心のサークル(blog版)

心のサークルは、スピリチュアリズムを学べますが、オープンな初心者向です。

第149回 心のサークル報告

【と き】  2023年4月16日(日)、14時~17時

【ところ】  シルバーセンター+ZOOM

【参加者】 進行:US、記録:SK

US、ST、IK、WM、SN、Su、TN、AK、SK   以上9名

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(1)』の読書会

 

 

 本ブログを愛読してくださっていたAKさんから参加希望の連絡を頂いたのは1か月前。これまでも時々コメントを寄せてくださっていたので存在は存じておりましたが、こうやってお会いできる日がくるとは! 遠く離れた九州からのご参加です。 緊急事態宣言後、外出禁止、ならばZOOM! と今ではすっかり定着した光景がこのことを可能にしました。以前、ウィルスは人類の進化に欠かせない存在でもあったということを書いたことがありますが、これもひとつのウィルスの効能?じゃないかなんて思ったりしました。     

 AKさんはブログをずっと読んでくださっていたというだけあって、心のサークルのことはなんでも知っていらっしゃり、ずっと昔からの知り合いのように会話が弾みました。初対面とは思えません。他のメンバーからも同じような感想が寄せられました。

 

 現在、この会の会員は15人くらい。それぞれいろんなルートで集まってきました。精神世界を語り合うせいか絆がとっても深いです。地上世界の貴重な仲間。AKさん、これからもよろしくお願いします。

 

 自己紹介から始まります。

 

 AKさんが、まずは私からと先陣を切ってくださり、続いてこちらのメンバーたち。

 意外なことに宮城の「亘理町」へいらっしゃったことがあるとのこと。えー!と驚いたら、震災の時にボランティアで来てくださっていたそうです。あの時は全国からたくさんの人が助けに来てくださいました。AKさんもその一人だったんですね。そういえば長崎のUHさんとの出会いも復興のお仕事でした。コロナ、大震災、どちらも歴史的には負の出来事ですが、それをきっかけに大切な新しい出会いが生まれています。

 

 

 シルバーバーチの祈りを唱え、いつものように輪読開始です。

 

 

  第2章 なぜ生まれてきたのか

 

 地上に生を享ける時、地上で何を為すべきかは魂自身はちゃんと自覚しております。何も知らずに誕生してくるのではありません。自分にとって必要な向上進化を促進するにはこういう環境でこういう身体に宿るのが最も効果的であると判断して、魂自らが選ぶのです。ただ、実際に肉体に宿ってしまうと、その肉体の鈍重さのために誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま、通常意識に上がって来ないだけの話です。(P38)

 

 ということは、私たちは日々自分に必要な出来事と遭遇している、つまり毎日霊的な生活をしているということ。今更ながらそんなふうに表現してみたら、急に視野が広くなったような気分になりました。

 私って霊的にどう? だれか教えて!とリーディングを求めたりするけれど、誰かに尋ねなくとも日常をみたらわかる!と気づいたのでした。毎日何を感じ、何を欲求しているのか、何が嬉しくて、何に苛立つのか、それこそが私、そのままなのです。何も隠されていない。誰に尋ねる必要もない。日々の自分を見つめてみれば霊的な自分も見えてきます。

 

 日常はよくある出来事ばかりで地味。でもその小さなことこそが私を作っているんだなぁと腑に落ちてしまいました。大きな達成とか、求められた何かとか、獲得した何かではなく、毎日の些細な事が私の人生。平凡だなぁ。しかし些細とはいえ、なかなか手ごわい相手であることはたしかです。幸せの青い鳥はすぐそばにいたというオチのように人生の目的はすぐそばにあるのかもしれない。毎日が霊的であり、つまりほんとは光の中にいて、チャレンジだらけ。そこでどんな恵みが与えられ、どんな障害と出くわすのか。何に気付き、何を見つけるのか。すべてのことがメッセージに思えてきます。

 

 しかし、生き抜くことだけでも大事業、それだけで十分とは満足しないのが向上心なんでしょうねぇ。自分を最大限に生かしたい。まったく同感です。 第三巻の一章(P13)にこんなことが書かれていました。

 

 霊界は実にうまく組織された世界です。各自が持って生まれた才能----地上ではそれが未開発のままで終わることが多いのですが----それが自然な発達の過程を経て成熟し、それぞれに最も相応しい仕事に自然に携わることになります。

 

 今生では自分の才能を見つけられないことは多いんですねー。どおりで燻っているわけです。でも霊界にいけば自然と発揮できる!そういうことですからそう焦らなくともいいのかしら。とにかく流れにまかせて目の前のことをひとつひとつコツコツと、、、と考えるのでした。順番を踏まないとメインまでたどり着かないのかもしれません。

 

  

 あなたがた地上の人間にとっての大きな問題点は、やむを得ないかもしれませんが、人生というものを間違った視点から観ていることです。つまりあまりにもこの世的・物質的観点からのみ人生を考えていることです。人生には確かに地上的な要素がありますが、同時に霊的なものであり、永遠に続くものなのです。その永遠なるものを地上的視野だけで眺めてはいけません。それでは十全な判断はできません。神の子には一人の例外もなく善悪ともに埋め合わせの原理が働くのですが、地上生活のみで判断しようとするとすべての要素を考慮することができなくなります。

 

 見て触ってわかる物的なことは地上の私たちにとっては「確かなもの」。霊視はできなくても物体が見えないという人はひとりもいませんから。物質、その圧倒的な存在感を考えると、人が物的に事を考えるのは当たり前かもしれません。霊的な世界を知っている私たちでさえも、ちょっとした出来事で感情的になって、雪崩のように地上的な判断しか出来なくなることはしょっちゅうです。霊界をいつも念頭において考えられるようになれば、心配や不安に悩まされるようなことはなくなるのでしょうけれど、、なかなか。

 

 

  それにしましても、12巻を読み終えから1巻を読むと、改めてこの巻のまとまりの良さに感心します。11年勉強した月日でだいぶ素地が整ったからでしょうか、よく耕かされた土に水がすーっと吸い込まれるように言葉が入ってくるような気がします。

 

 聖書に”種を蒔く人の喩え”があります。荒れ地に種を蒔いても芽はでません。きちんと耕された土地に蒔いてはじめて発芽すると書かれています。せっかちはいけませんとシルバーバーチは時々言いますが”段階を経て”ということも自然の摂理なのかなぁと思います。

 

 

 「なぜ生まれてきたのか」。答えられる人はどれだけいるでしょう。この問いに理路整然と答えるのがスピリチュアリズムです。

 

 人生の目的は至って単純です。霊の世界から物質の世界へ来て、再び霊の世界へ戻った時にあなたを待ち受けている仕事と楽しみを享受する資格を身につけるために、さまざまな体験を積むということです。そのための道具としての身体をこの地上で授けてもらうというわけです。この地上があなたにとって死後の生活に備える絶好の教訓を与えてくれる場所なのです。その教訓を学ばずに終われば、地上生活は無駄になり、次の段階へ進む資格が得られないことになります。このことは地上だけでなく、私どもの霊の世界でも同じことです。(P45)

 

 

 霊的な視点で考えることができると、生き方や人生の捉え方が変わります。

 

 USさんからこんな話が。

 度重なる死別や悲しみに見舞われた人から「神はいるのか」と問われました。全力を尽くして「今は辛くてそうは思えないかもしれないけれど神はいます」 と説得した…と。

 辛い状況、どうか希望を見つけてほしい、こんなときこそ霊的な真理が力になるのだけれど、と思っても、伝えることができる相手はあまりいないと思います。この世の常識とはあまりにかけ離れているからです。死は歓ぶべきこと、苦労こそチャンス---こんな視点なのですから、いくらこちらに愛の動機があったとしても、相手に霊的な感覚がなければまるで逆効果になる危険もあります。けれどもやはり多くの人に知ってもらいたいです。

 伝道する側にも十分な知識と経験、そして高い霊性が求められると思います。その役目ができるように精進しその機会をお与えしていただけるように祈ります。

 

 

 安易な人生からは価値あるものは得られません。困難な人生からのみ得られるのです。神は決してあなた方見捨てません。見捨てるのはあなたがたの方です。あなた方が神を見捨てているのです。困難に直面した時、その神の遺産を結集し、必ず道は開けるのだという自信を持つことです。不動の信念を持てば必ず開かれます。P48

 

 

 

 自死安楽死、中絶について、どう考えるべきかについて議論がありました。

 

◇自殺はしてはいけない。これは大原則です。

◇自殺をする人生を選んで生まれてくる魂はいない。計画を途中でやめることなり、死んでからが大変な過程を踏まなければならない。

 

◇どこまでが自殺なのでしょうか。安楽死についてはさまざまな意見が寄せられました。安楽死は一種の自死なのか?難しい問題だと思いました。現代医療が人の死を人工的に操作することが可能になり、自然に死ねなくなっています。延命を拒否することや治療をしないと選ぶこと、それは自死なのか? 難しい問題です。

 

◇運を天に任せる。どうしたらよいか分からないときはそれしかないかもしれません。

 

◇死を目前にしている人に死の真理を伝えたいけれど、霊訓で理解してもらうには難しいと思います。E・キュープラーロスの「死ぬ瞬間」などがよいだろう。

◇死が近くなると人は死の世界のほうへ感覚が移っていくのではないかと思う。

 実は神の叡智の一つとして各自は地上にいる時から死後の環境に少しずつ慣れるように配慮されております。毎夜眠りに落ちて肉体が休息し、まわりの生活環境が静寂を取り戻すと、その肉体から霊体が抜け出て本来味わうべきよろこびの体験をします。(3巻P14)

 

 

 さて、最近の世界情勢ですが、地震や戦争で多くの人が犠牲になっています。世界のリーダーたちには霊的に民衆を導いてほしい。物的な視点では問題を生むだけ…と変革を求める声がありました。しかし、政治はいちばん霊的に遅れている分野というのが現実のようです。これからを担う未来の子供たちが霊的な真理をベースに生きていける新しい世界がやってきますように。

 

 シルバーバーチの霊訓を理解できる人は霊的にだいぶ進んでいる人といえるということです。「難しい、何書いているのかわからない」と言われることしょっちゅうです。簡単な言葉で書かれているのですが、そういう問題ではないようです。文章が素通りする感じなのでしょうかねぇ。

 

 霊性を悟ることは容易なことではありません。もし容易であれば価値はありません。その道に近道はありません。王道はないのです。各自が自分で努力し自分で苦労しなくてはなりません。しかし同時にそれは登るにつれて喜びの増す、素晴らしい霊的冒険でもあるのです。p49

 

 Suさんから。

 聖書とシルバーバーチは同じことを言っている、どこも矛盾しません。2000年前イエスはたとえ話で真理を伝えていますが、たとえ話じゃないと伝わらないと知っていたからだと思います。シルバーバーチは真理をストレートに伝えている。聖書を読んでシルバーバーチを読むと真理がつながります。

 

 聖書のなかに真理があることは私たちも感じています。聖書はさまざまな改ざんがあると言われてはいますが、それでもでちゃんと真理が交じっていて光を放っているのかなぁと思います。そうでなければ2000年も読み継がれていないと思います。

 

最後にシルバーバーチからのエールを抜粋。 

 

 時として人生が不公平に思えることがあります。ある人は苦労も苦痛も心配もない人生を送り、ある人は光を求めながら生涯を暗闇の中を生きているように思えることがあります。しかし、その観方は事実の反面しか見ておりません。まだまだ未知の要素があることに気づいておりません。

 私はその摂理に絶対的敬意を表します。なぜなら、神の摂理がその通りに働かなかった例を一つとして知らないからです。こちらへ来た人間が”自分は両方の世界を体験したが私は不公平な扱いを受けている”などと言えるような不当な扱いを受けている例を私は一つもしりません。神は絶対に誤りを犯しません。P47

 

 

 

 

 

次回 第150回 心のサークル お知らせ

 

 

【と き】  2023年 5月21日(日)、14時~17時 

【ところ】 中小企業活性化センター5F+ZOOM

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(1)』 

【持ち物】 上記書籍をご準備ください。

      <書籍が手に入らない場合はお声がけください。資料作ります。>

【参加費】 喜捨

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。

 日常を離れた空間で、ともに学びましょう!

新しく参加希望の方は、本ブログコメント又は下のメール宛へご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。

【メールアドレス】 kokoronosakuru@gmail.com