心のサークル(blog版)

心のサークルは、スピリチュアリズムを学べますが、オープンな初心者向です。

第146回 心のサークル報告

【と き】  2023年1月15日(日)、14時~17時

【ところ】  仙台シルバーセンター+ZOOM

【参加者】 進行:US、記録:SK

US、ST、UH、TN、HM、GS、Mi、Su、SK   以上9名

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(12)』の読書会

 

 

「いよいよ」という感じでこの日を迎えました。

心のサークルが生まれたのは2009年5月17日。発足当初はしばらくスピリチュアリズムの様々なテーマで勉強会をしていたようです。私が参加したのはその数年後。ちょうどその頃にスピリチュアリズムのバイブルとも言われる「シルバーバーチの霊訓」全12巻をみんなで輪読しましょう…との提案があり今のスタイルが始まりました。それが2012年2月です。始めた頃は12巻をすべて輪読するのはあまりに大事業すぎて「必ずやり遂げるぞ」という気負いもなく穏やかな気持ちで始めたように感じます。いつしか時が過ぎ、気が付いたら12巻までたどり着いていました。そしてついに、2023年の1月15日、すべてを読み終わったのです。

 

2012年2月から2023年1月。ちょうど丸々11年で読み終わったということでした!

 

 

本日の参加は会場組は6名、ZOOM組は3名、合計で9名の参加。そのうち当初からの参加者は代表のUSさんと、STさん、UHさん、そして私です。そのあとGSさん、HMさん、WMさん、TNさんが加わり会が大きくなって、さらに最近加入してくださったSuさん、Miさんが加入され、来てくださっています。

 

皆さんは元々精神世界についての探求歴の長い方々ばかりです。精神世界の視点で世の中の日常を眺めることのできる会。その中に混ぜていただいていること、本当に感謝しかありません。もし、この会に出合えなければスピリチュアリズムの心地よいところだけを拾い取り、その厳しさや深さゆえの美しさを知るまでには至らなかったに違いないと思います。幸運でした。背後霊が導いてくださったのだろうなぁと思います。「あなたのすぐ身の回りで働いている霊の姿をご覧になれる視力があればよいのにと思われてなりません。その背後霊団が誰であり、どんな人物であるかご覧になれたらもっと自信をもたれたことでしょう」(第二巻12章)シルバーバーチがハリーエドワーズ氏に仰っているのですが、この会の背後霊団をもし私も拝見することができたらどんなに素敵だろうと胸の奥が熱くなります。

 

さて、厳冬真っ只中、Miさんのところでは3メートルも雪が積もっている、というような気候の話をしばらくいたしまして輪読の開始です。

 

 

12章 「落ち穂集」101~136 / 訳者あとがき

 

 

一人2ページ位ずつを今日で達成なんだなぁと思って大切に読みました。声に出して読むというのは一種の祈りの儀式にも似ていると思います。私たちは、11年間、月に一度みんなでその祈りを行っていたんですね。達成という特別の日の今日はきっとシルバーバーチも来てくださっているような気もしますし、訳者の近藤先生の気配も伝わってきたような感じもしました。そう言われれば12巻の編者は近藤先生でした! 訳者あとがきを読んでいる間なんともいえない高揚感があったのはそのせいでしょうか。改めて近藤先生への感謝の気持ちが溢れてきました。近藤先生もこの12巻を書き上げている時、きっと今の私たちと同じような思いを抱いていたのではないかと思いました。私があとがきを読んでいる時、私自身はすっかり近藤先生に成り代わって読んでいるというような気持ちだったのです。でも記録していたその日の録音を聴くと普通に「私」だったので、そうか、あの高揚感は私の内だけのものだったのかなぁと思いましたが、やはり輪読がフィナーレに向かうにつれそこに流れていたエネルギーはいつもとは違ったと今でも思います。

 

11年前、第1巻「第一章」の輪読最初の読み手はUSさん。第12巻「訳者あとがき」の最後の読み手はMiさんでした。

 

US:霊訓の読書会は長年の夢でした。シルバーバーチを読んだことのない人が参加するようになったことを機に始めました。

シルバーバーチの訳者は近藤千雄先生と、もうひとり桑原啓善先生がおられます。やはり、訳者が違うと雰囲気が違いますね。輪読は約10年かかりました。さて次回からは何をやろうか、ホワイトイーグルなどもあるけれど、やはりこの会は今後もシルバーバーチの霊訓がよいだろうと思います。来月からは第1巻に戻ります。

12巻を通してシルバーバーチは同じことを何度も表現を変えて説いていますが、読者もその時によって注目する場所が違い、受け取り方も違っていて新しい発見が常にあります。

 

ダイヤモンドの輝き。まさにたくさんの面が輝く書籍なんだろうなと思います。

 

 

ひとりひとりの感想へと続きます。

 

 

SK:感慨深い会でした。長い長い共同作業の終わりを迎え、コンサートに例えるとファイナルで主催者と観客(霊界と私たち)が一体になり「ありがとう」のエールの交換が行われたような幸せな高揚感がありました。もう一つ例えれば、花火大会の最後に大玉の大連発で興奮のるつぼになる、そんな感覚がありました。

 

近藤先生のあとがきがやけに心に響きました。「最後にしっかりと言っておきますが」という親心、長く勉強をしてきた私たちに、改めて謙虚さと責任についの注意がありました。この12巻を読み終わったタイミングで書かれていることは意味深いなと思いました。

 

ところで、そのシルバーバーチの霊言の素晴らしさに触れた者が心しなければならないのは、この霊言集に盛られている真理が真理として受け入れられるか否かは、その人の霊性にとってそれが必要であるか否かによって決まることであって、その素晴らしさの分からない人のことをつまらない人、分かった人は霊性が高いといった判断を下すべきではないということである。それはシルバーバーチが何度も言っているように当人の問題である。そして受け入れた瞬間から責任が生じる。

 

この日の私にとってこの部分は癒しでもありました。おそらく私は少し浮足立っていたのだと思います。それぞれの歩みの判断をしないように。あなたはあなたの歩みで地道に進みなさいと励まされたように感じました。読む時によって目に留まる言葉は違います。乗り越えるべきことを乗り越えたら、次の課題へ移るのでしょう。

 

WMさん:実践することが大事ですと書かれていますが、どう実践したらよいかまだつかめていません。次回から第一巻に戻って読み直すので、改めて考えていきたいと思います。

 

USさんよりこの話を受けて、何度も何度も読んでいると無意識にエッセンスは入っていると思います。自然に行動に表れていると思いますよとの言葉です。

 

私たちは何か特別なことを成し遂げなければならないと焦ります。模範的な何か、手ごたえのある何かをと思いがちです。しかしそうではなく、問題は毎日の心掛けの中に実践はあるのではないでしょうか。とても地味なことなんですが、それが「自分」を建設していく石積みになるのだろうと。華々しく成し遂げたいと思います。成果が目に見えないと自分自身でさえ前進しているかどうかわからないからです。でも、本当は誰も見ていない地味なところでの歩みこそ尊いのかもしれません。誰も見てくれていない、褒美の視線さえもない、それでも迷わずにしっかりとまっすぐに進み続けることは偉大だと思います。

 

 

蔭の存在なくしては脚光を浴びる人もいないでしょう。私たちの目からみれば、人のためになされた貢献は、黙って人知れず為されたものであろうと大勢の観衆を前にして華々しく為されたものであろうと、その評価にいささかの違いもありません。(212章)

 

 

GSさん:5年ほど通ってます。価値観を共にする人たちと交わじることでエネルギー補給できてます。

 

Su:参加して1年ほどになります。それまでは(これまでも)キリスト教会に通ってましたが、心が冷めていた時期でした。シルバーバーチの霊訓を取り入れて勉強するにつれて、冷えた想いは温まりました。世の中を見る角度が広がりました。

キリスト教に対して疑問に思っていることをシルバーバーチは時々指摘してくれると思います。

 

106)あなた(キリスト今日の牧師)に理解していただきたいことは、聖書のテクストのことをうんぬんするよりも、もっともっと大切なことがあるということです。主よ主よと叫ぶ者がみんな敬虔なのではありません。神の意志を実践する者こそ敬虔なのです。それをイエスは二千年前に述べているのです。なのに今日なおあなた方は、それがいちばん大切であることをなぜ信者に説けないのでしょうか。

 

 

HMさん:シルバーバーチは他にないことを教えてくれます。最近は神観について考えていました。神とは?を正確に知ることは人間には無理とシルバーバーチも言ってたと思いますが、「神=摂理」と理解してよいと思っています。なぜ生まれてきたのかを探求しました。私たちは不完全な存在で地上で生きていることにこそ意味があって、それを体験しつくことが大事だと思います。

 

115)思念は思念の世界においては実在そのものです。が、地上においてはそれを物質でくるまないと存在が認識されないのです。肉体による束縛をまったく受けない私の世界では、思念は物質よりはるかに実感があります。思念の世界だからです。私の世界では霊の表現、または精神の表現が実在の基準になります。思念はその基本的表現の一つなのです。勘違いなさらないでいただきたいのは、地上にある限りは思念は仕事や労力活動の代用とはならないということです。強力な補助とはなっても代用とはなりません。やはり地上の仕事は五感を使って成就していくべきです。労力を使わずに思念だけで片付けようとするのは邪道です。これも正しい視野で捉えないといけません。

 

 

ここでGさんより、障害をもって生まれた人の意味はどう思われますか?という質問がありました。

 

USさん:その人自身の修行という意味もあるかと思いますが、その方と関わる周りの人々の精神的成長を促すという役目もあるのではないかと思います。肉体に障害はあっても霊性は高い。見た目ではないということです。障害を「気の毒だ」とみるのではなく、霊的な視点で接すると霊性の高さを感じることができます。

 

 

UHさん:みんなで読むということが新鮮でした。他の人の気づきを知ることによって自分の気づきにもなりました。

 

Miさん:学生のころ、障害者施設へボランティアに行って自分が助けられた経験があります。私が不登校をしていた時期でしたが、施設では誰も私を責めませんでした。自分の居場所を見つけた思いでした。救われたのです。その後、私は障害者の方々と接する仕事に携わることになりました。彼らに「カルマ」があるというような視点でみたことは一度もありません。むしろ「愛」を教わりました。課題をもって生まれた彼らに尊敬の念を覚えます。

 

障害者といっても程度はいろいろです。社会の一員として生きられるのがいいというのが理想かもしれませんが、重度の障害を背負った方々がおられます。たとえばIQが20くらいしかない。下を向いているだけが精一杯。しかし、生きる権利はある。どう生きればいいのか。無理やり社会へ参加しなければならないという健常者の考えはどうなのか? 施設の中で守られていたほうがよいという現場の厳しい声の紹介がありました。

 

隔離。人としての尊厳。難しい課題ですね。たくさんの現実があります。そんな厳しい人生で生まれ落ちた人たちの想い。下を向いているだけが精いっぱいの人の魂はぼんやりと生きているのかもしれません。その意味を私たちが知ることは今生ではわからないのだと思います。たくさんの要素が絡んでいる、ときどきシルバーバーチはそう説明することがありますね。

 

 

ST:大震災の頃から参加していますが、今の社会・コロナやウクライナの状況を見ていると、あのころ震災で大変だったけど11年前の方が平和だったような気がします。

11年を振り返るとやっぱりいろいろありました。子供たちの成長を見ているとよくわかる。幼児が青年になっていて、その成長と自分の心の成長がリンクしています。読書会に参加して心の成長を考えながら子育て出来たことはよかったです。

また、この間に家族に後天的な障害を背負ったものがいます。それまでは健常だったのに途中で障害をおってしまった当人の葛藤も見ているし、どんな気持ちになるのかも理解できる。因縁もあるかななどとも思いますが「慈愛」をもって生きるしかないと思います。また新たな10年が始まります。これからもいろんなことがあるんだろうなと思います。

 

TNさん:葛藤のある時期に精神世界に出合いました。どう生きていくかの指針を見つけた想いでした。「心のサークル」に出合ったのはだいぶ前です。それからしばらくして時期を空けて父の病状の思わしくないときUSさんに相談をさせてもらい知恵をもらいました。サークルで心の問題を語り合えることはとても大切でした。

自然と共に生きることを大事にしています。これを教えてもらったのも精神世界です。

 

119)霊はこしらえるものではありません。過去も未来もなく常に存在しております。霊としては、あなたは無始無終に存在しているのです。霊を新たにこしらえなければならなくなったことは一度もありません。無が有になる段階というものは、これまで一度もありません。生命の原動力、精髄、活力そのものである霊は、過去も未来もなく常に存在しております。霊はあらゆる生命現象が生み出されるエネルギー源です。植物も小鳥も樹木も動物も人間も、すべてそうです。霊は存在の大原動力です

 

Miさん:この会に参加してまだ1年たっていませんが、シルバーバーチの霊訓は昔から読んでいました。みなさんで読んで語り合う時間というのは大変心に響くものがありました。

 

 

以上、みなさんの意見と落ち穂集の中からそれぞれが気になったという箇所を抜き取りました。

12巻を読み終え第146回の報告を終わります。

 

2016年からブログの書き手が主に私になりました。それまではAさんが書いておられて格調高かったのに、書き手が変わって急にカジュアルになってしまいました。その後、すこしは成長した片鱗があるかもしれませんが、何書いてるんだ?というような不可解な回も交じっていて読み返すと恥ずかしいものもありますが、それも成長の軌跡ですね(苦笑)。

 

読みに来てくださっていた方へ改めて感謝いたします。これからも報告書頑張って書いていきます。

 

少しでも成長しますように。文章が上手になりますように。

 

 

136)皆さんはついぞこの私の姿をご覧になることがありませんでした。この霊媒の口を使って語る声でしか私をご存知ないわけです。しかし信じてください。私も物事を感じ、知り、そして愛することのできる実在の人間です。こちらの世界こそ実在の世界であり、地上は実在の世界ではないのです。そのことは、地上という惑星を離れるまでは理解していただけないことかもしれません。

 

 

 

次回 第147回 心のサークル お知らせ

 

 

【と き】  2023年 2月23日(木)、14時~17時 

【ところ】 戦災復興記念館+ZOOM

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(1)』 

【持ち物】 上記書籍をご準備ください。

      <書籍が手に入らない場合はお声がけください。資料作ります。>

【参加費】 喜捨

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。

 日常を離れた空間で、ともに学びましょう!

新しく参加希望の方は、本ブログコメント又は下のメール宛へご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。

【メールアドレス】 kokoronosakuru@gmail.com

 

第145回 心のサークル報告

【と き】  2022年12月18日(日)、14時~17時

【ところ】  仙台シルバーセンター+ZOOM

【参加者】 進行:US、記録:SK

US、ST、UH、TN、HM、GS、UC、Su、SK   以上8名

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(12)』の読書会

 

 

 2023年1月を迎えました! あけましておめでとうございます。

 

 ここ数年「地球はアセンションをしている」と多くのスピリチュアリストが発信しています。動画サイトを見ているとそれが世の中の常識かと思うほどの勢いです。世の中も変わったなぁと感じています(それこそがアセンション現象の一部でしょうか)。私がスピリチュアリズムに出合った頃はその認知度はまだまだ僅かで、それを語り合う仲間は全くいませんでした。意味もないしきたりや理不尽な常識、弱肉強食、あらゆる差別に封じ込まれた日常は息苦しいものでした。ある時スピリチュアリズムに出合いました。見えない世界の自由で美しい概念に触れた時、一瞬にして世界に光が差し込みました。この世に神の秩序があることを知り心がわくわくしました。誰に認められなくとも自分さえちゃんとしていれば天がきちんと見ていてくれる安心を得ました。それからもう20年ほど経ちましたが、スピリチュアリズムと切り離した生活は考えられません。真理を知らない世界で生きることはどんなに辛いことでしょう。

 

 さて新たな次元の時代は2022年から本格的に動き出したと言われています。確かに”変わった”という雰囲気はあると思うのですが、皆様はいかがお感じでしょうか? そういえば、いつもならなにかしらの後悔でモヤモヤと年を越すのですが、今年の私はそんな重い感覚がなく、これからはこんな風に在りたいと抱負を抱いたりして、いつになく前向きです。やっと花開き始めたかなぁと遅咲きのスピリチュアリストです。

 

 では2022年最後の読書会のリポートです。今回は和室がお部屋でした。

畳っていいですねーとリラックス。

シルバーバーチの祈りを唱え輪読開始です。

 

 前回の「落ち穂集」の章の残りを一気に!という予定でしたが、それでもまだ長いので今回も途中までとなりました。最後の12巻ですから、ゆっくり進めていきましょう。

 

 12章 「落ち穂集」60~100

 

(60)悲しみは魂に悟りを開かせる数ある体験の中でもとくに深甚なる意味をもつものです。それが魂の琴線にふれた時、いちばんよく魂の目を覚まさせるものです。魂は物的身体の奥深く埋もれているために、それを目覚めさせるためにはよほどの体験を必要とします。悲しみ、病気、不幸等は地上の人間にとって教訓を学ぶための大切な手段なのです。もしもその教訓が簡単に学べるものであれば、それはたいした価値のないものということになります。悲しみの極み、苦しみの極みにおいてのみ学べるものだからこそ、それを学べる段階まで来ている魂にとって深甚なる価値があると言えるのです。

 

 

「極まらないとわからない」

この日の読書会ではこの一文が特に印象的でした。確かに!と、一同大納得。

 

 これまでの人生を振り返ってみても、自分を成長させたのは、間違いなく苦しみや悲しみだなぁと思います。それらがなければ考えるきっかけがありません。次の休みはどこに行こうかとか、何を食べようかとか、そんなことばかりだったでしょう。(それはそれで幸せかもしれませんが…、そういう人生はそれを選ぶ人に任せましょうとシルバーバーチはどこかで言っておられましたね)。悲しみや苦しみはたくさんの「なぜ」を生み、人生を深く考えるきっかけになります。そのなかでも「極み」は厳しい教師ですが、夜明け前の闇のように「極み」が訪れれば夜明けは近いのかもしれません。すぐ近くには必ず光が待ち受けているような気がします。

 

 悲しみ苦しみの目的は、その体験を克服して一段と強くなり、自己実現することだと思っていたのですが、最近思うことは、強くなったその先に本当の目的があるような気がしています。悲しみや苦しみを経験して、同じ経験をしている人の気持ちを理解出来るようになるためじゃないだろうかと思うのです。なぜそう思ったかというと、献身的な守護霊の姿が心に浮かんだのです。守護霊は人間が悲しみの極みにいる時、背後で一緒に涙を流して共にいるそうです。苦難と立ち向かっている時、その人の横に立ち、手をひっぱって一緒に歩いてくれているのだそうです。そこに見えたのは「愛」でした。悲しみの体験は人を癒すまでの力を身につけるためではないだろうかと考えました。

 

(65)恐怖心は無知の産物にほかなりません。つまり知らないから怖がるのです。ですから、知識をたずさえて霊的理解の中に生きることです。取越し苦労の絶えない人は心のどこかにその無知という名の暗闇があることを示します。そこから恐怖心が湧くのです。人間が恐るべきものは恐怖心それ自体です。恐怖心は闇の産物です。霊力に不動の信念をもつ魂は恐れることを知りません。

 

 恐るべきものは”恐怖心それ自体” ほんとにそうですよね。出来事が怖いのではなく、自分が作り出した心なんですよね。ある人にとって怖いことも別の人にとったら怖くないってことはそういうことですよね。つまり自分次第。その幻想を消火すれば、怖いものはずいぶんと減るのではないでしょうか。

 

(68)地上へ誕生してくる時、魂そのものは地上でどのような人生をたどるかをあらかじめ承知しております。潜在的大我の発達にとって必要な資質を身につける上でそのコースが一番効果的であることを得心して、その大我の自由意志によって選択します。その意味であなた方は自分がどんな人生を生きるかを覚悟の上で生まれてきているのです。その人生を生き抜き、困難を克服することが、内在する資質を開発して真の自我、より大きな自分に新たな神性を付加していくことになるのです。

 

 運命を嘆いているだけだといつまでも目的が成就されません。このために生まれてきたと受け入れ覚悟すれば、そこに意義や目標が生まれて建設的な気持ちになれます。「生き抜く」という表現も使われていましたね。生きることそのことだけでも大きな意義があるのだと思いました。途中でやめてはいけないのです。いつか必ず終わりはくるのですから。

 

(93)”生”を正しい視野で捉えていただきたい。その中で”死”が果たしている役割を理解していただきたいと思います。人間はあまりに永い間、死を生の終わりと考えて、泣くこと、悲しむこと、悼むこと、嘆くことで迎えてきました。私たちは是非ともその無知——死を生の挫折、愛の終局、情愛で結ばれていた者との別れと見なす無知を取り除きたいのです。そして死とは第二の誕生であること、生の自然な過程の一つであること、人類の進化における不可欠の自然現象として神が用意したものであることを理解していただきたいのです。死ぬということは生命を失うことではなく、別の生命を得ることなのです。肉体の束縛から解放されて、痛みも不自由も制約もない自由な身となって地上での善行の報いを受け、叶えられなかった望みが叶えられる、より豊かな世界へ赴いた人のことを悲しむのは間違いです。

 

 死は新しい生命を得ること。痛みからの解放です。死こそ治癒そのものにも感じます。人間は変化を嫌います。死は肉体を失う最大の変化、受け入れるのは確かに大変です。「死ぬ瞬間」の」著者、エリザベス・キューブラー・ロスが死を「蛹から蝶になる」と表現しました。素敵な例えだなぁと思ったことを覚えています。そうはいってもやはり難題ですね。

 少なくとも私たちスピリチュアリストには永遠の命の知識があります。その時を迎えた時その知識はきっと役に立つと思います。全ての人間がそれを知り集合意識が変われば死の恐怖はなくなるでしょうかね。

 

 

(100)叡智というものは体験から生まれます。十分な体験を経て魂がそれを要求するようになった時にはじめて真理が受け入れられます。それから今度は、その知識をどうするかの段階となります。その知識を他人のために活用する義務の問題です。そうした過程は実に遅々としたものですが、人類の進化はそういう過程を経るしかないのです。

 

 社会がデジタル化へ急速に変化している中の若者たちに「今だけ、お金だけ、自分だけ」という価値観が目立つとの意見がありました。一種の個人主義なんでしょうか。ドライなのかな?なんて思いつつ考察してみると「今に集中」はそういえば大事なことです。「自分だけ」というのも他人に振り回されない「自分軸」を持って自己責任を果たせるという意味ではいいのかもしれないなどと思ったりしました。リモートワークも当たり前になり、小さいうちからデジタルに馴染んでいる世代にとって「生きる」とはどんな感じなのでしょうか。私たちとは違う世界を見ているのかもしれません。

 シルバーバーチの説く世界に感じるのは何千年もの昔から綿々と続く悠久の時間が感じられます。先人たちが一生を通して体験して得た智慧や叡智の積み重ねの歴史を感じます。そこへいくと仮想空間での体験には軽さを感じるとの意見がありました。しかし、文明の進化が極まった過渡期なのだとしたら、その時代なりの葛藤があるのだろう、なんてことも思いました。

 

 「文明」と「文化」の違いについてレクチャーがありました。文明というのはデジタル化のような技術や機械の発展を言い、文化とは人類が培ってきた精神的な活動のことをいうようです。文明は”物質”に属していて、文化は”精神”に属するんですね。

 文明の進化は目を見張るものがありますが、精神性については2000年前と今とでそれほど変わっていないと思います。もしかしたら先人の方が叡智に富んでいたかもしれません。その証拠に音楽、美術、文学、哲学、どの分野も昔のものが今でも一流です。

 

 ”よいものは残る” それはなぜかというと、よいものというのは「真理」だから、ということです。なるほどなぁととても心に残りました。真理にふれると魂が喜びます。魂は真理を見極めることができるのです。

 

 

次回 第145回 心のサークル お知らせ

 

 

【と き】  2023年 115日(日)、14時~17時 

【ところ】 シルバーセンター+ZOOM

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(12)』 

【持ち物】 上記書籍をご準備ください。

      <書籍が手に入らない場合はお声がけください。資料作ります。>

【参加費】 喜捨

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。

 日常を離れた空間で、ともに学びましょう!

新しく参加希望の方は、本ブログコメント又は下のメール宛へご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。

【メールアドレス】 kokoronosakuru@gmail.com

 

 

第144回 心のサークル報告

【と き】  2022年11月27日(日)、14時~17時

【ところ】  中小企業活性化センター来賓室+ZOOM

【参加者】 進行:US、記録:SK

US、ST、UH、WM、IM、IK、STo、IK、SK   以上9名

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(12)』の読書会

 

 

AER5階・中小企業活性化センターの来賓室に集まりました。中央に大テーブル、座り心地のよい椅子。なんかいい感じです^^ 

レギュラーメンバーの欠席が多い中、お二人のお客様がいらっしゃいました。スピリチュアルな時間を過ごしたいとのご参加です。この会を思い出してくださってありがとうございます。

 

再感染が広がっているコロナの状況について、しばらく意見交換しました。

 

息苦しいマスクをする生活がもう2年以上も続いています。

みんなよく我慢しているなぁ~。外国ではだれもしていないのにね。

「屋外ではマスク必要なし」の政府の方針が示されてさえも、頑なにマスクを外しません。調和を重んじる日本人という民族の特性なんでしょうかねぇ。しかし、そもそもマスクはほんとうに感染予防に役立っているんでしょうか……など、この話題でもやはり少数派の我々でした。

 

USさんのシルバーバーチの祈りの後みんなで輪読。12章は長いため2回に分けることにしました。

 

 

    12章 落ち穂集

 

 

ゲストのお二人に「スピリチュアリズムとは?」の紹介がありました。

 

 

スピリチュアリズムを知らない人にスピリチュアリズムをどう説明したらいいのか? 的確に説明するのは難しいことだなと思います。多くの人が当たり前だと思っている常識とは相反する概念だからです。なにから話せばいいのか、よほど自分なりに整理していないと語れませんし、相手がどれだけ許容してくださるかにもよります。

 

「人間は霊的な存在である」

スピリチュアリズムの基本ですね。これを聞いてワクワクする人ならもう私たちの仲間です! 逆に何のイメージもわかず素通りする人はまだ知る時期がきていない人なのでしょう。もっと遠いのは霊という言葉を聞いただけで怒り出す人。怒らなくてもいいじゃないですかと思うのですが、仕方ありません。そんな時は争わず静かに去る以外にないわけです。さて、霊的知識をある程度もっておられるお二人なのできっとピンときてくださったと思います。

 

言葉とは不完全なものであると日ごろ感じます。言葉が元で誤解が生まれたり、信頼関係が失われたりはよくあること。同じ本を読んでさえも言葉の理解の仕方が違うとまるで違う受け取り方をしていたことに気が付くことがあります。

 

霊能者でもあるIMさんが、「自分が覗き見た霊的な世界を言語にして相手に伝える難しさを日々感じている」と話されました。

 

すごくよくわかる!と瞬間にそう思いました。

といいますのは、このブログで報告書をまとめるだけでも四苦八苦していますから、ましてや「霊界」などという異世界、相手には見えない世界を説明するって大変だろうなと思います。価値観が似ていれば共通の言語が多くなり話しやすいのは感じますが、それでも違いを見つけることは多々あります。私たちは同じ世界で生きているつもりでいますが、案外いろいろ調整しながら関わっているんですね。

 

さて、輪読後(48)の文章についてUHさんに質問しました。まさにイメージを共有することの難しさを体験しました。

 

(48)本当を言うと魂は内部にあるとか外部にあるとかは言えません。魂とは全宇宙に偏在するものです。”意識”です。一個の身体によって束縛されるものではなく、無限の広がりをもつものです。一瞬の間に地球を一周できます。

 

 

これはどういうことなんでしょうか?

Uさんは言葉を尽くして回答してくださいましたが、三次元ではないその世界の説明は想像力をフル回転しなければなりませんでした。分かったような分からないような、とにかく「壮大である」ことがわかったと、意味不明の納得の仕方をしました。

 

当日書いたメモにはこんな文字が並んでいました

 

個性を大事にするのは人間。

魂は生きている間は肉体に束縛されているが、本来はそれを超越している存在。

自分の中に宇宙がある。

 

宇宙空間の星々が無限に広がる壮大なイメージが浮かんできたので、「魂は星と星との移動も一瞬ってことでしょうか?」と続いて質問しましたところ、どうやらこの質問が理解していない証拠だったようで、そもそも「移動」という話ではないと回答されました。あはは、そーなんですねー。と、とりあえず分かったことにして終わりにしました。

 

後日UHさんより、「あの文章は自分にとってはなんの疑問もない、あたりまえの文章だったので、それを説明してくれと言われてとても難しかった」と連絡があり、なるほど、そんな苦労をさせたのかと再度苦笑。空はなぜ青いの? 子供相談室の質問と同じことだったようです。

 

さて、「人間とは霊的存在である」ということに戻ります。

「霊」とは何でしょうか。(48)の中に「意識」という単語がありましたので、「私は意識です」、そう自分を定義してみました。すると、自分がとても大きな存在に思えてきたから不思議です。

 

急に閃きました! (48)の意味が分かったのです。

もう一度読み返してみました。ほんとだ、文章そのままってことです! 外部とか内部ではない。そうです、「私は意識」ですから。悟りを開いたかのように合点したのでした。

 

質問前はイメージが追い付いていなかったけれど、急に進化したような気持ちです。気のせいかもしれませんが…。

 

ということで、当たり前のことを言語で説明する難しさと、受け取り側の読み取る能力も影響するという一例でした。

 

 

(44)証拠、証拠とおっしゃいますが、証拠を手にすることと魂の成長とは何の関係もありません。真理を受け入れる能力は、あなたの魂が霊界のどの次元まで突入できるかによって決まります。つまり真理を悟る能力がどこまで進化したかに掛かっております。それを証拠の入手と混同してはなりません。両者は必ずしも並行して進むものではありません。死後にも生命があることを立証する立派な証拠を手にしていながら、霊的には一向に目覚めていない人がいるものです。

 

真理を悟る能力とは柔軟さや謙虚さかなぁと思います。頑なさがあると自分で壁を作ってしまうような気がします。

 

あなたの魂がどの次元まで突入できるか? 次元という概念もわかっているようで実際にはわかりませんねー。わからない存在が存在すると考えただけでも次元を旅した気分になれますが、これも気のせいかもしれません。

 

文中の「証拠」ってなにのことを指してるんでしょうね。とりあえず考察を保留しておきます。

 

 

(46)現代の啓示も過去の啓示と同一線上にあります。私たちはイエスが説いた真理を否定していませんし、そのイエスもモーゼの説いた真理を否定することはないでしょう。しかし未来の子は一段高い進化のレベルにありますから、啓示される真理も今の時代に啓示されている真理より進歩したものであらねばなりません。

 

 

今現在もぞくぞくとたくさんの啓示が出現しています。何が正しいとか間違いという視点ではなく、同一線上にあるという説明はとても納得でした。二極化で考えがちな人間にとって大切な啓示だなと思います。

 

どれもが真理である。それでいいのですね。どのレベルの真理なのか?というだけなのかもしれません。

 

 

(11)大切なことは魂に感動を覚えさせてあげることです。人間は大ていの場合、大霊から授かっている神聖の炎が小さく弱くなっております。それを大きく燃え上がらせてあげるのです。その体験の中から新たな悟りが生まれます。そういう体験をさせてあげるために特別製の聖衣がいるわけではありません。特殊な養成所に通う必要もありません。ひたすらに人の幸せを願い、少しでも霊的資質を発揮する生活を心掛け、いつでも霊力の通路として使用してもらえる態度を整えておけば、それでよいのです。

 

心が感動しないと魂は進化しない。感動とは「悟り」。

悟りは乗り越えたという体験から得るもの。

 

悟り……これが霊的真理の証拠ってやつですかね? 次回確認してみたいと思います。

 

 

(21)あなたは人間です。過ちを犯します。しくじることがあります。人間性は頑強に出来上がっていない故に、人間は常に弱みを背負って生きています。人間が人間であることの証は、欠点をもっているということです。だからこそ今あなたは地上へきているのです。

 

間違う必要性がある。なぜなら間違いから学ぶことが多いからです。人間には自由意志が与えられているゆえに正しい方を選ばずに失敗することがあります。しかし、そこに学びが用意されているわけですから、結果的に成功も失敗もどちらも正解ということになります。無駄なことはなにもない所以です。よくできているシステムですねー。ということは、私たちは結果を恐れずに思いっきり飛び込めばよいってことになりませんか? 失敗でも成功でもどっちでも実りはあるということです。

 

 

(30)治療家が苦痛を取り除いてあげることが許されるのは、それが霊的自我の目覚めへつながるからこそです。病気を治してあげることが立派な仕事であることは違いないのですが、治療家にはそれよりももっと大切な仕事があります。その病気が縁で訪れてくる人の魂を目覚めさせ、真の自我を発見させてあげることです。それに比べれば、症状がとれるというだけの治療はたいして重要ではありません。

 

「治すことにこだわったという反省がある」との体験が寄せられました。

 

ヒーラーにはずいぶんと高い目標が授けられているもんですね。患者は治ることを期待して訪ねてくるのですから、治してあげたいと思うのは当然だろうなぁと思います。真の自我を発見する結果になるかどうかについては、患者側にその意識があるかどうかが大いに関係するのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。症状を治す以外にヒーラーに求められるもの。考えてみればずいぶんと難題のような気もします。無理やり価値観を押し付けるわけにもいけませんし…。

 

視点を変えて、私たちは日常どんなことに感動するかを考えてみました。相手からの思いやりや優しさ、その人の持つ叡智、素朴さに感動します。もしかしたら霊界はヒーラーにそういうことを求めているのでしょうか。これだとしたら、ヒーラーだけに限ったことではなく私たちにもいえることだと思います。…ということはやはり自己鍛錬ということでしょうか。

 

 

 

次回 第145回 心のサークル お知らせ

 

 

【と き】  2023年 12月18日(日)、14時~17時 

【ところ】 シルバーセンター+ZOOM

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(12)』 

【持ち物】 上記書籍をご準備ください。

      <書籍が手に入らない場合はお声がけください。資料作ります。>

【参加費】 喜捨

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。

 日常を離れた空間で、ともに学びましょう!

新しく参加希望の方は、本ブログコメント又は下のメール宛へご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。

【メールアドレス】 kokoronosakuru@gmail.com

 

 

 

 

第143回 心のサークル報告

 

【と き】  2022年10月30日(日)、14時~17時

【ところ】  シルバーセンター第三研修室+zoom

【参加者】 進行:US、記録:SK

US、ST、UH、HM、WM、TN、IM、UC、SK   以上9名

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(12)』の読書会

 

 

この日、仙台では全日本大学女子駅伝が開催されていて、あちこちで道路が封鎖。それに影響されてUSさんが30分ほど遅れるとのこと。到着まで和気あいあいとおしゃべりしながら待っていました。かれこれ10年以上の長いお付き合いの皆様のおかげで、霊的な視点で日常を語り合う機会に恵まれすぎています。この世は霊的なことが当たり前になっていると錯覚してしまいそうですが、やはりまだ少数派のようです。

 

 少数派とは、”属する数が少ない方”ということですが、それが自分たち…と考えますと、改めて自分という個性を強く感じます。 私たちは希少なんですねぇ。それは素敵なことですねー。逆にそのせいで生きにくかったこともあったかもしれませんが。

 

 大多数が眺めている景色とは違う景色を眺めている希少種。少数派だと自覚すれば、世間と認識が違って当たり前と冷静に受け止められますし、その希少さに自信をもって「自分」を生きていくことは、すごく自由な感じがします。

 

 それにしても、霊的な知識を携えているということが希少なら、自分たちは案外ススンデる存在なんだなとちょっと嬉しい感じです。

 

 エヘン!笑

 

 スピリチュアル以外の話題も自由に行われています。ファッションのこととか 経済的なこととかも。それもまた嬉し楽しです。

 

 そうこうしているうちに、USさん到着。遠隔の皆様もお待たせいたしました。全員が揃いましたところで、読書会の始まりです。いつものように、シルバーバーチの祈りで場を整え輪読開始です。

 

前回の続きで11章後半を読みました。

 

 

11章 力強く生きるための叡智

 

 

 

 苦しみの体験こそが霊性を磨く。苦の哲学とも言われているシルバーバーチの霊訓ですが、共感するかどうかは自分次第。自分の考え方に合わないと思えば、別の概念、もっと気楽な考え方を選んでもそれはそれでいいわけです。でも苦難に出合った時に思うのは、経験からしか学べないことってあるなぁという実感です。

 

(73)気楽な道は前途に霊的な目標を持たない人に任せればよろしい。霊的な鍛錬とそれに伴ってもたらされる霊的な豊かさを求める者には、厳しい道が用意されます。霊的褒章は気楽な道を求める者にはもたらされません。もしそうでなかったら、その褒章は敢えて求めるほどの価値はないことになります。闘いを挑み苦しみ抜いた末に勝利を得る方が、何の挑戦課題もなく呑気に生きているよりはるかに上です。魂が自我に目覚め内在する神性が表現の機会を得るのは、必死に努力するその最中です。

 

 

 余命宣告されながらも終末医療の仕事をし続けていたお医者様の動画を紹介してもらったことがあります。彼が患者さんに向かって「一緒に頑張りましょう」と元気づけている診察の様子をみていて思ったのは、患者さんにとって同じ境遇のお医者様からの言葉はどんな処方箋よりも励ましになるだろうなということです。なぜなら彼から発せられる言葉は、経験の上に立った本当の言葉だからです。また、同じ境遇の仲間が強く生きる見本を示してくだされば、自分も頑張ろうと思えるのではないでしょうか。自分だけが苦しんでいるわけではないと知れば孤独ではなくなるからです。人は寄り添いがあるだけでとても強くなれます。(寄り添うということ、大事な意味がありそうですね)

 

 

(74)いかなる事態に立ち至ろうと、それはあなたにとっての挑戦課題として受け止めなさい。魂はその根源において神性を帯びているがゆえに、その挑戦を真正面から受け止め克服し一段と強力になって行くだけの力を秘めております。いかなる事態も歓迎し、決して悲観的なったりグチをこぼしたりしてはいけません。あなたほどの霊的知識をそなえた方ならば、毎朝の訪れを内的な喜びをもって迎えることができてしかるべきです。永遠の魂を傷つけるほどの事態は決して起こり得ないからです。

 

<あなたほどの霊的知識を備えた方ならば・・・> ストレートに言われて、ううっと、一瞬息が詰まりました。 それを言っちゃあおしまいよ、、と口上を述べたくなりますが、おっしゃる通りなわけでございまして、どーもすみませんという感じです。

 とにかく踏ん張らないといけないなぁと思うわけです。乗り越える力は持っているのです。霊性を進化させるためにそれを携え生まれてきたのですから…。

 

 

 UHさんから今取り組んでいる個人的問題のことで、こんな話をされました。

 

 「解決できると知ってはいるんです。けれどやはり大変。」

 

 霊的知識豊富なUHさんでも大変と感じることがあるんだなぁなどと思いつつ、同時に「そうか!」と気づいたことがありました。「大変」なのはみな同じなんですね。ただ乗り越え方に違いがあるということです。「解決できると知っている」という自分への信頼がポイントだと思いました。心配や取越苦労をしないことを実践されているということですね。 

 

 一生懸命挑むのみ! とてもシンプルです。 

 

 頭の中で計算することに疲れると別のことに頭を切り替えるそうです(UHさんの場合は読書とのこと。正統派を選んでおられるよう)。一時的にそれから逃れることができる。休むということも大事なんですね。

 

 問題を乗り越えたときご褒美が待っていると自分を励ます。 責任を果たすという強い意志を持つという心構えも話されました。

 

 すごく整理されているなと感じました。知識を実践するということはそういうことなんですね。取越苦労をするかしないかは霊的にどれだけ成長しているかのリトマス試験紙のようなものだと思います。

 

 取越苦労をする訳は恐怖を取り除きたいからに他ならないけれど、逆に恐怖を作り出しているような気がします。恐怖心をなくすのは難しいことではあるけれど、難しいとばかり言っていたらいつまでも同じステージですから、強い意志を持って挑むことが必要と思いました。とにかく風に向かって前へ進むのです。

 

(60)生活は”行い”だけで成り立っているのではありません。”言うこと”も”思うこと”も生活の一部です。行為だけが大事と思ってはいけません。もちろん行為が一番大事です。が、口にする言葉も心に思うことも、あなたの一部です。その思念がコントロールできずに、それに振り回されている人間が多いのは悲しいことです。

 

 行為と言葉は比較的表に出るものなので比較的コントロール可能ですが、”思うこと”については霊性がそのまま反映しているような気がします。

 

 これに関連したお話で、STさんからの近況報告はとても興味深いものでした。

STさんが所属している会で「医者が患者を治療する際に何を優先して考えるか?」という議題があり、STさんは「慈愛」を提言なさったとのことです(会のみんなからは拍手!)。でも、その会の皆さんからはちゃかされて終わったらしく、一般社会の中で「愛」という言葉は、実体のないもののように扱われるのだなぁと思いました。

 

 スピリチュアリズムでは愛にこそ実体があり、そのエネルギーは病気を治す最大の力とも思われてますが、現実ではまるで無視されているのが現状。でも、医療現場で「愛」が必要だと発信するお医者さまがいるということは素晴らしいなぁと思いました。一人が気が付くと、どこかでそれをキャッチする人が現れるという、量子もつれの現象がおきて、いつか「愛」を底辺に置きながら治療を考える医療が世界のスタンダードになったなら素敵ですね。治療方法が今とはまるで違うものになるかもしれません。

 

 

 Iさんからは、患者さんが払う「お金」の問題について意見が出されました。代替医療など、新しい医療の取り組みがあっても、そこに発生するお金は万単位になることが多く、お金持ちしか利用できない現実があるということです(そういう問題っていろんな側面でありますね)。しかし、ヒーラーも生活しなければならない現実もあり、これからの課題でしょうかね。

 

 人々全員が霊的な真理を知れば、何万円も払って他人に頼らずとも自分自身で問題を解決できるんですが、解決できるまで霊性を高めるのは至難の業。せめてこの心のサークルのように小グループの勉強会があちこちにできて、みんなで支え合うような社会になればいいなぁと思います。

 

 

 さて、冒頭で「あなたほどの霊的知識を備えた人ならば」という言葉に焦点を当てましたが、シルバーバーチはわたしたち人間が未熟な魂であることをじゅうじゅう知っておられるので、励ましの意味で言ったのだろうなと私は解釈しています。「だから頑張りなさい。大丈夫です、ちゃんと背後には霊団がついています」、という言葉がその奥にあるのだろう…と。

 

 何かに躓いたとき、自分はダメだと裁いてしまいます。けれど、「人間とは躓くものです」というシルバーバーチの言葉は励ましになります。

 

 卑屈にならなくてもよい。過ちがあるからこそ改められる。立ち向かうチャンスを与えられた。

 

 この世は心の筋トレをするトレーニングジム。課題をクリアすれば筋力が確実に付きます。事あるごとにそれを思い出し、意識して踏ん張ればきっと心は強くなれるはず。どんな自分になれるのか楽しみにしてみましょう。

 

(61)人間の生活に過ちはつきものです。その過ちを改めることによって魂が成長するのです。苦難や障害に立ち向かった者が、気楽な人生を送った者よりも大きく力強く成長していくということは、それこそ真の意味での”ご利益”と言わねばなりません。何もかもうまく行き、日向ばかり歩み、何一つ思い煩うことのない人生を送っていては、魂の力は発揮されません。何かに挑戦し、苦しみ、神の全計画の一部であるところの地上という名の戦場において、魂の兵器庫を開き神の武器を持ち出すこと、それが悟りを開くということです。

 

 

 

 

次回 第144回 心のサークル お知らせ

 

 

【と き】  2022年 1127日(日)、14時~17時 

【ところ】 中小企業活性化センター+ZOOM

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(12)』 12

【持ち物】 上記書籍をご準備ください。

      <書籍が手に入らない場合はお声がけください。資料作ります。>

【参加費】 喜捨

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。

 日常を離れた空間で、ともに学びましょう!

新しく参加希望の方は、本ブログコメント又は下のメール宛へご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。

【メールアドレス】 kokoronosakuru@gmail.com

第142回 心のサークル報告

【と き】  2022年9月19日(月祝)、14時~17時

【ところ】  シルバーセンター第三研修室+zoom

【参加者】 進行:US、記録:SK

USSTUHHMWMTNIMSuSK   以上9

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(12)』の読書会

 

大型台風が近づいていたので読書会に影響しなければいいなと思いましたが、風も雨も感じず無事に集まることができました。

 

USさんが、浄霊現場について話題にされ暫くその話をしました。

UHさんやIMさんのヒーラーとしての体験を伺いました。

 

ヒーラーのもとに訪れる人の症状が憑依なのか本人の気質の問題なのか、見分けがつかない時もあるそうです。

 

明らかな憑依の場合、物理現象がよくあるとのこと。電子機器、車やパソコンがよく壊れるそうです。そういえば他のヒーラーさんも同じことを仰っているのを聞いたことがありました。霊は(私たちもだと思いますが)電気的な存在なので電気製品に影響を及ぼすようです。理由はさておき、それは迷惑な話だろうなぁと苦笑しながら聞いてました。

 

精神病は憑依が絡んでいることが多いというのが私たちの見解です。かといって除霊をすれば解決するのかといえば、そうでもないことがやっかいです。なぜなら、憑依の原因は人間側にも大いにあり、その仕組みが”引き寄せ”にあるからです。自分と同じ波長の霊を引き寄せるので、低い波動のままでいるとまた憑依されるからです。

 

なぜ悩みが生まれるのか、それはなぜ生まれてきたのか?にも起因すると思います。「悩み」「困難」「苦難」には意味があることを知ってくれたら、乗り越え方も違ってくるのではないかなと思います。

 

生きる支えについてこんな話題が…。

 

◇ペットロスによって精神のバランスを崩され、妄想を言うようになった知人がいてどうしてあげればよいのか正直わからないというお話がありました。

 

困っている人を見かけると何とかしてあげたいと思うのが人情ですが、相手との関係性もあるので、なかなか難しい問題です。実際には何もできないことが多いようです。

 

そんなときはどうすればいいのでしょうか?

読書会時間内には思いつかなかったのですが、たったひとつだけできることがありました。

その方への霊界のサポートを祈ること。

これならできます。

 

また、こんな話題も…。

 

生活保護政策でお金をばらまいた結果、アメリカ、フィラデルフィアが酷いことになっているそうです。なぜなら、渡されたお金を人々は何に使ったかというとドラッグやギャンブルで、街は荒廃するばかりになったとか。

 

お金で人を助けることはできなかったという一例のようにも感じます。

人の幸せとはなにか? サポートとはなにか?を考えさせられる話です。

 

◇定年後にどうしたらよいかわからくなる人もいる。

 

◇自分が何をしたいのか考えてみようという提言がありました。

 

「リタイアしたあとは農業」という希望をよく聞くそうです。自然と共に生きたいという気持ちはとても共感できます。

 

 

社会に貢献したいなと常々思っていますが、なにができるのか見つかっていません。

 

人の弱さについて話していましたが、本日の読書会の章のタイトルは「力強く生きるための叡智」です。この章がたくさんの人の心に届けばいいのになぁと思います。

ではみんなで読んでいきましょう。長い章だったので2回に分けることにしました。

 

USさんがシルバーバーチの祈りを唱え輪読開始です。

 

11章 力強く生きるための叡智

 

読んでいるとどんどんと力が湧いてきます。エネルギーを充填されている感じがします———。…とそう思うのは元気な時でした。

 

ところが、苦境の最中に読むと一転してこれらが難しい注文に思えてくるのです。しかし、苦難を乗り越える唯一の道もこれのみだと思います。

 

とはいうものの、決して難題を振りかけられているわけではありません。

たんなる心構えのみに過ぎません。

 

(1)明日のことを思い煩ってはいけません。大切なのは今日です。あなたのすべきことに能力の限りを尽くしなさい。最善を尽くす——私たちはこれ以上のことは要求しません。

 

明日のことというのは、つまり幻想なんですよね。

実在は今。

幻想と闘っても所詮相手は幻想なわけですから実体がなく、それと闘ってもエネルギーを無駄に遣うだけです。

 

転ばぬ先の杖が欲しい。

取越苦労。この課題を乗り越える戦いはまだまだ続きそうです。

 

 

4)だれの人生にも道しるべが用意されております。もしも霧(心の迷い)によってそれがぼやけて、よく見えなくなった時は、いったん足を止めることです。ただの霧ですから、そのうち晴れてまた辿るべき道が見えてきます。雲にさえぎられている時でも太陽は照り輝いているのです。

 

 

毎朝、今日こそ霊的に生きるぞ!と決意しても、いつのまにか忘れて、いつものようにいろんな感情を発して一日が終わる。気が付いたときには夜。ああ、今日も相変わらずだったなぁ…みたいな繰り返しです。

 

それでも、少しずつ前よりは進歩しているような気もします。心が波立った時は俯瞰するよう命じることができたり、自分を元気づけたり。たとえ自由に心を制御できなくても、なんとか頑張ろうとしています。

 

表面は何も変わってないなぁと思っても、心の奥のところで変化が生まれているかもしれない、進化しているかもしれないと期待をこめて明日も生きていきたいと思うのでした。

 

(7)後退のやむなきに至ることはあります。が、後退するということは、そのあとの一段と大きい前進の喜びを教えてくれることでもあります。時には俗世の喧騒から身を引くことも大切です。そして内的自我に静寂をもたらすことができるようでないといけません。

 

 

静寂なる時間を持っていますか?

目の前の出来事や過去の出来事、他者の思惑、自分の気持ち。それらが頭の中をいったりきたり。計算したり、予測したり。不安になったり、立ち直ったり。良いこと、悪いこと、ずーっと何かしら考えているような気がします。心が空になることは睡眠の時ぐらいでしょうか。

 

時々街中で、ご病気なのかぶつぶつ独り言をずっと言われてる方がいます。変な人だなぁと思いますが、よく考えれば、頭に浮かんでることに蓋をせずに口に出すと、きっと全員があんな風に四六時中ぶつぶつ言っているのではないでしょうか。頭の中はいつも言葉がひしめいていますから。毎日が喧騒の中です。

 

頭の中を空にしてみたい。

これも断捨離のひとつなんでしょうかねぇ。

 

静寂を求める。

それは瞑想だろうなぁと思い続けて十数年。雑念と睡魔で断念を繰り返してますが、求められているのをひしひしと感じている状況です。

 

 

31)難題にしりごみし、真理普及の厳しい最前線から撤退していく人のことを気の毒に思ってあげなさい。もともと本物の理解ができていなかった者ならいざ知らず、一度でも魂が感動し真理の光を見た者であればなおさら気の毒なことです。私たち霊界の者にとって、正しい知識を手にした者がかくあるべきという規準にそぐわない振る舞いをする姿ほど、見るも悲しいものはありません。

 

 

「厳しい言葉」との感想がありました。霊界の宣伝マンとして生きざるを得ない、真理を知ると逃げられない。その道を進むように導かれている。そう感じておられるとのこと。

 

その意見に対して、逃げるのではなく休むのは必要じゃないか…。

バランスじゃないか?とのことです。

 

ちょっとホッとしますね。

 

霊的な生き方にごまかしは通用しないので、いつも真摯を心がけます。

たしかに気をぬけません。

 

 

50)肚をすえなさい。私がこの仕事を仰せつかった時、これが大変な仕事であること、多分それまで経験したことのない大きな挑戦課題であることを聞かされました。そして用意された計画の説明を聞かされて私は、”精一杯頑張ってみましょう”とお引き受けしました。今はどうでしょう。活字のお蔭で霊力が地球のすみずみまで行きわたっております。

 

活字のお陰で日本の私たちにまで真理が届いています。ありがたいですね。

 

 

27)私が”信仰”という用語を用いる時、それは何の根拠も論理的背景もなしに、好きなように信じるというものではありません。知識という基盤をもち、霊的実在について疑いぬいた末に生まれる確実な根拠の上に築くものであらねばなりません。

 

疑いぬいた末に…。

そういえば疑ったことありません。

 

霊的な世界があることは今や当たり前です。

なぜそう言い切っているのか考えてみました。 

 

スピリチュアリズムとの出会いは革命でした。

出会った瞬間に「真実を見つけた!」と思ったのです。

世界に秩序があったのです。

 

私たちは霊的な存在であることを知りました。

自分の存在に光が当てられました。

 

ある会合で固有名詞を使用せずに「私は誰」なのかを自己紹介しなさいと言われた時、「私は”命”です」と説明したことがあります。そう言葉を発したとき、私はとても満足しました。自分が尊い存在だと思えたからです。

 

背後霊たちの存在も知りました。

自分の心の中を共有してくれる存在がいたのです。大きな安心でした。

 

それまでは結果がすべての世界でした。そんなつもりはなかったという言い訳は通用しませんでした。けれどシルバーバーチは「大事なのは結果ではなく、動機だ」と教えてくれたのです。それはとても公平で、理にかなっていると思いました。重荷から解放された気分になりました。

 

スピリチュアリズム

誰かが作った嘘だと言ってしまえはそれまでです。私は霊界を見てきたわけでもないし、声が聞こえるわけでもありません。

 

でも、霊界があるとすれば、私たちは完璧な秩序の中で生活していることになります。それはとても素晴らしいことだと思います。

 

 

 

 

次回 第143回 心のサークル お知らせ

 

 

【と き】  2022年 1030日(日)、14時~17時 

【ところ】 シルバーセンター 第三研修室+ZOOM

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(12)』 11

【持ち物】 上記書籍をご準備ください。

      <書籍が手に入らない場合はお声がけください。資料作ります。>

【参加費】 喜捨

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。

 日常を離れた空間で、ともに学びましょう!

新しく参加希望の方は、本ブログコメント又は下のメール宛へご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。

【メールアドレス】 kokoronosakuru@gmail.com

 

第141回 心のサークル報告

【と き】  2022年8月21日(日)、14時~17時

【ところ】  zoom

【参加者】 進行:US、記録:SK

US、ST、UH、IK、WM、TN、IM、SK   以上8名

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(12)』の読書会

 

 

コロナウィルス蔓延のため今回はZOOMのみの開催となりました。

 

人類がウィルスを発見した歴史は浅くおよそ100年ほど前。もちろんウィルスは太古の昔から存在していたのですから「ウィルスは目に見えないけれどいた」のであります。--------なんだか霊の世界と似てますね。

 

彼らのことを調べていましたら「ウィルスと地球生命」「ウィルスの意味論」(山内一也著)という本の書評が目に入りました。ウィルスには知られざるたくさんの大きな役目があるようです。

 

”ウィルスに唯一できることは他の生物の遺伝子の中に彼らの遺伝子を入れる事である”------この働きが人類のDNAに影響を与え、人類を進化させてきたというのです。

 

あるものは宿主を献身的に育て、あるものは宿主に新たな能力を与えている。

 

そんな素敵なことをウィルスがしていたとは! 

 

今回レポートする霊訓の中でシルバーバーチは「大自然が教えてくれることほど神聖に満ちたものはない」と言っています。ウィルスが他の生物の進化の一役を担っているということ。大自然の無駄のない仕組みには感動を覚えます。

そんなことも知らずに私たちはウィルスを一方的に悪者扱いしているとは! 

 

「知らない」は現実を歪めるんですね。この世は幻想と言われるゆえんというわけです。現実は自分が生み出す世界。捉え方を変えた瞬間、別の世界が生まれます。パラレルワールドの仕組みみたいですね。

 

さて、画面上に全員が集合しました。ひとりひとりの声をそれぞれのマイクで拾うので、ZOOM読書会は音声が聞きやすいなと感じました。

 

USさんがシルバーバーチの祈りを唱え、輪読の始まりです。

 

 

9章 祈り

 

(1)祈りとは魂の表現です。具体的に言えば、祈りとは光明あるいは導きを叫び求める魂の止むに止まれぬ切望です。その切望そのものが自動的に扶助を呼び寄せます。なぜならその思念の威力が稼働しはじめるからです。それが回答を呼び寄せる原因であり、回答が結果です。

 

(9)誠心誠意の祈りは、その行為そのものがより高い波長と感応させます。祈るということ自体が心をひらかせるのです。ただし、その祈りは心と魂と精神をこめたものであらねばなりません。こうして欲しい、ああして欲しいといった、ただの要求は祈りではありません。真実の意味での祈りは大へんな霊的活動です。それは何かの目的への手段であって、目的そのものであってはならないというのが一番適格な表現かと思います。

 

 

なにもできず自分が無力だと思ったとき、「祈ることしかできない」と嘆く時がありますが、祈りは立派な霊的活動ということでした。その活動は誰もができるし、特別な能力もいらない、どこででもできます。神の門はすぐそばに在り、いつでも開いているということなんだなと思いました。

 

祈りは届く。

そう信じられたなら祈りの時間はますます充実するのではないでしょうか。

 

 

以下の意見がありました。 

 

◇ヒーリング・儀式を行う時、自動的にスイッチが入って霊界と波長を合わせています。

 

◇祈りとは神と対面していることです。

 

◇「私を神の僕(しもべ)としてお使いください」というような祈りがいいと思う。

 

神に心を向けると、自然に波動が上がるんですね。考えてみれば当たり前かもしれません。「神を想う」ことは「チャンネルを合わせている」感覚になりますもんね。祈りのお陰で自分の波動の調整もできますね。一石二鳥です。

 

12巻のそれぞれの章にはシルバーバーチの祈りが載せられています。

9章に載せられている祈りの文がとても素敵だったので一部を抜粋。

 

 

あなたは光明の中に存在すると同時に暗黒の中にも存在します。春に存在すると同時に秋にも存在します。夏に存在すると同時に冬にも存在します。日和の中に存在すると同時に嵐の中にも存在します。あなたは稲妻の中にも雷鳴の中にも存在なさっています。

 そよ風の中にもあなたが存在します。小鳥のさえずりの中にもあなたが存在します。風に揺れるこずえにも、小川のせせらぎの中にも存在します。高き山の頂にも大海の深き底にも存在します。無数の太陽の集まる星雲の中にも、きらめく星の一つ一つにもあなたが存在します。

 あなたは意識の進化の程度の差に関わりなく、すべての生命に宿っておられます。すべての意識の中に顕現しておられるのです。

 あなたは愛の中にも憎しみの中にも存在します。叡智の中にも愚かさの中にも宿っておられます。内側にも外側にも存在しておられます。何となれば、あなたは絶対的な大霊にあらせられ、その摂理なくしては何一つ存在しえないのでございます。

 

 

暗黒の中にも神は存在する。

残虐、憎しみ、悲しみ、苦しみにも神が宿っているということ。どう理解したらよいのか難しいビジョンです。けれども神聖な感じは確かに受けます。矛盾の中に真理はありがちだからです。

 

暗闇にこそ神は存在しなければならない——。

もし、神の存在しない場所があったなら、宇宙は完璧ではなくなり崩壊しそうです。

もし、神が場所を選り好みするような存在なら、人は神を信頼しなくなるでしょう。

どんな場所にも神が存在するからこそ私たちは神を求めるのではないでしょうか。

 

それにしても苦しみの世界で神は何を感じているのでしょうか。

そもそも神は「感じる」というような人間的存在ではないわけですから、こういう疑問自体がずれているのかもしれませんが、人と一緒に苦難を味わっている神がいるような気がしました。

 

とにかく神はどこにでも存在する。…ということは、私の中にも神がいるということです! 神は私がどんなに間違っても見捨てない。だから安心してみようかと思うのでした。

 

 

暗闇の場所。

 

コンポストの中に生きる虫たちに愛おしさを感じたというお話がありました。

私たちにとっては暗く息苦しい場所でも、そこがベストだとして生きている命たち。人間の価値観を超えて世界はあると思ったとのこと。

 

 

10章 宗教

 

(3)しょせん人間は同胞に奉仕することによって大霊に奉仕する以外に、大霊への協力の道はないのです。地上には政治学、経済学、社会学といった立派そうな名称やラベルをつけた分野があり、それが勿体つけて説かれておりますが、どれもこれも、しょせんは言葉の遊戯にすぎません。私に言わせればserviceの一語ですべてが片付くのです。人のために役立つことをする——それが宗教です。

 

 

人のために役立つことをしたとき、人は喜びを感じます。

難しい概念ではなく、行動こそが宗教と言い切られるとさっぱりとしますね。

宗教は喜びとともにあるものなんですね。

 

きらびやかな衣装や教会、制度、儀式は物質にしかすぎません。

そういえばキリストもブッタも立派な衣装は身に着けていないし、経典さえも書いていません。

 

()聖書もなかなか立派な本です。が、もっと立派な本があります。森羅万象がそれです。大霊の摂理によって維持されている大自然の営みです。地上のいかなる書物、それがいかに分厚いものであっても、いかに敬れているものであっても、いかに神聖視されているものであっても、その大自然が教えてくれるものに較べれば、物の数ではありません。

 

真理は難解でもなんでもなく大自然のごとく素朴で壮大——言葉を超えたものということでしょうか。大自然から何を学ぶかはその人の感性次第。美しさかもしれないし心地よさかもしれない。献身さかもしれないし自立かもしれない。

 

道端の草花はそこに咲いてるだけで人の心を癒します。

 

 

(19)教義による束縛は地上世界の病苦の一つです。疾病よりも大きな害悪をもたらします。身体上の病気による苦痛など物の数ではありません。なぜなら、それは魂の病気だからです。霊に目隠しをしてしまうのです。

 

この問題でたくさんの人々が苦しんでおられます。束縛は魂までをも蝕んでしまうのですね。洗脳された人によく見る現象はその人らしい表情の無さです。魂が小さくなってしまった結果でしょうか。

ほかの誰かのいいようにされないよう自分を守ることも大事です。これは本当に気を付けなければならないことです。

 

 

(13)大切なのはあなたの行いです。そして他のことは信じなくてもこれだけは信じてください--たった一つの魂を光明へ導いてあげたら、あるいは飢えに苦しむ人に食を与え、のどの渇きに苦しむ人に飲み水を与えたら、あるいは又、肩の重荷を軽くしてあげ、足元の石ころを取り除いてあげたら、それだけで地上の全財産にも勝る大切なことをしたことになるのです。

 

たった一つの魂を光明へ導いてあげたら---。たったひとりでも偉大な仕事なんですね。芥川龍之介蜘蛛の糸をちょっと思い出しました。

 

自分の分がなくなっても他人に与えるられるようなそんな人になりたいものです。

そのような機会を与えてくださいますように祈ります。

  

 

 

次回 第142回 心のサークル お知らせ

 

 

【と き】  2022年 9月19日(月・祝日)、14時~17時 

【ところ】 シルバーセンター 第三研修室+ZOOM

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(12)』 11章

【持ち物】 上記書籍をご準備ください。

      <書籍が手に入らない場合はお声がけください。資料作ります。>

【参加費】 喜捨

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。

 日常を離れた空間で、ともに学びましょう!

新しく参加希望の方は、本ブログコメント又は下のメール宛へご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。

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第140回 心のサークル報告

【と き】  2022年7月10日(日)、14時~17時

【ところ】  仙台シルバーセンター+zoom

【参加者】 進行:US、記録:UH

US、WM、HM、Su、SK 、TN、IM、 ST、UH  以上9名

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(12)』の読書会

 

 

春が過ぎ、梅雨は意外な短さでした。毎年各地で起こる洪水も今年は少ないようです。そして、夏の暑さがすでに各地で記録されています。地球は太陽の周りを自転しながら公転し、季節は確実に変化し、毎年がその繰り返しです。しかし、毎日も毎年も同じようで違います。同じ日は一日としてありません。そして今日という日はもう来ません。永遠なる時の流れと生命の時間は糾える縄のごとく時空の間を彷徨いながら光へと進んでいるのかも知れません。

 

今回のサークルは会場5名、ZOOM参加4名で開催されました。

いつもの様に主催者であるUSさんのシルバー・バーチの祈りの後、輪読が始まります。

 

第八章 神

(1) 神とは宇宙の自然法則です。物的世界と霊的世界との区別なく、全生命の背後に存在する創造的エネルギーです。完全なる愛であり完全なる叡智です。神は宇宙のすみずみまで行きわたっております。人間に知られている小さな物的宇宙だけではありません。

まだ知られていない、より大きな宇宙にも瀰漫(びまん)しております。

 

◇会場から、「最近の天候が一日の内でも晴れ・曇り・雨と激しく変化しているが、人間界が反映されているようだ」との声がありました。

最近、日本だけでなく世界の情勢も激しく変化しています。何が正しくて何が間違いなのか、正義感は理解できるが個人の現実生活に影響を及ぼすようなことには許容範囲があるなど。理性と感情で心が揺れ動くのが現実社会を生きる人間です。物質世界の価値観は強者と弱者の戦いでもあるようです。しかし宇宙の自然法則に目を向けると・・・太陽も月も星も太古から続く大きな流れには何の変化もない・・・ことに気づかされます。時には空を見上げることかも知れません。

 

 

(4) 完全が存在する一方には不完全も存在します。しかしその不完全も完全の種子を宿しております。完全も不完全から生まれるのです。完全は完全から生まれるのではありません。不完全から生まれるのです。

 

◇芸術家が「満足した作品が出来たら死んでも良い」という話を聞いたことがあります。人間は不完全であるが故に不完全な作品を生み出す。それ故次々に多くの作品を創作するしかないのでしょう。しかしその美への追及の努力を惜しまない人間が尊敬を集めるようです。神のみが完全である。不完全な人間が完全なる神を求め進化していく道に「霊性進化の道」と言われる長い道があると言われます。それなら歩いてみたいと思うのです。

 

 

(5) 神は法則です。万物を支配する法則です。法則が万物を支配しているのです。宇宙のどこにも法則の支配を受けないものは存在しません。地震、嵐、稲妻―こうしたものの存在が地球上の人間の頭脳を悩ませていることは私も承知しております。しかしそれらもみな宇宙の現象の一部です。天体そのものも進化しているのです。この天体上で生を営んでいる生命が進化しているのと同じです。物質の世界は完全からはほど遠い存在です。そしてその完全はいつまでも達成されることはありません。より高く、あくまでも高く進化していくものだからです。

 

◇「神は法則です」の言葉に、人は一見無機質的な神を想像しそうですが、その人間の想像をはるかに超えたのが完全なる神の存在です。 S.Bは「神は宇宙の大霊です。神は大生命です。神は大愛です。神は全存在です。僕(しもべ)にすぎないわれわれがどうして主人(あるじ)を知ることができましょう」と言います。そして、すべての存在は進化している途中であると言います。神は遥かに大きな存在ですが・・・身近な存在でもあるようです。

 

 

(10) 法則は完全です。しかしあなたは不完全であり、したがって完全な法則があなたを通して働けないから、あなたを通して顕現している法則が完全でないことになります。あなたが完全に近づけば近づくほど、完全な法則がより多くあなたを通して顕現することになります。こう考えるとよろしい。光と鏡があって、鏡が光を反射している。鏡が粗末であれば光のすべてを反射することができない。その鏡を磨いて立派なものにすれば、それだけ多くの光を反射するようになります。

 

◇会場から「鏡を磨くためには、行動が大事なのだ」と言う声がありました。人間の鏡はどこにあるのか?心でしょうか魂でしょうか。その心と魂を磨くには明るく正しい思考と行いを続けることしかありません。それを身体に沁み込ませると言います。それには勇気も必要です。現代人は直ぐにせっかちに、これとあれとなど考えますが、静かに・・・何ごともゆっくり歩くことが大事だと自戒を込めて思うのです。

 

 

(12) 神は愛を通してのみ働くのではありません。憎しみを通しても働きます。晴天だけではなく嵐も法則の支配を受けます。健康だけではなく病気を通しても働きます。晴天の日だけ神に感謝し、雨の日は感謝しないものでしょうか。太古の人間は神というものを自分たちの考える善性の権化であらしめたいとの発想から(その反対である)悪魔の存在を想定しました。稲妻や雷鳴の中に自分たちの創造する神のせいにしたくないものを感じ取ったのです。

    

◇神は愛であり憎しみでもある。太陽の光であり夜の暗闇でもある。その二面性を私たちは善悪と区別して明るく正しいことだけを神として敬ってきた歴史があります。それが宗教の教えでもありました。しかし神の完全とは・・・すべて・・・それを理解することだとS.Bは言います。

 

 

(13) 神とは法則です。全生命を支配する法則なのです。その法則を離れては何も存在できません。あなた方が憎しみと呼んでいるものは未熟な魂の表現にすぎません。その魂も完全な法則の中に存在しておりますが、現段階においては判断が歪み、正しく使用すれば愛となるべき性質を最低の形で表現しているまでのことです。愛と憎しみは表裏一体です。愛という形で表現できるエネルギーは、憎しみを表現する時に使用するエネルギーと同じものなのです。

 

(14) 善なるもの、聖なるもの、美なるもの、愛、叡智、そのほか人生の明るい側面だけに神が宿っているかのように考える旧式の思想は棄てなければいけません。神の表現をそのように限定すれば、もはや絶対神が絶対ではなくなります。それは条件つきの神、限定された霊となります。絶対神の本質は無限・全智・全能・不可変・不易であり、それが法則となって絶え間なく機能しているのです。

 

(17) 人間的存在としての神は人間がこしらえたもの以外には存在しません。人間的存在としての悪魔も人間がこしらえたもの以外には存在しません。黄金色に輝く天国も、火焔もうもうたる地獄も存在しません。そうしたものは全て、視野を限られた人間の創造的産物にすぎません。神は法則なのです。それさえ理解すれば、人生の最大の秘密を学んだことになります。なぜなら、世の中が不変にして不可変、全知全能の法則によって治められていることを知れば、絶対的公正が間違いなく存在し、宇宙の創造活動の大機構の中にあって一人として忘れ去られることがないことを知ることになるからです。

 

◇13・14・17は同じ流れですのでまとめました。この章では何度も「神は法則です」と出てきます。人は神を人間に似せて創りました。その方が説明しやすいし都合が良かったのです。悪いことをしない教えを伝える必要があった、そう宗教的倫理教育です。

しかし今、もう一段上の次元へ上り、静かに・・・宗教的ではなく・・・私にとっての「神を考える」その時が来ている。・・・それを理解すれば「人生の最大の秘密」を学んだことになるのだと・・・そうS.Bは言います。

 

 

(20) 五感に束縛されているかぎり、神の存在、言いかえれば神の法則の働きを理解することは不可能です。その限界ゆえに法則の働きが不完全に見えることがあるかも知れませんが、知識と理解力が増し、より深い叡智をもって同じ問題を眺めれば、それまでの捉え方が間違っていたことに気づくようになります。物質の世界は進化の途上にあります。その過程の一環として時には静かな、時には激動を伴った、さまざまな発展的現象があります。それは地球を形成していくための絶え間ない自然力の作用と反作用の現われです。常に照合と再照合が行われるのです。存在していくための手段として、その二つの作用は欠かせない要素です。それは実に複雑です。

 

◇人間の肉体は五感で感じた情報を脳に伝え、脳の判断と指令で行動します。それが現代科学の思考ですが、それでは神の存在は理解できないと言います。霊訓には、神は霊であり霊は人間の身体にも宿っており、それが本来のあなたですとあります。霊性スピリチュアリティも同じです。

平安鎌倉時代神道家・卜部兼友は『神道秘録』で神道を「円満虚無霊性を守る道」と記し、神道の「神は神に超ゆる神なり」(ウイキペディア「霊性」から引用)と記しています。「円満虚無霊性」とは「すべてがありすべてがない状態」。そして神とは「神を超える神」と言うのでしょうか。それは完全なる神に近い概念かも知れません。

これまで書き込んだ内容から皆様は大体想像されていると思いますが、神の理解、それは野性的直観に近いのかもしれません。そして物質世界は経験を繰り返し進化していくのだとS.B は言います。「人生の最大の秘密」を学ぶことは簡単ではないようですね。

 

 

次回 第141回 心のサークル お知らせ

 

 

【と き】  2022年 8月21日(日)、14時~17時 

【ところ】 ZOOMによるリモート開催に変更いたします。

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(12)』 9章

【持ち物】 上記書籍をご準備ください。

      <書籍が手に入らない場合はお声がけください。資料作ります。>

【参加費】 喜捨

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。

 日常を離れた空間で、ともに学びましょう!

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