう?

 

私はかつて地上で何年も生活し、こちらへ来てからも(三次元の世界の数え方でいえば)何千年もの歳月を過ごしてきましたが、向上すればするほど宇宙の全機構を包括し大小あらゆる出来事を支配する大自然の摂理の見事さに驚嘆するばかりです。その結果しみじみと思い知らされていることは、知識を獲得し魂が目覚め霊的実相を悟るということは最後はみな一人でやらねばならない——自らの力でゲッセマネの園に踏み入り、そして変容の丘に登らねばならないのだということです。p112

 

 

 

US:物理学的なことではなく意識だと思います。

 

ということは霊的進化の程度ということ?

 

US :地球の波動が高くなっているので、そこに住む人間は霊性をあげていく時期ではないでしょうか。

 

 

MIさんに、波動について伺いました。

 

波動と周波数はほぼ同じです。

 

自分の声で自分の周波数を知ることができます。

 

一同:へぇ~!

 

人間関係において、それぞれの周波数で美しい和音が鳴らせれられると心地よい関係を築けますが、周波数によっては不協和音を奏でる関係もあります。そういうとき生理的に受け入れられないという現象がおきます

 

 

感情や精神状態でも波動は変わります。美しい和音の層がどんどん固まって広がっていくと地球自体の波動レベルが上がってアセンションに繋がるということもあります。

 

ネガティブな波動は暗い雲を作ります。その雲が集合体になると地域全体に霊界の光が届かない状態になる。それなので自分の波動を知ることは地域の平和に貢献することになります。

 

 

自分の声で周波数がわかるというのはちょっとびっくりしました。

楽器のチューニングに使うチューナーで自分の周波数は計れるとのことです。

 

 

人生の最高の目標が霊性の開発にあることを、ゆめ忘れてはなりません。自分の永遠の本性にとって必須のものに目を向けることです。それは人生について正しい視野と焦点をもつことになり、自分が元来不死の魂であり、一時の存在である土塊に宿って自我を表現しているにすぎないこと、心がけ一つで自分を通じて神の力が地上に顕現するという実相を悟ることになるでしょう。p116

 

 

正しい視野と焦点をもつこと。その状態に達している人にとても憧れます。私はまだまだ伸びしろたっぷりです。高次の存在たちに導きを願い今回の報告終了します。

 

 

 

 

 

 

次回 第154回 心のサークル お知らせ

 

 

【と き】  2023年 9月18日(月)、14時~17時 

【ところ】 宮城県歯科医師会館+ZOOM

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(1)』 

【持ち物】 上記書籍をご準備ください。

      <書籍が手に入らない場合はお声がけください。資料作ります。>

【参加費】 喜捨

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。

 

日常を離れた空間で、ともに学びましょう!

 

新しく参加希望の方は、本ブログコメント又は下のメール宛へご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。

【メールアドレス】 kokoronosakuru@gmail.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第152回 心のサークル報告

【と き】  2023716日(日)、14時~17

【ところ】  宮城県歯科医師会館+ZOOM

【参加者】 進行:US、記録:SK

USSTHMIKSuAKWMSK   以上8

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(1)』の読書会

 

 

3年ぶりにホーム・歯科医師会館に戻りました。

受付の方から「お帰りなさい」と笑顔で迎えていただき、戻ってきたんだなぁと改めて実感です。

この日は館全体での利用者は我らだけだったのでビルは貸し切り状態。さらにゆったり気分。やっぱり我が家はリラックスしますねー。

 

今回もSTさんは会場参加!それなのでZOOMはAKさんおひとりでした。

九州が大雨の被害があったばかりでしたがAKさんの大分市は無事だったとのこと。よかったよかった。このところいたるところで異常な自然災害が発生しています。そしてとにかく暑い! この現象は巷でよく言われている人為的なものなのでしょうか? それとも地球のデトックス、人間の営みの因果応報なのでしょうか。いつか気候は落ち着くのでしょうかねぇ? その答えはずっと後の時代に分かるのかもしれません。

 

STさんが宮崎駿さんの最新映画を観てきたそうです。

 

ST:内容はとってもスピリチュアルでした。アニメには「見えない世界」を人々の意識に浸透させる役目があるような気がしてなりません。

 

最近、YouTubeでプレアデスやシリウス、銀河連合などという宇宙存在からのメッセージが多く発信されています。光を求め、よりよい世界、精神的な向上を目指すメッセージは霊界のメッセージとそう変わらないような気がします。

 

SK:私もそう感じていました。イエスは太陽系を収めている霊団と言われていますよね。宇宙存在と霊界もきっと繋がっているのではないでしょうか。宇宙のメッセージを頻繁に耳にしていると、夜空の星は実在を伴う身近な存在になってきました。子供の頃、東京さえ遠かったのに今や焦点は宇宙。宇宙と交信ができる時代はそろそろでしょうか。

 

ワレワレハ地球人です。

 

 

 

シルバーバーチの祈りを唱え、輪読の開始です。

 

 

5章 霊的交信の難しさ

 

 

 

霊の世界では言語は使用しません。従って思念なり映像なりシンボルを霊媒に憑っている霊を通じて、あるいは直接霊媒へ伝える操作がまた大変です。これを霊視力を使ってやるとなると実に入り組んだ操作となります。p91

 

Hさんより質問。

霊界では言語は必要としない。思ったことがそのままダイレクトに通じるということは、隠しておきたいことも隠しきれないということでしょうか?

 

そーなんです! 想いが正確に伝わるのです。それはとても便利です。しかーし、私たちには隠したいこともあるわけですよね。コマッタナー。

 

先日ある霊能者の講演会へ行ってきたのですが、霊人がコンタクトしてくると、まずはオーラを読まれるのだそです。そこには自分の全てが記録されていて最初は慣れずに落ち着かなかったけれど、いまでは「はいどーぞ」と読まれるままにしているそうです。

 

人は誰しも(と思いますが)影の部分を大なり小なり持っています。その影を肉体のおかげで隠すことが出来ているわけです。そう思うと肉体はありがたいものでありますねー。

 

つまり肉体があるうちだけのこと。霊界に帰ってすべてがオープンになったとき恥ずかしくないようしっかりと今のうちに修行を積んでいきたいと思います。でもみんながそつのない人ばかりではつまらないような気もします。影があるからこその魅力というのもあるのではないでしょうか。

 

 

ところで、言語がなくても通じ合うということは、共通の概念があるということですよね?

 

歓びや悲しみの概念が一緒。愛に触れれば満たされるし、悪意には悲しみを覚える。この感覚は人間も霊界も同じってこと。当たり前のようだけど、それって真理が一緒だからということですよね。つまり根本は一緒という証拠ではないでしょうか? たとえば愛は共通言語。霊人とも宇宙人とも分かり合える共通した感覚。善、悪、美、哀、慈なども……。テレパシーでこれらが伝わって共感できるなら、どんな存在とも交流可能ということですね。

 

Q:もしかしたら植物や動物とも分かり合える?

 

US:はい、それがワンネスでしょう。

 

Su:言葉をもたない赤ちゃんが集まったとします。各国の赤ちゃんを集めたとしても彼らのコミュニケーションになんの問題もありませんよね。

 

たしかにそうですね!

 

Su:2歳位の子供たちを考えても、言葉が通じなくても一緒に遊べそうです。なにかが共通しているということなんですよね。

 

 

雑談が続きます。

 

US:オーラにはその人の性質が顕れます。青なら理性的 赤だと情熱的。

ミディアムはオーラを視ることによってその人の人生を読み取ることができると聞いています。データのようなイメージですね。

 

 

信念の話に流れます。

 

 

私たちからお贈りできるものは霊的真理しかありません。が、それは人間を物的束縛から解き放してくれる貴重な真理です。それがなぜ恨みと不快と敵意と反撃と誤解に遭わねばならないのでしょうか。そこが私には分からないのです。いかにひいき目に見ても、敵対する人間の方が間違っております。判断力が歪められ、伝来の教えのほかにも真理があることに得心がいかないのです。p95

 

 

 

地上で真面目に宗教に取り組んでいる人たちは死後もその教えに囚われたまま、仲間同士で幽界に長い時間留まってしまう状況があるようです。そこから救済するのは至難の業だそうです。

 

 

◇信じている道がその魂にとって満足であれば宗教の世界に幽閉されていても、本人は心地よいのかもしれませんね

 

◇ならば囚われの時間は不幸というわけではないのでしょうか? 

 

◇でも間違った教え一色の世界はやはりどこか奇妙で、なんか変だぞと思い、いずれは本人も必ず気が付くのでは?

 

◇権力構造のあるピラミッド型の宗教では底辺の多くの人は不満を覚え、この状況は変だと思ってくるのでは?

 

◇人には自由意志を行使したいという本能があるので、その欲求が気付きを誘発すると思います。

 

◇つまり、真理から離れると必ず気づくタイミングが現れるということですね。それが段階というものでしょうか。

 

 

宗教に限らず「信念」というのは厄介な存在になる場合が往々にしてあります。

その信念以外は認めない。囚われになるからです。

 

 

心のサークルも言われてみればスピリチュアリズムという信念を持っています。私たちも気を付けなければなりません。

でも、シルバーバーチの霊訓がもし間違っていたとして何か困ることがあるでしょうか?

 

例えば、見えない世界があること、人には自由意志があること、霊的進化を目的としているという信念。これがもし間違っていたら?

 

ST:スピリチュアリズムはそもそも制限をとっぱらいましょうという性質なので、このまま信じていて、結果間違っていたとしても困らないですね。

 

SK:そうですよね。たとえば死後の世界があるという信念ですが、もし実際、死後が無になったとしても、どうということはありません。無になった後、なんだよー「無」じゃねーか! と毒づくことも「無」であればできないわけですから。

 

 ST:スピリチュアリズムは自由そのもの。例えば何かを失ってもそこに意味を見いだしますし、変化も受け入れます。苦難も霊的にみれば気づきのチャンスと捉えます。流れに感謝して生きましょうという信念なのですから、元々なんでもありなわけです。宗教でも、家庭でも、制限されると窮屈ですよねー。

 

ところで、利他主義はどうでしょう? 

 

SK:利他が誤解されるのはそれを自己犠牲とか我慢という風に捉えるからじゃないでしょうか。利他主義は強制や義務ではないと思います。自由意志というか、欲求のような気がします。

 

するとこんな素敵な意見が寄せられました。

 

利他主義とは霊的な本能ではないでしょうか。     

思考でも倫理感でもない。自然に発するもの。それが利他だった、というのが利他主義の姿じゃないでしょうか? 

 

なるほど!そうですね。すごく納得です。

たしかに理屈で動いているうちはまだまだエゴかもしれません。

 

そこのところをシルバーバーチは次の一文でこう語っています。

 

霊の世界からこうして地上へ戻ってくるそもそもの目的は、人間の注意を霊的実在へと向けさせることにあります。ただそれだけのことです。地上世界の出来事に知らぬふりをしようと思えばできないことはありません。別段地上とのかかわりを強制される謂れはないのです。また人間側にはわれわれに対して援助を強要する手段はなにもないはずです。ですから私たちの尽力は全て自発的なものです。それは人類愛ともいうべきものに発し、援助の手を差しのべたいという願望があるからこそです。それも一種の利己主義だと言われれば、確かにそうかもしれません。愛というものは往々にして利己主義に発することが多いものです。p96

 

 

助けたいという気持ちも一種の利己主義と表現していますね。さすがの切り口! こういうところがシルバーバーチのおおらかな個性なのではないかなーと感じました。

 

使っている「単語」の議論は無意味だと思います。大事なのはその真意をどうくみ取るかという霊的センスなのではないでしょうか。

 

どう生きるか。それは自由。それぞれのベストをつくす。思いのままでよいのだと思います。

 

利他でも利己でも「真摯に生きれば」それでよいのかもしれませんね。

 

 

善のための努力が徒労に終わることは決してありません。人のためになろうとする試みが無駄に終わることはありません。善行に嫌気がさすようなことがあってはなりません。成果が表れないことに失望してはなりません。人のために役立とうとする志向は自動的にこちらの世界からの援助を呼び寄せます。決して一人であがいているのではありません。いかなる状況のもとであろうと、まわりには光り輝く大勢の霊が援助の態勢で取り囲んでおります。満腔の信頼を置き、それを頼りにすることです。p102

 

 

自分の善なる心を灯台に毎日の出来事を一つ一つ越えていければいいなと思います。感情の荒波の中で葛藤と決断の孤独な作業かもしれませんが、見えない存在がいつも側にいると信じましょう。

 

ここでホワイトイーグルの一節をご紹介。

 

一日に5分だけ心をゆったりして、自分のまわりに光り輝く存在がいてくださることを心を込めて思いなさい。

 

 

何時間も瞑想するのはなかなか難しいですが、5分なら出来そうです。忙しい脳を鎮めて霊界との通路を開けることは想像以上に大切なことだそうです。毎日家の窓を開け放ち空気を入れ替えるのと同じように、霊的な環境も整えることは確かにもっともなことです。

 

 

さて、霊的とか、霊力とはそもそも何をさしているのでしょう?

 

その霊力とは何かとなると、これがなかなか説明が困難です。物質的観点から見る限り手に触れたり目で確かめることのできないものだからです。しかし、あくまで実体のあるものです。

 

種子に目を出させ、花を咲かせ、実をつけさせ、樹木を太らせ、人間の魂を開発させる力と同じものです。

その顕現の仕方は無限です。生気を取り戻させるのもそうですし、蘇生させるものもそうですし、活気を与えるのもそうですし、再充電するのもそうですし、再興させるのもそうです。

98

 

 

霊力とは特別なことではなく、至る所に顕現しているものといってもよさそうです。私たちは霊力の中で生活しているのですね。そういう目で世界を眺めていけば、霊力の顕現が目に入ってきそうです。

 

 

霊界は肉体の世界とは比べようもないほど素晴らしいところだそうです。地上でそれを具現化できれば素敵ですね。どんな世界を体験していきましょうか。 

 

信頼に包まれている場所、仲間がいる場所、チャレンジがある場所。叡智に触れる場所、美しい植物があって、愛すべき動物がいる場所。朗らかな時間。

 

想像し続けているといつしか身近になってくるかも。思考は現実になる。そういうもののようですから・・・。

 

 

 

 

 

次回 第153回 心のサークル お知らせ

 

 

【と き】  2023年 820日(日)、14時~17時 

【ところ】 宮城県歯科医師会館+ZOOM

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(1)』 

【持ち物】 上記書籍をご準備ください。

      <書籍が手に入らない場合はお声がけください。資料作ります。>

【参加費】 喜捨

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。

 

日常を離れた空間で、ともに学びましょう!

 

新しく参加希望の方は、本ブログコメント又は下のメール宛へご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。

【メールアドレス】 kokoronosakuru@gmail.com

 

第151回 心のサークル報告

【と き】  2023年6月18日(日)、14時~17時

【ところ】  シルバーセンター+ZOOM

【参加者】 進行:US、記録:SK

US、ST、HM、IK、SN、Mi、Su、AK、SM、SK   以上10名

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(1)』の読書会

 

 

STさんが久しぶりに会場まで来てくださいました! Zoomではお会いしていましたが、会場で会えるのはやはり嬉しいです。そしてもうひと方、お久しぶりのSMさんの参加です。体調が悪いという噂を聞いていて気になっていましたが、とても顔色がよく元気そうで安心しました。

 

通信不具合でZOOMが繋がるまでバタバタすることが続いています。画面の向こう側の方々お待たせしております。スピリチュアルの現場では電気系統の邪魔がよく入ると言われています。Suさんが通うキリスト教会もそういうことがあり、この現象もそうかしら? サタンの仕業!? なんて噂をしてましたが、さて、どーでしょうかね^^ そーこーしているうちに準備完了。それでは輪読始めましょう。まずはシルバーバーチの祈りから。そして第4章です。

 

 

 

   4章 物に惑わされない生き方

 

 

 

その日その日の煩わしい雑事に追いまくられ、心配事や悩みごとを抱えた生活を送っていると、時としてあなた方は、なぜこんな目に遭わなければならないのかと思ったり、また、これもよくあることですが、気持ちの通じ合った仲だと思っていた人から冷たい態度にでられたりして、理想を求める旅路で初めて光を見た時の感激をつい忘れてしまいがちです。p68

 

 

>気持ちの通じ合った仲だと思っていた人から冷たい態度にでられたりして・・・

 

こういう日常の具体的な例が書かれているのは珍しいなぁと思いました。

各論ではなく、どんなことにも通用する基本を説いているのがシルバーバーチなのですが、些細なことで悩む私たちの実態をご存知だろうか!?などと思ったりしていましたが、ちゃんと細かいところまでみているんですね!

 

人間の悩みの多くは人間関係だとも言われています。先日、ある動画で、地球は様々な霊性の魂が集まって「和すること」が出来るかの実験場だとの発信を見ました。実験結果は「和することは無理」だったのだそうです。

 

人は深く関われば関わるほど、不和を招いてしまうような気もします。関係を大事にしたいならある程度の距離感が必要なのかもしれないと思うこの頃です。

 

それにしても急に冷たくされるって結構な大事件です。なぜ?いつ?何が?と、推理小説のようにミステリアス。でもよくあることなんですね。わたしにも身に覚えがありますが、みんな同じような経験をしてるんだなぁと妙なところで感心しました。

 

肉体という物質の牢に閉じ込められ、意識を制限された状態で物的生活を送っているあなた方には霊と心と身体の関係について明確な理解を持つことは不可能です。気苦労の絶え間がありません。身体の要求を満たしてやらねばなりません。そうした息つく暇もない生活の中であなた方はつい意識の焦点をはずし、支援しようとして待機している背後霊の存在を忘れがちです。P68

 

瞑想が大事だと多くのリーダーたちは口をそろえて言います。それが背後霊との繋がりを強固にしてくれるのだと。しかし、一番背後霊との繋がりを求めているときは、心に不安が渦巻いているときなので、心の集中はとても難しいなぁと思う最近です。

 

 

霊は全生命の創造力であるからこそじっとしていることができず、どこかに新しい捌け口を求め、従って満足することがないのです。何も霊媒現象を通して働くばかりが霊力のではありません。芸術家を通して、哲学者を通して、あるいは科学者を通しても発現することができます。要するにあなた方自身の霊的自覚を深める行為、あなた方より恵まれない人々に何か役に立つ仕事に携わることです。看板はなんであってもかまいません、かかわる宗教、政治、芸術、経済がいかなる主義・主張を掲げようと問題ではありません。実際に行う無私の施しが進化を決定づけるのです。P81

 

 

Miさんからのシェア。

霊媒能力を身につけたい、最近少し視えるようになってきました」という話をみなさんからよくされるのですが、霊力は視えることだけではないと思います。本当はすべての人に霊力があり、普段の生活の中で霊力を発揮することができます。芸術家や科学者の仕事を通じてでももちろんですが、トイレ掃除でも霊力は現れると思います。

 

 

トイレ掃除を例に挙げられましたが、このいかにもの日常の仕事の中で霊力を発揮できるとはどういうことでしょうと伺ったところ、こういう例えなら分かっていただけるでしょうか、と続けて話されました。

 

東日本大震災の時に困ったこととしてトイレの問題があったと思います。あのとき、全国の汲み取り業者の方がバキュームカーで駆けつけてきてくださっていました。あまり報道されていないのは排泄の仕事に差別意識があるからだと思います。しかし、とても大切な仕事だと思います。汲み取り業者の方の「自分はこの仕事に誇りをもって携わっている」というインタビューを見ました。それを見て、汲み取りの仕事をしてくださっている人々がいるから私たちの生活が成り立っていることを認識しました。

 

あの時たくさんの業種の人々が助けに来てくださっていましたが、この事は知りませんでした。大勢の人が長い間避難所で生活し、仮設トイレを使っていました。汲み取りをしてくださることは、どんなにありがたかったことでしょう。私たち人間は必ず排泄します。臭くて汚い。でも誰かがやらないと大変なことになってしまいます。その仕事を引き受けてくださって、誇りをもってやっておられる。すごいなぁと思いました。

 

他人の為に何かをしたいと発言する私ですが、どこかに驕りがあるような気がすると思っています。いい人になりたいという自分のエゴにすぎないのではないか?と。人のために!と躍起になるのではなく、与えられた仕事を一生懸命やることをもう少し見つめた方がよいのかもしれないと思いました。そのうえで何かの奉仕をするときは、無心にできればいいなと思います。

 

霊的に成長したい、霊界を知りたいと、スピリチュアリズムを勉強していると現実世界の仕事のことを軽視しがちです。こういうお話を伺いますと日常を生きることだけでも尊いことなのではないかと思います。

 

ついこんな暴露を!

 

私は炊事は好きではないのに主婦なので40年間も家族の為に食事を作り続けています。こんなことでも霊力の発現になるんでしょうかね?

 

参加メンバーから「当たり前と思っている事でも感謝しなければなりませんねー」と労ってもらいました。そしてみなさんから拍手が・・・。照れますなぁ。ありがとうございます。私の仕事が初めて称賛された瞬間でした。まさか拍手をもらえるとは! とても意外でした。そしてちょっぴり嬉しかったです。

 

そしてこんな連想をしました。私が命を終え、霊界に戻った時、もしかしたら迎えてくれる霊人たちはこんな風に私の一生をお疲れ様と労ってくれるのかもしれない、と。この日、私の当たり前の日常に拍手をしてもらったように。

 

 

地球は完全な状態で創造されたのではありません。個々の人間も完全な状態で創造されたのではありません。完全性を潜在的に宿しているということです。その潜在的完全性が神からの霊的遺産であり、これを開発することが個人の責務ということです。それには自由意志を行使する余地が与えられています。善か悪か、利己主義か無私か、慈悲か残酷か、その選択はあなたの自由ということです。ただし忘れてならないのは、どちらの方向へ進もうと、神との縁は絶対に切れないということです。神の力とエネルギーと援助を呼び込むための手段は常に用意されています。しかしそのためには時には魂の奥の間に引きこもり、その静寂の中でできるだけ神との融合を保つことを怠ってはなりません。P84

 

 

先日、「不在という存在」(富田真人監督)という不思議なタイトルの映画を観ました。案の定とても難解でした。何を訴えたかったのか?とパンフレットを読んで合点。テーマは「神」でした。

 

「神は死んだ」。ニーチェの言葉が書かれていました。ネットで調べたところ、それは「虚無主義」なのだそうです。

映画全体が混沌としていました。混沌とは神がいない現象なのだなと改めて思いました。

 

人は神は死んだ、いないと言いながら、本当は神のいる秩序ある世界を求めているのではないかなぁとも思いました。不在という存在。矛盾する表現だけれど言い得ているとも思いました。

 

シルバーバーチは神の存在をこういいます。

 

ただし忘れてならないのは、どちらの方向へ進もうと、神との縁は絶対に切れないということです。

 

人間が神に背を向けることがあっても、神は決して人間に背を向けることはありません。P75

 

私はいままで神に背を向けたことはないと漠然と思っていました。でも、取越苦労や心配、不安の念でいっぱいになっているとき(しょっちゅうですが…)、私は神を忘れているのです。

 

でも取越苦労に苛まれながらも、やはり神はいる(神は在る)と思っています。なので私の人生に悩みはあっても混沌はないとは思えます。

 

一口に進化と言っても、そこには必ず潮の干満にも似た動きがあることを知って下さい。循環運動、周期運動、螺旋運動------こうした運動の中で進化が営まれており、表面は単調のようで内面は実に複雑です。その波間に生きるあなた方も、寄せては返す波に乗って進歩と退歩を繰り返します。物的繫栄の中にあっては霊的真理を無視し、苦難の中にあっては霊的真理を渇望します。それは人生全体を織りなすタテ糸とヨコ糸であるわけです。

もしも現在の自分に満足しはじめたら、それは退歩しはじめたことを意味します。今の自分に飽き足らず常に新しい視野を求めている時、その時こそ進歩しているのです。p81

 

 

 

 

次回 第152回 心のサークル お知らせ

 

 

【と き】  2023年 7月16日(日)、14時~17時 

【ところ】 宮城県歯科医師会館 第四会議室+ZOOM

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(1)』 

【持ち物】 上記書籍をご準備ください。

      <書籍が手に入らない場合はお声がけください。資料作ります。>

【参加費】 喜捨

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。

 

日常を離れた空間で、ともに学びましょう!

 

新しく参加希望の方は、本ブログコメント又は下のメール宛へご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。

【メールアドレス】 kokoronosakuru@gmail.com

第150回 心のサークル報告

 

【と き】  2023年5月21日(日)、14時~17時

【ところ】  中小企業活性化センター+ZOOM

【参加者】 進行:US、記録:SK

US、ST、HM、IK、WM、SN、Mi、Su、TN、KN、AK、SK   以上12名

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(1)』の読書会

 

 

 この日は会場10名+zoom2名、合計12名の参加でした。

 Miさんが山形からわざわざ仙台まで足を運んでくださったり、KNさんが見学に来てくださったり、サプライズ気分が漂よう第150回読書会です。

 KNさんは精神世界を何十年も昔から追求していらっしゃたとのことです。今でこそスピリチュアリズムは認知されつつありますが、その頃はまるで未知の領域だったのではないかと思います。見えない世界を探求する仲間が人知れず点々と存在していて、こうやってお会いできることはとても嬉しいです。

 

 最近、その点と点が繋がる機会が増えているような気がします。繋がる必要性が増してきた時代に突入してきたということなのでしょうか。

 新しい方が加わるたびに思いますが、皆さん初めてとは思えない親しみが既にあります。一度も会ったことがなくても血が繋がっているというだけで親和性を感じる親戚のように。

 

 では恒例の自己紹介から。

 

USさん:多くの人に死後の世界を知ってもらいたいと思っています。それを知ると価値観が変わるるからです。伝えることを使命としていこうと思っています。

 

SK:霊的な世界を勉強していたら言動に理性を働かせようとする意識が生まれました。自分の動機をよく考えています。

 

WM:体調を崩したことをきっかけにこの世界に入りました。霊的なことを知ることによって生きやすくなればいいなと思って勉強しています。

 

HM:気功などをしばらくやっていました。演劇や映画が好きです。

 

Su:キリスト教徒ですが精神世界にも興味が湧いてきました。この会に通うようになって1年半になります。日本の歴史、考古学なども勉強して見聞を深めていきたいと思っています。

 

IKさん:気診を勉強しています。迷いがあったときはシルバーバーチを頼りにしています。

 

SNさん:死んでも終わらないんだなと思っています。これからも学んでいきたいです。

 

TNさん:見えない世界を意識しながらそれぞれ自立した生活ができたらいいなぁと思っています。

 

KNさん:セス ラムサ プレアデスにハマったけれど、ますます現実とのギャップが広がって混乱が増していったような気がします。なぜ障害のある人のことが気になるのか? 障害のある人に助けられているのではないか? なぜこの人とこの時期に出合ったのか。もう80の数字が見えてきているが周りに自分は何を残したのか。何もないのではないか。スピリチュアルな本を読めば読むほど混乱が広がる。人は死なない。死後、意識が壊されないというのは面白いと思う。

 

Miさん:霊能者という立場で心療医療に関わっています。神主とプロの霊能者、そして、看護師としても働いています。

 

AKさん:台湾から帰ってきたばかりです。鳥山頭 ダムというのがあります。八田與市さんが作りました。そのダムのおかげで地域一帯が潤いました。その資料を見に行ってきました。輪廻、類魂について学びたいと思っています。

 

 キリスト教会で生まれ育ったというKNさんが、教会の教えに反発、自問するように疑問を話されていた自己紹介がとても印象的でした。

 父を愛しなさいってなんだ? 愛ってなんだ? 父とは?

 

 聖書にも真理のエッセンスはたくさんあると思いますが、それが一方的に押し付けられたら苦痛でしかないのだろうと思いながら。と同時に、はたして私は愛とか神についてどれだけ自分の言葉で語れるだろうか?と問いかけられているようでもありました。

 

 これは大問題です! さて、愛とはなんだ? 

 家に帰ってからじっくりと考えてみました。愛とは、与えるもの…? 愛とは 許すこと? そんなものじゃない、そんなありきたりなことでは説明が足りなすぎる!と感じます。

 

 ならば何?

 

 広大なものです。善も悪もなにもかもを包含しても壊れないもの。強力なエネルギー。太陽、宇宙・・。抽象的で答えになっていないかもしれませんが、愛とはそんなイメージでした。

 

 神とは? 

 

 霊訓の中で神は″法則である″という表現を使っています。神様には″いて″ほしいという考えだった私はその概念を理解するのに時間が掛かりましたが、今ではそれが一番しっくりきています。自動的な法則ですから誰一人取りこぼされることはありません。人間の作る法律や道徳観とは違って不変で完全なものだと理解しています。そしてもちろん愛に基づいての法則です。

分子生物学者の村上和雄先生は人間の領域を超えるものを"サムシンググレイト"という表現をお使いになっています。なるほどうまい表現だなぁ、同感!という感じもします 

 

 KNさんの疑問はとても真摯な疑問だと思います。読書会が終わってもずっと私の心に残っていて、いまも考え中です。

 

 懇談が終わり、そろそろ輪読です。

 USさんからこの会で使っている「サークル」という単語の意味の紹介がありました。

 

 サークルという単語はイギリスでは「交霊会」という意味があります。それが由来です。しかし、心のサークルには霊媒がいませんので、降霊はしていませんが、おそらくシルバーバーチ霊団のどなたかはいらっしゃっていると思います。想うことによってすぐに繋がりますから・・・。

 

 それでは祈りの言葉を唱え、輪読開始します。

 

 

 

    3章 なぜ苦しみがあるのか

 

 

 この交霊会に出席される方々が、もしも私の説く真理を聞くことによって楽な人生を送れるようになったとしたら、それは私が神から授かった使命に背いたことになります。私どもは人生の悩みや苦しみを避けて通る方法をお教えしているのではありません。それに敢然と立ち向かい、それを克服し、そしていっそう力強い人間となって下さることが私どもの真の目的なのです。p52

 

 自分には厳しくありたいと思っています、とUSさん。

 他人がどう考えようと自分はそうしていきたいと思っています。人生の旅を終えて霊界に着いたとき問われることは「地上で何をやってきましたか?」ということ。何を?には「人の為に」という枕詞がつきます。

私は大震災で死んでもおかしく無かったけれど生かされました。生かされたのなら、世の中のために自分を役立てる使命があると思っています。 

 

 仕事でも霊的な姿勢を取り入れています。儲けを考えた治療と患者さんのための治療とは一致しないことがありますが、患者さんのためということを一番の目標にしています。

 

 スピリチュアルなことと現実とのギャップをどう埋めるのかについて私も感じていた頃がありましたが、今はこの摂理でいこう、決して迷うまいと思っています。

 

 

絶対に誤ることのない霊的真理が幾つかありますが、そのうちから二つだけ紹介してみましょう。一つは、動機が純粋であれば、どんなことをしても決して被害をこうむることはないということ。もう一つは人の為にという熱意に燃える者には必ずそのチャンスが与えられるということ。この二つです。p59

 

 人の為に生きる。この価値観をシルバーバーチから教えられたとき、なるほどそうかと膝を叩きました。他人のために役立った時は充足感を感じるからです。自分を満足させることを目標にすると不足感を感じてしまうことが多いような気がします。他人の為に生きることは誰にでもできます。実に公平です。自己を犠牲にすることにならないか?という疑問には私はこう思います、充足感で自分が輝きだしたら、自分自身の生きがいも一緒に回りだすのではないか。そんなからくりがあるのではないかと推測しています。

 

滅私の態度に出るか自己中心の態度に出るかは、あなた自身の判断によって決まるということです。地上生活はその選択の連続といってよいでしょう。p54

 

 まさに毎日が選択の連続ですよね。真理を知った者の責任でしょうかねぇ。

 

人間の生活に過ちはつきものです。その過ちを改めることによって魂が成長するのです。苦難や障害に立ち向かった者が、気楽な人生を送っている者よりも大きく力強く成長していくということは、それこそ真の意味でのご利益と言わねばなりません。何もかもがうまくいき、日なたばかりを歩み、何一つ思い患うことのない人生を送っていては、魂の力は発揮されません。何かに挑戦し、苦しみ、神の全計画の一部であるところの地上という名の戦場において、魂の兵器庫の扉を開き、神の武器を持ち出すこと、それが悟りを開くということです。p57

 

 過ちを犯したならば改めればよいだけ。そうはいうものの、プライドや思い込みが邪魔をします。いつでも改められる執着のない自分でいたいと思います。

 

 

 Miさんからからはこんなお話が。

 

地上の人生はしょせん一つの長い闘いであり試練です。魂に秘められた可能性を試される戦場に身を置いているといってよいでしょう。p53

 

苦しむことを選んで生まれた魂の人生には苦しむことばかりが現れます。でも、救いは常に準備されています。たった一回の愛の出来事に出合うことによって、味わった苦しみすべてが一時に反転し必要な出来事だったと分かることは可能です。苦しみ全てが感謝に変わります。出来事が一気に反転するそんな経験を私はしたことがあります。

 

 人は愛なくして生きることはできません。憎しみだけで突っ走ることはできますが、その人生にはその結果が現れます。例えば過去の自分の罪に苦しめられ、どう償えばいいか分からずに暴れて叫ぶしかない老後を迎えたり、理解者のいない寂しさをかかえたり・・。

 

 幸せとは程遠い険しい顔をした老人を見かけることがありますが、やはり原因があっての結果なんですね。因果律の話だなと思って聴いていたのですが、この話には別の側面もあると思いました。神は誰をも見放さないはず。それらの老人たちも見放されたわけではない。後悔は罰ではないと思います。救われるための現象であり、魂はその結果をじっくりと味わっているのかもしれません。老人たちは死んで終わりゆく人ではなく、私たちと同じく学びの最中の人なのですから。 

 いつの日か必ず出来事が反転してすべてが意味のある出来事に変わる。それは今生ではないかもしれないけれど・・。

 

 地上では必ずしも正義が勝つとはかぎりません。なぜなら因果律は必ずしも地上生活中に成就されるとはかぎらないからです。ですが地上生活を超えた長い目で見れば、因果律は一分の狂いもなく働き、天秤は必ず平衡を取り戻します。霊的に見て、あなたにとって何が一番望ましいかは、あなた自身には分かりません。もしかしたら、あなたにとっていちばん嫌なことが実はあなたの祈りに対する最適の回答であることも有り得るのです。p58

 

 霊性の高い人の特徴のひとつは、他者の気持ちを思い量ることが出来ることだそうです。 手の付けられない老人。普通は近寄りたくありません。そういう人の気持ちまで思い量れる人、誰にでもできることではありません。

 

 

 霊的進化の階段を一段上がるごとにその分だけ多くの自由意志を行使することを許されます。あなたはしょせん、現在のあなたを超えることはできません。そこがあなたの限界と言えます。が同時にあなたは神の一部であることを忘れてはなりません。いかなる困難、いかなる障害もきっと克服するだけの力を秘めているのです。霊は物質に勝ります。霊はなにものにも勝ります。霊こそ全てを造り出すエッセンスです。なぜなら、霊は生命そのものであり、生命は霊そのものだからです。p65

 

 

 

 

次回 第151回 心のサークル お知らせ

 

 

【と き】  2023年 6月18日(日)、14時~17時 

【ところ】 シルバーセンター和室+ZOOM

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(1)』 

【持ち物】 上記書籍をご準備ください。

      <書籍が手に入らない場合はお声がけください。資料作ります。>

【参加費】 喜捨

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。

 

日常を離れた空間で、ともに学びましょう!

 

新しく参加希望の方は、本ブログコメント又は下のメール宛へご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。

【メールアドレス】 kokoronosakuru@gmail.com

 

 

 

 

第149回 心のサークル報告

【と き】  2023年4月16日(日)、14時~17時

【ところ】  シルバーセンター+ZOOM

【参加者】 進行:US、記録:SK

US、ST、IK、WM、SN、Su、TN、AK、SK   以上9名

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(1)』の読書会

 

 

 本ブログを愛読してくださっていたAKさんから参加希望の連絡を頂いたのは1か月前。これまでも時々コメントを寄せてくださっていたので存在は存じておりましたが、こうやってお会いできる日がくるとは! 遠く離れた九州からのご参加です。 緊急事態宣言後、外出禁止、ならばZOOM! と今ではすっかり定着した光景がこのことを可能にしました。以前、ウィルスは人類の進化に欠かせない存在でもあったということを書いたことがありますが、これもひとつのウィルスの効能?じゃないかなんて思ったりしました。     

 AKさんはブログをずっと読んでくださっていたというだけあって、心のサークルのことはなんでも知っていらっしゃり、ずっと昔からの知り合いのように会話が弾みました。初対面とは思えません。他のメンバーからも同じような感想が寄せられました。

 

 現在、この会の会員は15人くらい。それぞれいろんなルートで集まってきました。精神世界を語り合うせいか絆がとっても深いです。地上世界の貴重な仲間。AKさん、これからもよろしくお願いします。

 

 自己紹介から始まります。

 

 AKさんが、まずは私からと先陣を切ってくださり、続いてこちらのメンバーたち。

 意外なことに宮城の「亘理町」へいらっしゃったことがあるとのこと。えー!と驚いたら、震災の時にボランティアで来てくださっていたそうです。あの時は全国からたくさんの人が助けに来てくださいました。AKさんもその一人だったんですね。そういえば長崎のUHさんとの出会いも復興のお仕事でした。コロナ、大震災、どちらも歴史的には負の出来事ですが、それをきっかけに大切な新しい出会いが生まれています。

 

 

 シルバーバーチの祈りを唱え、いつものように輪読開始です。

 

 

  第2章 なぜ生まれてきたのか

 

 地上に生を享ける時、地上で何を為すべきかは魂自身はちゃんと自覚しております。何も知らずに誕生してくるのではありません。自分にとって必要な向上進化を促進するにはこういう環境でこういう身体に宿るのが最も効果的であると判断して、魂自らが選ぶのです。ただ、実際に肉体に宿ってしまうと、その肉体の鈍重さのために誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま、通常意識に上がって来ないだけの話です。(P38)

 

 ということは、私たちは日々自分に必要な出来事と遭遇している、つまり毎日霊的な生活をしているということ。今更ながらそんなふうに表現してみたら、急に視野が広くなったような気分になりました。

 私って霊的にどう? だれか教えて!とリーディングを求めたりするけれど、誰かに尋ねなくとも日常をみたらわかる!と気づいたのでした。毎日何を感じ、何を欲求しているのか、何が嬉しくて、何に苛立つのか、それこそが私、そのままなのです。何も隠されていない。誰に尋ねる必要もない。日々の自分を見つめてみれば霊的な自分も見えてきます。

 

 日常はよくある出来事ばかりで地味。でもその小さなことこそが私を作っているんだなぁと腑に落ちてしまいました。大きな達成とか、求められた何かとか、獲得した何かではなく、毎日の些細な事が私の人生。平凡だなぁ。しかし些細とはいえ、なかなか手ごわい相手であることはたしかです。幸せの青い鳥はすぐそばにいたというオチのように人生の目的はすぐそばにあるのかもしれない。毎日が霊的であり、つまりほんとは光の中にいて、チャレンジだらけ。そこでどんな恵みが与えられ、どんな障害と出くわすのか。何に気付き、何を見つけるのか。すべてのことがメッセージに思えてきます。

 

 しかし、生き抜くことだけでも大事業、それだけで十分とは満足しないのが向上心なんでしょうねぇ。自分を最大限に生かしたい。まったく同感です。 第三巻の一章(P13)にこんなことが書かれていました。

 

 霊界は実にうまく組織された世界です。各自が持って生まれた才能----地上ではそれが未開発のままで終わることが多いのですが----それが自然な発達の過程を経て成熟し、それぞれに最も相応しい仕事に自然に携わることになります。

 

 今生では自分の才能を見つけられないことは多いんですねー。どおりで燻っているわけです。でも霊界にいけば自然と発揮できる!そういうことですからそう焦らなくともいいのかしら。とにかく流れにまかせて目の前のことをひとつひとつコツコツと、、、と考えるのでした。順番を踏まないとメインまでたどり着かないのかもしれません。

 

  

 あなたがた地上の人間にとっての大きな問題点は、やむを得ないかもしれませんが、人生というものを間違った視点から観ていることです。つまりあまりにもこの世的・物質的観点からのみ人生を考えていることです。人生には確かに地上的な要素がありますが、同時に霊的なものであり、永遠に続くものなのです。その永遠なるものを地上的視野だけで眺めてはいけません。それでは十全な判断はできません。神の子には一人の例外もなく善悪ともに埋め合わせの原理が働くのですが、地上生活のみで判断しようとするとすべての要素を考慮することができなくなります。

 

 見て触ってわかる物的なことは地上の私たちにとっては「確かなもの」。霊視はできなくても物体が見えないという人はひとりもいませんから。物質、その圧倒的な存在感を考えると、人が物的に事を考えるのは当たり前かもしれません。霊的な世界を知っている私たちでさえも、ちょっとした出来事で感情的になって、雪崩のように地上的な判断しか出来なくなることはしょっちゅうです。霊界をいつも念頭において考えられるようになれば、心配や不安に悩まされるようなことはなくなるのでしょうけれど、、なかなか。

 

 

  それにしましても、12巻を読み終えから1巻を読むと、改めてこの巻のまとまりの良さに感心します。11年勉強した月日でだいぶ素地が整ったからでしょうか、よく耕かされた土に水がすーっと吸い込まれるように言葉が入ってくるような気がします。

 

 聖書に”種を蒔く人の喩え”があります。荒れ地に種を蒔いても芽はでません。きちんと耕された土地に蒔いてはじめて発芽すると書かれています。せっかちはいけませんとシルバーバーチは時々言いますが”段階を経て”ということも自然の摂理なのかなぁと思います。

 

 

 「なぜ生まれてきたのか」。答えられる人はどれだけいるでしょう。この問いに理路整然と答えるのがスピリチュアリズムです。

 

 人生の目的は至って単純です。霊の世界から物質の世界へ来て、再び霊の世界へ戻った時にあなたを待ち受けている仕事と楽しみを享受する資格を身につけるために、さまざまな体験を積むということです。そのための道具としての身体をこの地上で授けてもらうというわけです。この地上があなたにとって死後の生活に備える絶好の教訓を与えてくれる場所なのです。その教訓を学ばずに終われば、地上生活は無駄になり、次の段階へ進む資格が得られないことになります。このことは地上だけでなく、私どもの霊の世界でも同じことです。(P45)

 

 

 霊的な視点で考えることができると、生き方や人生の捉え方が変わります。

 

 USさんからこんな話が。

 度重なる死別や悲しみに見舞われた人から「神はいるのか」と問われました。全力を尽くして「今は辛くてそうは思えないかもしれないけれど神はいます」 と説得した…と。

 辛い状況、どうか希望を見つけてほしい、こんなときこそ霊的な真理が力になるのだけれど、と思っても、伝えることができる相手はあまりいないと思います。この世の常識とはあまりにかけ離れているからです。死は歓ぶべきこと、苦労こそチャンス---こんな視点なのですから、いくらこちらに愛の動機があったとしても、相手に霊的な感覚がなければまるで逆効果になる危険もあります。けれどもやはり多くの人に知ってもらいたいです。

 伝道する側にも十分な知識と経験、そして高い霊性が求められると思います。その役目ができるように精進しその機会をお与えしていただけるように祈ります。

 

 

 安易な人生からは価値あるものは得られません。困難な人生からのみ得られるのです。神は決してあなた方見捨てません。見捨てるのはあなたがたの方です。あなた方が神を見捨てているのです。困難に直面した時、その神の遺産を結集し、必ず道は開けるのだという自信を持つことです。不動の信念を持てば必ず開かれます。P48

 

 

 

 自死安楽死、中絶について、どう考えるべきかについて議論がありました。

 

◇自殺はしてはいけない。これは大原則です。

◇自殺をする人生を選んで生まれてくる魂はいない。計画を途中でやめることなり、死んでからが大変な過程を踏まなければならない。

 

◇どこまでが自殺なのでしょうか。安楽死についてはさまざまな意見が寄せられました。安楽死は一種の自死なのか?難しい問題だと思いました。現代医療が人の死を人工的に操作することが可能になり、自然に死ねなくなっています。延命を拒否することや治療をしないと選ぶこと、それは自死なのか? 難しい問題です。

 

◇運を天に任せる。どうしたらよいか分からないときはそれしかないかもしれません。

 

◇死を目前にしている人に死の真理を伝えたいけれど、霊訓で理解してもらうには難しいと思います。E・キュープラーロスの「死ぬ瞬間」などがよいだろう。

◇死が近くなると人は死の世界のほうへ感覚が移っていくのではないかと思う。

 実は神の叡智の一つとして各自は地上にいる時から死後の環境に少しずつ慣れるように配慮されております。毎夜眠りに落ちて肉体が休息し、まわりの生活環境が静寂を取り戻すと、その肉体から霊体が抜け出て本来味わうべきよろこびの体験をします。(3巻P14)

 

 

 さて、最近の世界情勢ですが、地震や戦争で多くの人が犠牲になっています。世界のリーダーたちには霊的に民衆を導いてほしい。物的な視点では問題を生むだけ…と変革を求める声がありました。しかし、政治はいちばん霊的に遅れている分野というのが現実のようです。これからを担う未来の子供たちが霊的な真理をベースに生きていける新しい世界がやってきますように。

 

 シルバーバーチの霊訓を理解できる人は霊的にだいぶ進んでいる人といえるということです。「難しい、何書いているのかわからない」と言われることしょっちゅうです。簡単な言葉で書かれているのですが、そういう問題ではないようです。文章が素通りする感じなのでしょうかねぇ。

 

 霊性を悟ることは容易なことではありません。もし容易であれば価値はありません。その道に近道はありません。王道はないのです。各自が自分で努力し自分で苦労しなくてはなりません。しかし同時にそれは登るにつれて喜びの増す、素晴らしい霊的冒険でもあるのです。p49

 

 Suさんから。

 聖書とシルバーバーチは同じことを言っている、どこも矛盾しません。2000年前イエスはたとえ話で真理を伝えていますが、たとえ話じゃないと伝わらないと知っていたからだと思います。シルバーバーチは真理をストレートに伝えている。聖書を読んでシルバーバーチを読むと真理がつながります。

 

 聖書のなかに真理があることは私たちも感じています。聖書はさまざまな改ざんがあると言われてはいますが、それでもでちゃんと真理が交じっていて光を放っているのかなぁと思います。そうでなければ2000年も読み継がれていないと思います。

 

最後にシルバーバーチからのエールを抜粋。 

 

 時として人生が不公平に思えることがあります。ある人は苦労も苦痛も心配もない人生を送り、ある人は光を求めながら生涯を暗闇の中を生きているように思えることがあります。しかし、その観方は事実の反面しか見ておりません。まだまだ未知の要素があることに気づいておりません。

 私はその摂理に絶対的敬意を表します。なぜなら、神の摂理がその通りに働かなかった例を一つとして知らないからです。こちらへ来た人間が”自分は両方の世界を体験したが私は不公平な扱いを受けている”などと言えるような不当な扱いを受けている例を私は一つもしりません。神は絶対に誤りを犯しません。P47

 

 

 

 

 

次回 第150回 心のサークル お知らせ

 

 

【と き】  2023年 5月21日(日)、14時~17時 

【ところ】 中小企業活性化センター5F+ZOOM

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(1)』 

【持ち物】 上記書籍をご準備ください。

      <書籍が手に入らない場合はお声がけください。資料作ります。>

【参加費】 喜捨

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。

 日常を離れた空間で、ともに学びましょう!

新しく参加希望の方は、本ブログコメント又は下のメール宛へご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。

【メールアドレス】 kokoronosakuru@gmail.com

 

 

第148回 心のサークル報告

 

【と き】  2023年3月12日(日)、14時~17時

【ところ】  福祉プラザ+ZOOM

【参加者】 進行:US、記録:SK

US、ST、HM、WM、SN、Mi、Su、SK   以上8名

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(1)』の読書会

 

 

 会場は福祉プラザ。仙台市地下鉄五橋駅隣接のビル、10Fの会議室です。

高いというのは気持ちがいいもんですねー。窓の向こうには東北新幹線が行きかう様子。ただ眺めているだけでも気分爽快。天上界ですね。

 はじめて集まる場所だったので、メンバーから「迷子になりましたー」のLINEが入りました。「今どこー?」「こんな景色が見えるー」「あっ、見つけたー」「よかったー」のやり取りがあり、なんとか全員集合。

 しかし、次のトラブルが、、、。ZOOMが繋がらない! 右往左往して30分。繋がったけど今度は声が届かない! やり直しー。別アカウントで入らないとダメかもー。など、結局、Miさんと交信が途絶えたまま15時30分から始まりました。Miさん、ごめんなさい。

 

 

 後ろ髪を引かれる想いで、シルバーバーチの祈りの言葉が唱えられ、1章の輪読を始めました。

 

 

 

     第一章 あなたとは何か

 

 

いったいあなたとは何なんでしょう。ご存知ですか。自分だと思っておられるのは、その身体をとおして表現されている一面だけです。それは奥に控えるより大きな自分に比べればピンの先ほどのものでしかありません。

 

 こんなふうに第一章は始まります。

 自分が何者かなんて考えたこともないというのが普通ではないでしょうか? 10年前唐突にこう問われ、「自分」を定義できない自分にびっくりしたことを思い出します。同時になぜかとってもワクワクしました。よくぞ聞いてくれた!魂はこう問われることをずっと待っていたのかもしれませんね。

 これまでとはまるで違う価値観が世の中にある!未知との遭遇!そんな瞬間でした。

 

 とはいうものの、このあとすぐに覚醒し、急速に生きやすくなったか?というと、そうではありませんが、霊的視点を持ちながら生き始めたことは、判断基準が明確になり人生を整えやすくなりました。スピリチュアリズムに出合ったことは、あきらかに私の生き方を変えたと思います。

 

 霊的部分が本来のあなたなのです。霊が上であり身体は下です。霊が主人であり身体は召使なのです。霊が王様であり身体はその従僕なのです。霊はあなた全体の中の神性を帯びた部分をいうのです。

 

 つまりあなたの奥にはいわゆる”神”の属性である莫大なエネルギーの全てを未熟な形、あるいはミニチュアの形、つまり小宇宙の形で秘められているのです。その秘められた神性を開発しそれを生活の原動力とすれば、心配も不安も悩みも立ちどころに消えてしまいます。なぜなら、この世に自分の力で克服できないものは何一つ起きないことを悟るからです。その悟りを得ることこそあなた方の勤めなのです。それは容易なことではありません。

 

 さて、スピリチュアリズムと一口にいっても、宗教に宗派があるように、スピリチュアルも多少意見の違いがあります。霊媒によって導き方が違うせいかもしれません。時折その差異について議論されることがありますが、私としてはあまり違いを追求せずに、相違点はそのまま相違点として保存しておいていいのかなとも思っていました。眺める位置が違うだけであって実は同じものを見ていたという結論に達することもよくあることなので…。

 

 けれども時々ふと考え込みます。 「シルバーバーチは古いのか?」。よく言われることです。ちょっと聞いてみました。

 

USさんの答えは、こうでした。

 

 シルバーバーチを40年勉強してきました。その年月のなかで想いは確信になっています。この訓えを信じることに揺るぎがありません。人生の苦しみを乗り越えられたのはシルバーバーチの霊訓があったからこそです。体験を味わい尽くして感じてみることが大切だと考えています。悟りかたには二つの方法があります。苦しみを味わって自力で乗り越える方法と、光をあててヒーリングのようにして悟りを開く方法。それは好みの問題かもしれません。私は前者が好きです。ひとつの課題を乗り越えると次の課題が与えられます。その繰り返しで強くなるんです。今生はこの方法で生きて行こうと思います。また、カルマという観点で人生を考えなければならないこともあります。スピリチュアリズムには宗教性はありますが、どちらかというと、どう人生を生きるか——人生の処世術なのではないかと思います。

 あまりにも悲しすぎる苦難の人生に耐えきれず自死を選ぶ人がいます。その事情は本当に苦しいものだと想像できます。もし自分が同じ不幸に見舞われたら?と考えてみることがあります。しかし私はその選択はしないでしょう。スピリチュアリズムを支えにきっと回避するだろうと思います。

 

 この話を受けて、この日の朝見たTV番組を思い出しました。被災地をずっと追っていたレポートでしたが、ある民宿の女将が出ていました。津波で家族の一人を失くした辛い体験をした数年後、今度は事故で3人の家族をいっぺんに失ったと言うのです。それを語っている女将はとても明るい人でした。

 彼女は、昔お舅さんから言われた言葉を支えにしていました。嫁いだころ、夜中の2時から牡蠣の殻をむく毎日でした。こんな生活はいやだ!と嘆いていたらお舅さんが「あなたの人生を愛しなさい」と教えてくれたそうです。その言葉がいまでも自分を支えている…と。その後に押し寄せることになった苦難の人生を、その言葉で乗り越えた…と。すごい話だなぁと思いました。言葉が彼女を守っていたのです。

 

 与えられた人生を愛しなさい。深い言葉だなぁと思います。

 ”愛する”とはどういうことでしょうか。盲目でしょうか、犠牲でしょうか、服従でしょうか。もし愛をそうとしか取れなかったらそもそも続きません。彼女が理解した愛とはなんだったのでしょう。感覚ではなんとなくわかるのですが言葉にできません。言葉を探してみました。宇宙のすべてを受け入れるようなもの、悟り、利他、真実、でしょうか。愛はものすごいエネルギーだけれど、同時に「無」のような静けさもあるような気がします。

 ”苦しみ”をどう受け取るかも時折話題にあがります。

「苦しみ」は体験することに意味がある。なぜなら経験しないと「苦しみ」を本当にはわからないからです。でも、なぜわからなければならないのでしょう?それは他者の苦しみを理解できるようになるためなのではないかと私は思います。

 乗り越えられない苦難はありません。乗り越えると強さが身につきます。それが霊の報酬だといいます。強さの正体が「愛」だとしたら、苦難の経験は「愛」を強くし光を輝かせるのではないでしょうか。

 

 USさんのお話ふたたび。

 

 災害に合う、事故に合う、裏切りに合う。こういう人生は何もない人に比べて損をしている人生なのか?シルバーバーチの霊訓を読むとそうではないと理解できます。むしろ人生のテーマがはっきりと炙り出されています。物質的に考えると「損」と捉えてしまうけれど、霊的に捉えればきちんと意味があることだと教えてくれています。 どう乗り越えるのか? 各自が考えることなのでしょう。 「考える」、そのことが学びの過程なのだと思います。そして「実践する」へ進むのでしょうね。

 

 Suさんはクリスチャンです。スピリチュアリズムキリスト教に違いを感じますか?と伺ったところ、「あまり感じません。最終的にいかに霊的成長をするか、いかに神さまと繋がるかだと思っています。牧師の話を真に受けないようにしています。自分で考えて悟りたいと思っています」とのことでした。 「神道、仏教、キリスト教スピリチュアリズム、信仰の形は違えど宗教という枠組みを超えて前進する。互いに共存し尊重しあう。これもイエスの教えであり、シルバーバーチの教えにも通じますね」とのこと。

 

 本当にその通りですね。

 

 

 

 

「目覚め」という言葉をシルバーバーチはこう言っています。

 

 霊性に気づいた人は真に目覚めた人です。神性が目を覚ましたのです。それは、その人が人生が皮相的なものではなく霊という実在と結びついた豊かさを摂取できる発達段階に到達したことの指標でもあります。

 

 魂が目を覚ますと、その奥に秘められたその驚異的な威力を認識するようになります。それはこの宇宙で最も強力なエネルギーの一つなのです。その時から霊界の援助と指導とインスピレーションと知恵を授かる通路が開けます。

 

この霊的自覚が確立された時、あなたにはこの世的手段をもってしては与えることも奪うこともできないもの——盤石不動の自信と冷静さと堅忍不抜の心を所有することになります。そうなった時のあなたは、この世に何一つ真にあなたを悩ませるものはないのだーー自分は宇宙の全生命を創造した力と一体なのだ、という絶対的確信を抱くようになります。p34ー35

 

 

 知識を授かったということは、霊的に生きる責任を持ったとシルバーバーチは言います。厳格さを課されたようにも感じますが、霊的な生き方とは神性を発揮することですから、むしろ大らかさや、自由性を発揮していくことなのではないかと考えます。

 

 さて、”言葉”のについて考えてみました。一つの言葉・文脈をどう解釈するかによって同じ読み物でもまるで違う理解になっていることがあると思ったからです。人は文章を自分の読みたいように読んでいるのではないでしょうか。言葉は数字のような正確性がありません。

 

  先日友人と話していて発見したことなのですが、彼女は「謙虚」という言葉をこう捉えていました。『いいえ、私なんて全然それに値しません』と遠慮することだと思っていたそうです。それがすごく窮屈だったということを話してくれました。なんだか違うような気がしました。たとえば誰かが褒めてくれたら、その人のその言葉を素直に受け取ることが謙虚ではないかしらと応えたところ、彼女が「そう考えたことはなかった。そうか!」と喜んでくれました。解釈が違うとまるで反対の訓えになってしまうのです。

 

 相変わらず毎日いろんな心の動きがあります。何のために私たちは生まれてきたのでしょうか。まさにこの毎日を生きるため。霊性を高めるために降りてきた地上。ここで悟りを見つけるために。

 

 

その悟りを得ることこそあなた方の勤めなのです。それは容易なことではありません。

 

 

 

 

 

次回 第149回 心のサークル お知らせ

 

 

【と き】  2023年 4月16日(日)、14時~17時 

【ところ】 シルバーセンター+ZOOM

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(1)』 

【持ち物】 上記書籍をご準備ください。

      <書籍が手に入らない場合はお声がけください。資料作ります。>

【参加費】 喜捨

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。

 日常を離れた空間で、ともに学びましょう!

新しく参加希望の方は、本ブログコメント又は下のメール宛へご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。

【メールアドレス】 kokoronosakuru@gmail.com

 

第147回 心のサークル報告

【と き】  2023年2月23日(日)、14時~17時

【ところ】  戦災復興記念館+ZOOM

【参加者】 進行:US、記録:SK

US、ST、TN、HM、WM、UC、Mi、Su、SK   以上9名

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(1)』の読書会

 

 

11年の時を経て、ふたたびシルバーバーチの霊訓 第一巻に戻りました。

年が明けたお正月のように、のんびりした気持ちです。

 

「次の12巻達成の頃はどうしていますかね~? 現世ではなく霊界から参加ってことになっているかもしれませんねー」とUSさん。

あはは・・。笑えるような笑えないような…。たしかに微妙といえば微妙。

神の導きのままに^^ ゆっくりのんびりいきましょう。

2巡目は実践へと意識を向けていきたいものです。

 

それでは、いつものとおりUSさんがシルバーバーチの祈りを唱え、輪読開始です。

 

 

 シルバーバーチ・シリーズの刊行に当たって 、まえがき

 

忠実に1ページから読み始めました。

(1巡目の時はこの部分は読んでいなかったかもしれないとのことです)

 

 前回、会の様子を録音してブログを書く方法を試してみたところ、とっても調子が良かったので、これからもそれを元に書くつもりでおりました。それなのに、なんと、操作ミスで録音に失敗していました! 録音に頼りすぎてメモもない。これはマズイ。青ざめる私。仕方がございません。記憶だけが頼りです。大丈夫かなぁー。

 

 ハンネンスワッハーホームサークルは50年にもわたって毎週1回(晩年は月1回)開かれていましたとのことです。結構頻繁に行われていたんですね。私たち「心のサークル」の月に一度、15年継続も中々すごいなと思うのですが、本家は(勝手に本家とよんじゃいます)だいぶマメに行われていたんだなぁと驚きます。集まる段取りをするだけでも大変なのにその安定感にびっくりです。しかも必ず高級霊シルバーバーチが現れるのですからなんという贅沢なホームサークルだったのでしょう。宇宙的な奇跡現象がイギリスの一軒の個人宅の「ホームサークル」という会合の中で50年も継続して顕現されていた。秘密の出入り口というものは、ひっそりと普通の顔をして存在するものなんですね。

 

 彼は霊媒バーバネルを完全に乗っ取ります。バーバネル本人によってその様子が書かれています。

 

 やがて私の呼吸が大きくリズミカルになり、そして鼾にも似たものになる。すると意識が薄らいでいき、まわりのことが分からなくなり、柔らかい毛布で包まれたみたいな感じになる。そしてついに”私”が消えてしまう。どこへ消えてしまうのか私にも分からない。

 

 「シルバーバーチスピークス」というタイトルでCDとなって残されていましたので私たちも聴いたことがありますが、シルバーバーチはしゃがれた声でゆっくりとしゃべります。

 

 異次元存在と人間の会話。誰もが知りたいと思っている”人類の謎”が死の向こうの世界からちゃんと回答され発信もされているのに、いまだごく一部の人々しかそのメッセージを知りません。考えてみれば不思議です。なぜ広まらないのかなぁ?  

 もし、現代にイエスキリストが降臨したら?というシミュレーションをしたときに、きっとだれも注目しないだろうという回答がありました。偉大な出来事というものはそんなものだ…と。

 

 見えない世界をたくさんの人に知ってもらいたいと願う私たちですが、その伝道のハードルは高く、不用意に発言しても信じてもらえないどころか奇異の目で見られるのがオチで、しかもそれはまだよいほうで、怒りをぶつけられることもあり、なかなか難しいものです。怪しい宗教と勘違いされるのかもしれませんね。証拠さえあればとも思いますが、その”証拠”を目の当たりにしても信じない人というのは信じないものです。

 どんな物理現象が起きようと、どんな的確なメッセージが降ろされようと、それは何かの細工だろうとか、偶然の仕業だろうと疑い続けることは、それはそれで確かに筋は通りますものね。やはり霊的な真実は受け取る準備ができない限りは受け取れないということなのだと思われます。

 

 そういう意味で霊的に目覚めるということは、大きな一歩なのかもしれません。別の視点を「獲得」するということなのかもしれません。

 

 霊的なサインがチャクラに表われる話題になりました。霊と繋がったとき、第五チャクラ(のど)に違和感が表れることがあるそうです。

それは低級な霊現象なのでしょうか?と伺ったところ、悪い現象だけとは限らない。波動の違う存在からのコンタクトとの調整の現象ではないか?とのことです。

 日常の中でのどが詰まったり、咳き込んだりした時、もしかしたら霊界が何かを伝えようとしているのかもしれません。また、自分自身の無意識が表に出ようとしているとも考えられます。そのメッセージを読み解いて大切にしてあげたいですね。また、第五チャクラは感情を司るチャクラなので、喘息などその視点でケアをしてあげると改善の助けになるとのことです。

 

 Miさんが近況報告の中で「奉仕をしたいというのがスピリチュアルですから」と話されました。施設でお仕事をされるとのこと。改めてスピリチュアルとは人の為になりたいと魂が願うことでいいんだなと再確認しました。

 

 人の役に立ったときはとても嬉しいものです。 逆に誰かを傷つけた時自分も傷つくことを体験したことはありませんか? その訳は、私とあなたが繋がっているからかしら? 自分を大切にすれば誰かを大切にすることと同じ。自分に厳しくなれば他人に厳しくなること同じ。自分を罰すれば他人を罰することと同じ。

 

 世界のどこかの扮装、暴力、貧困、病気、差別で誰かが苦しんでいたら、世界のみんながその苦しみを感じ取るのかもしれない。だから人は時折どうしようもない不安に襲われるのでしょうか。

 

編者のアンドゥーリーがシルバーバーチにこう訊ねます。

 

私が今なお理解できないのはこの世に不可抗力の苦難が絶えず、それが私を含めて多くの人間を神へ背を向けさせていることです。

 

シルバーバーチはこう答えます

 

苦難はなくてはならぬものです。いったい霊性の向上はどうすれば得られるのでしょう。安逸をむさぼっていて得られるでしょうか。楽でないからこそ価値があるのです。もし楽に得られるのであったら価値はありません。身についてしまえば楽に思えるでしょう。身につくまでは楽ではなかったのです。

 

仲間からこんなメールが届きました。

 

「霊訓の一部を読みました。悟りは苦しみの中から生まれる。という一文でした。」

 

 

ということで、報告終わります。次回から第一章、本文に入ります。

 

 

 

 

次回 第148回 心のサークル お知らせ

【と き】  2023年 312日(日)、14時~17時 

【ところ】 福祉プラザ+ZOOM

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(1)』 

【持ち物】 上記書籍をご準備ください。

      <書籍が手に入らない場合はお声がけください。資料作ります。>

【参加費】 喜捨

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。

 日常を離れた空間で、ともに学びましょう!

新しく参加希望の方は、本ブログコメント又は下のメール宛へご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。

【メールアドレス】 kokoronosakuru@gmail.com