心のサークル(blog版)

心のサークルは、スピリチュアリズムを学べますが、オープンな初心者向です。

第148回 心のサークル報告

 

【と き】  2023年3月12日(日)、14時~17時

【ところ】  福祉プラザ+ZOOM

【参加者】 進行:US、記録:SK

US、ST、HM、WM、SN、Mi、Su、SK   以上8名

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(1)』の読書会

 

 

 会場は福祉プラザ。仙台市地下鉄五橋駅隣接のビル、10Fの会議室です。

高いというのは気持ちがいいもんですねー。窓の向こうには東北新幹線が行きかう様子。ただ眺めているだけでも気分爽快。天上界ですね。

 はじめて集まる場所だったので、メンバーから「迷子になりましたー」のLINEが入りました。「今どこー?」「こんな景色が見えるー」「あっ、見つけたー」「よかったー」のやり取りがあり、なんとか全員集合。

 しかし、次のトラブルが、、、。ZOOMが繋がらない! 右往左往して30分。繋がったけど今度は声が届かない! やり直しー。別アカウントで入らないとダメかもー。など、結局、Miさんと交信が途絶えたまま15時30分から始まりました。Miさん、ごめんなさい。

 

 

 後ろ髪を引かれる想いで、シルバーバーチの祈りの言葉が唱えられ、1章の輪読を始めました。

 

 

 

     第一章 あなたとは何か

 

 

いったいあなたとは何なんでしょう。ご存知ですか。自分だと思っておられるのは、その身体をとおして表現されている一面だけです。それは奥に控えるより大きな自分に比べればピンの先ほどのものでしかありません。

 

 こんなふうに第一章は始まります。

 自分が何者かなんて考えたこともないというのが普通ではないでしょうか? 10年前唐突にこう問われ、「自分」を定義できない自分にびっくりしたことを思い出します。同時になぜかとってもワクワクしました。よくぞ聞いてくれた!魂はこう問われることをずっと待っていたのかもしれませんね。

 これまでとはまるで違う価値観が世の中にある!未知との遭遇!そんな瞬間でした。

 

 とはいうものの、このあとすぐに覚醒し、急速に生きやすくなったか?というと、そうではありませんが、霊的視点を持ちながら生き始めたことは、判断基準が明確になり人生を整えやすくなりました。スピリチュアリズムに出合ったことは、あきらかに私の生き方を変えたと思います。

 

 霊的部分が本来のあなたなのです。霊が上であり身体は下です。霊が主人であり身体は召使なのです。霊が王様であり身体はその従僕なのです。霊はあなた全体の中の神性を帯びた部分をいうのです。

 

 つまりあなたの奥にはいわゆる”神”の属性である莫大なエネルギーの全てを未熟な形、あるいはミニチュアの形、つまり小宇宙の形で秘められているのです。その秘められた神性を開発しそれを生活の原動力とすれば、心配も不安も悩みも立ちどころに消えてしまいます。なぜなら、この世に自分の力で克服できないものは何一つ起きないことを悟るからです。その悟りを得ることこそあなた方の勤めなのです。それは容易なことではありません。

 

 さて、スピリチュアリズムと一口にいっても、宗教に宗派があるように、スピリチュアルも多少意見の違いがあります。霊媒によって導き方が違うせいかもしれません。時折その差異について議論されることがありますが、私としてはあまり違いを追求せずに、相違点はそのまま相違点として保存しておいていいのかなとも思っていました。眺める位置が違うだけであって実は同じものを見ていたという結論に達することもよくあることなので…。

 

 けれども時々ふと考え込みます。 「シルバーバーチは古いのか?」。よく言われることです。ちょっと聞いてみました。

 

USさんの答えは、こうでした。

 

 シルバーバーチを40年勉強してきました。その年月のなかで想いは確信になっています。この訓えを信じることに揺るぎがありません。人生の苦しみを乗り越えられたのはシルバーバーチの霊訓があったからこそです。体験を味わい尽くして感じてみることが大切だと考えています。悟りかたには二つの方法があります。苦しみを味わって自力で乗り越える方法と、光をあててヒーリングのようにして悟りを開く方法。それは好みの問題かもしれません。私は前者が好きです。ひとつの課題を乗り越えると次の課題が与えられます。その繰り返しで強くなるんです。今生はこの方法で生きて行こうと思います。また、カルマという観点で人生を考えなければならないこともあります。スピリチュアリズムには宗教性はありますが、どちらかというと、どう人生を生きるか——人生の処世術なのではないかと思います。

 あまりにも悲しすぎる苦難の人生に耐えきれず自死を選ぶ人がいます。その事情は本当に苦しいものだと想像できます。もし自分が同じ不幸に見舞われたら?と考えてみることがあります。しかし私はその選択はしないでしょう。スピリチュアリズムを支えにきっと回避するだろうと思います。

 

 この話を受けて、この日の朝見たTV番組を思い出しました。被災地をずっと追っていたレポートでしたが、ある民宿の女将が出ていました。津波で家族の一人を失くした辛い体験をした数年後、今度は事故で3人の家族をいっぺんに失ったと言うのです。それを語っている女将はとても明るい人でした。

 彼女は、昔お舅さんから言われた言葉を支えにしていました。嫁いだころ、夜中の2時から牡蠣の殻をむく毎日でした。こんな生活はいやだ!と嘆いていたらお舅さんが「あなたの人生を愛しなさい」と教えてくれたそうです。その言葉がいまでも自分を支えている…と。その後に押し寄せることになった苦難の人生を、その言葉で乗り越えた…と。すごい話だなぁと思いました。言葉が彼女を守っていたのです。

 

 与えられた人生を愛しなさい。深い言葉だなぁと思います。

 ”愛する”とはどういうことでしょうか。盲目でしょうか、犠牲でしょうか、服従でしょうか。もし愛をそうとしか取れなかったらそもそも続きません。彼女が理解した愛とはなんだったのでしょう。感覚ではなんとなくわかるのですが言葉にできません。言葉を探してみました。宇宙のすべてを受け入れるようなもの、悟り、利他、真実、でしょうか。愛はものすごいエネルギーだけれど、同時に「無」のような静けさもあるような気がします。

 ”苦しみ”をどう受け取るかも時折話題にあがります。

「苦しみ」は体験することに意味がある。なぜなら経験しないと「苦しみ」を本当にはわからないからです。でも、なぜわからなければならないのでしょう?それは他者の苦しみを理解できるようになるためなのではないかと私は思います。

 乗り越えられない苦難はありません。乗り越えると強さが身につきます。それが霊の報酬だといいます。強さの正体が「愛」だとしたら、苦難の経験は「愛」を強くし光を輝かせるのではないでしょうか。

 

 USさんのお話ふたたび。

 

 災害に合う、事故に合う、裏切りに合う。こういう人生は何もない人に比べて損をしている人生なのか?シルバーバーチの霊訓を読むとそうではないと理解できます。むしろ人生のテーマがはっきりと炙り出されています。物質的に考えると「損」と捉えてしまうけれど、霊的に捉えればきちんと意味があることだと教えてくれています。 どう乗り越えるのか? 各自が考えることなのでしょう。 「考える」、そのことが学びの過程なのだと思います。そして「実践する」へ進むのでしょうね。

 

 Suさんはクリスチャンです。スピリチュアリズムキリスト教に違いを感じますか?と伺ったところ、「あまり感じません。最終的にいかに霊的成長をするか、いかに神さまと繋がるかだと思っています。牧師の話を真に受けないようにしています。自分で考えて悟りたいと思っています」とのことでした。 「神道、仏教、キリスト教スピリチュアリズム、信仰の形は違えど宗教という枠組みを超えて前進する。互いに共存し尊重しあう。これもイエスの教えであり、シルバーバーチの教えにも通じますね」とのこと。

 

 本当にその通りですね。

 

 

 

 

「目覚め」という言葉をシルバーバーチはこう言っています。

 

 霊性に気づいた人は真に目覚めた人です。神性が目を覚ましたのです。それは、その人が人生が皮相的なものではなく霊という実在と結びついた豊かさを摂取できる発達段階に到達したことの指標でもあります。

 

 魂が目を覚ますと、その奥に秘められたその驚異的な威力を認識するようになります。それはこの宇宙で最も強力なエネルギーの一つなのです。その時から霊界の援助と指導とインスピレーションと知恵を授かる通路が開けます。

 

この霊的自覚が確立された時、あなたにはこの世的手段をもってしては与えることも奪うこともできないもの——盤石不動の自信と冷静さと堅忍不抜の心を所有することになります。そうなった時のあなたは、この世に何一つ真にあなたを悩ませるものはないのだーー自分は宇宙の全生命を創造した力と一体なのだ、という絶対的確信を抱くようになります。p34ー35

 

 

 知識を授かったということは、霊的に生きる責任を持ったとシルバーバーチは言います。厳格さを課されたようにも感じますが、霊的な生き方とは神性を発揮することですから、むしろ大らかさや、自由性を発揮していくことなのではないかと考えます。

 

 さて、”言葉”のについて考えてみました。一つの言葉・文脈をどう解釈するかによって同じ読み物でもまるで違う理解になっていることがあると思ったからです。人は文章を自分の読みたいように読んでいるのではないでしょうか。言葉は数字のような正確性がありません。

 

  先日友人と話していて発見したことなのですが、彼女は「謙虚」という言葉をこう捉えていました。『いいえ、私なんて全然それに値しません』と遠慮することだと思っていたそうです。それがすごく窮屈だったということを話してくれました。なんだか違うような気がしました。たとえば誰かが褒めてくれたら、その人のその言葉を素直に受け取ることが謙虚ではないかしらと応えたところ、彼女が「そう考えたことはなかった。そうか!」と喜んでくれました。解釈が違うとまるで反対の訓えになってしまうのです。

 

 相変わらず毎日いろんな心の動きがあります。何のために私たちは生まれてきたのでしょうか。まさにこの毎日を生きるため。霊性を高めるために降りてきた地上。ここで悟りを見つけるために。

 

 

その悟りを得ることこそあなた方の勤めなのです。それは容易なことではありません。

 

 

 

 

 

次回 第149回 心のサークル お知らせ

 

 

【と き】  2023年 4月16日(日)、14時~17時 

【ところ】 シルバーセンター+ZOOM

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(1)』 

【持ち物】 上記書籍をご準備ください。

      <書籍が手に入らない場合はお声がけください。資料作ります。>

【参加費】 喜捨

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。

 日常を離れた空間で、ともに学びましょう!

新しく参加希望の方は、本ブログコメント又は下のメール宛へご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。

【メールアドレス】 kokoronosakuru@gmail.com