心のサークル(blog版)

心のサークルは、スピリチュアリズムを学べますが、オープンな初心者向です。

第146回 心のサークル報告

【と き】  2023年1月15日(日)、14時~17時

【ところ】  仙台シルバーセンター+ZOOM

【参加者】 進行:US、記録:SK

US、ST、UH、TN、HM、GS、Mi、Su、SK   以上9名

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(12)』の読書会

 

 

「いよいよ」という感じでこの日を迎えました。

心のサークルが生まれたのは2009年5月17日。発足当初はしばらくスピリチュアリズムの様々なテーマで勉強会をしていたようです。私が参加したのはその数年後。ちょうどその頃にスピリチュアリズムのバイブルとも言われる「シルバーバーチの霊訓」全12巻をみんなで輪読しましょう…との提案があり今のスタイルが始まりました。それが2012年2月です。始めた頃は12巻をすべて輪読するのはあまりに大事業すぎて「必ずやり遂げるぞ」という気負いもなく穏やかな気持ちで始めたように感じます。いつしか時が過ぎ、気が付いたら12巻までたどり着いていました。そしてついに、2023年の1月15日、すべてを読み終わったのです。

 

2012年2月から2023年1月。ちょうど丸々11年で読み終わったということでした!

 

 

本日の参加は会場組は6名、ZOOM組は3名、合計で9名の参加。そのうち当初からの参加者は代表のUSさんと、STさん、UHさん、そして私です。そのあとGSさん、HMさん、WMさん、TNさんが加わり会が大きくなって、さらに最近加入してくださったSuさん、Miさんが加入され、来てくださっています。

 

皆さんは元々精神世界についての探求歴の長い方々ばかりです。精神世界の視点で世の中の日常を眺めることのできる会。その中に混ぜていただいていること、本当に感謝しかありません。もし、この会に出合えなければスピリチュアリズムの心地よいところだけを拾い取り、その厳しさや深さゆえの美しさを知るまでには至らなかったに違いないと思います。幸運でした。背後霊が導いてくださったのだろうなぁと思います。「あなたのすぐ身の回りで働いている霊の姿をご覧になれる視力があればよいのにと思われてなりません。その背後霊団が誰であり、どんな人物であるかご覧になれたらもっと自信をもたれたことでしょう」(第二巻12章)シルバーバーチがハリーエドワーズ氏に仰っているのですが、この会の背後霊団をもし私も拝見することができたらどんなに素敵だろうと胸の奥が熱くなります。

 

さて、厳冬真っ只中、Miさんのところでは3メートルも雪が積もっている、というような気候の話をしばらくいたしまして輪読の開始です。

 

 

12章 「落ち穂集」101~136 / 訳者あとがき

 

 

一人2ページ位ずつを今日で達成なんだなぁと思って大切に読みました。声に出して読むというのは一種の祈りの儀式にも似ていると思います。私たちは、11年間、月に一度みんなでその祈りを行っていたんですね。達成という特別の日の今日はきっとシルバーバーチも来てくださっているような気もしますし、訳者の近藤先生の気配も伝わってきたような感じもしました。そう言われれば12巻の編者は近藤先生でした! 訳者あとがきを読んでいる間なんともいえない高揚感があったのはそのせいでしょうか。改めて近藤先生への感謝の気持ちが溢れてきました。近藤先生もこの12巻を書き上げている時、きっと今の私たちと同じような思いを抱いていたのではないかと思いました。私があとがきを読んでいる時、私自身はすっかり近藤先生に成り代わって読んでいるというような気持ちだったのです。でも記録していたその日の録音を聴くと普通に「私」だったので、そうか、あの高揚感は私の内だけのものだったのかなぁと思いましたが、やはり輪読がフィナーレに向かうにつれそこに流れていたエネルギーはいつもとは違ったと今でも思います。

 

11年前、第1巻「第一章」の輪読最初の読み手はUSさん。第12巻「訳者あとがき」の最後の読み手はMiさんでした。

 

US:霊訓の読書会は長年の夢でした。シルバーバーチを読んだことのない人が参加するようになったことを機に始めました。

シルバーバーチの訳者は近藤千雄先生と、もうひとり桑原啓善先生がおられます。やはり、訳者が違うと雰囲気が違いますね。輪読は約10年かかりました。さて次回からは何をやろうか、ホワイトイーグルなどもあるけれど、やはりこの会は今後もシルバーバーチの霊訓がよいだろうと思います。来月からは第1巻に戻ります。

12巻を通してシルバーバーチは同じことを何度も表現を変えて説いていますが、読者もその時によって注目する場所が違い、受け取り方も違っていて新しい発見が常にあります。

 

ダイヤモンドの輝き。まさにたくさんの面が輝く書籍なんだろうなと思います。

 

 

ひとりひとりの感想へと続きます。

 

 

SK:感慨深い会でした。長い長い共同作業の終わりを迎え、コンサートに例えるとファイナルで主催者と観客(霊界と私たち)が一体になり「ありがとう」のエールの交換が行われたような幸せな高揚感がありました。もう一つ例えれば、花火大会の最後に大玉の大連発で興奮のるつぼになる、そんな感覚がありました。

 

近藤先生のあとがきがやけに心に響きました。「最後にしっかりと言っておきますが」という親心、長く勉強をしてきた私たちに、改めて謙虚さと責任についの注意がありました。この12巻を読み終わったタイミングで書かれていることは意味深いなと思いました。

 

ところで、そのシルバーバーチの霊言の素晴らしさに触れた者が心しなければならないのは、この霊言集に盛られている真理が真理として受け入れられるか否かは、その人の霊性にとってそれが必要であるか否かによって決まることであって、その素晴らしさの分からない人のことをつまらない人、分かった人は霊性が高いといった判断を下すべきではないということである。それはシルバーバーチが何度も言っているように当人の問題である。そして受け入れた瞬間から責任が生じる。

 

この日の私にとってこの部分は癒しでもありました。おそらく私は少し浮足立っていたのだと思います。それぞれの歩みの判断をしないように。あなたはあなたの歩みで地道に進みなさいと励まされたように感じました。読む時によって目に留まる言葉は違います。乗り越えるべきことを乗り越えたら、次の課題へ移るのでしょう。

 

WMさん:実践することが大事ですと書かれていますが、どう実践したらよいかまだつかめていません。次回から第一巻に戻って読み直すので、改めて考えていきたいと思います。

 

USさんよりこの話を受けて、何度も何度も読んでいると無意識にエッセンスは入っていると思います。自然に行動に表れていると思いますよとの言葉です。

 

私たちは何か特別なことを成し遂げなければならないと焦ります。模範的な何か、手ごたえのある何かをと思いがちです。しかしそうではなく、問題は毎日の心掛けの中に実践はあるのではないでしょうか。とても地味なことなんですが、それが「自分」を建設していく石積みになるのだろうと。華々しく成し遂げたいと思います。成果が目に見えないと自分自身でさえ前進しているかどうかわからないからです。でも、本当は誰も見ていない地味なところでの歩みこそ尊いのかもしれません。誰も見てくれていない、褒美の視線さえもない、それでも迷わずにしっかりとまっすぐに進み続けることは偉大だと思います。

 

 

蔭の存在なくしては脚光を浴びる人もいないでしょう。私たちの目からみれば、人のためになされた貢献は、黙って人知れず為されたものであろうと大勢の観衆を前にして華々しく為されたものであろうと、その評価にいささかの違いもありません。(212章)

 

 

GSさん:5年ほど通ってます。価値観を共にする人たちと交わじることでエネルギー補給できてます。

 

Su:参加して1年ほどになります。それまでは(これまでも)キリスト教会に通ってましたが、心が冷めていた時期でした。シルバーバーチの霊訓を取り入れて勉強するにつれて、冷えた想いは温まりました。世の中を見る角度が広がりました。

キリスト教に対して疑問に思っていることをシルバーバーチは時々指摘してくれると思います。

 

106)あなた(キリスト今日の牧師)に理解していただきたいことは、聖書のテクストのことをうんぬんするよりも、もっともっと大切なことがあるということです。主よ主よと叫ぶ者がみんな敬虔なのではありません。神の意志を実践する者こそ敬虔なのです。それをイエスは二千年前に述べているのです。なのに今日なおあなた方は、それがいちばん大切であることをなぜ信者に説けないのでしょうか。

 

 

HMさん:シルバーバーチは他にないことを教えてくれます。最近は神観について考えていました。神とは?を正確に知ることは人間には無理とシルバーバーチも言ってたと思いますが、「神=摂理」と理解してよいと思っています。なぜ生まれてきたのかを探求しました。私たちは不完全な存在で地上で生きていることにこそ意味があって、それを体験しつくことが大事だと思います。

 

115)思念は思念の世界においては実在そのものです。が、地上においてはそれを物質でくるまないと存在が認識されないのです。肉体による束縛をまったく受けない私の世界では、思念は物質よりはるかに実感があります。思念の世界だからです。私の世界では霊の表現、または精神の表現が実在の基準になります。思念はその基本的表現の一つなのです。勘違いなさらないでいただきたいのは、地上にある限りは思念は仕事や労力活動の代用とはならないということです。強力な補助とはなっても代用とはなりません。やはり地上の仕事は五感を使って成就していくべきです。労力を使わずに思念だけで片付けようとするのは邪道です。これも正しい視野で捉えないといけません。

 

 

ここでGさんより、障害をもって生まれた人の意味はどう思われますか?という質問がありました。

 

USさん:その人自身の修行という意味もあるかと思いますが、その方と関わる周りの人々の精神的成長を促すという役目もあるのではないかと思います。肉体に障害はあっても霊性は高い。見た目ではないということです。障害を「気の毒だ」とみるのではなく、霊的な視点で接すると霊性の高さを感じることができます。

 

 

UHさん:みんなで読むということが新鮮でした。他の人の気づきを知ることによって自分の気づきにもなりました。

 

Miさん:学生のころ、障害者施設へボランティアに行って自分が助けられた経験があります。私が不登校をしていた時期でしたが、施設では誰も私を責めませんでした。自分の居場所を見つけた思いでした。救われたのです。その後、私は障害者の方々と接する仕事に携わることになりました。彼らに「カルマ」があるというような視点でみたことは一度もありません。むしろ「愛」を教わりました。課題をもって生まれた彼らに尊敬の念を覚えます。

 

障害者といっても程度はいろいろです。社会の一員として生きられるのがいいというのが理想かもしれませんが、重度の障害を背負った方々がおられます。たとえばIQが20くらいしかない。下を向いているだけが精一杯。しかし、生きる権利はある。どう生きればいいのか。無理やり社会へ参加しなければならないという健常者の考えはどうなのか? 施設の中で守られていたほうがよいという現場の厳しい声の紹介がありました。

 

隔離。人としての尊厳。難しい課題ですね。たくさんの現実があります。そんな厳しい人生で生まれ落ちた人たちの想い。下を向いているだけが精いっぱいの人の魂はぼんやりと生きているのかもしれません。その意味を私たちが知ることは今生ではわからないのだと思います。たくさんの要素が絡んでいる、ときどきシルバーバーチはそう説明することがありますね。

 

 

ST:大震災の頃から参加していますが、今の社会・コロナやウクライナの状況を見ていると、あのころ震災で大変だったけど11年前の方が平和だったような気がします。

11年を振り返るとやっぱりいろいろありました。子供たちの成長を見ているとよくわかる。幼児が青年になっていて、その成長と自分の心の成長がリンクしています。読書会に参加して心の成長を考えながら子育て出来たことはよかったです。

また、この間に家族に後天的な障害を背負ったものがいます。それまでは健常だったのに途中で障害をおってしまった当人の葛藤も見ているし、どんな気持ちになるのかも理解できる。因縁もあるかななどとも思いますが「慈愛」をもって生きるしかないと思います。また新たな10年が始まります。これからもいろんなことがあるんだろうなと思います。

 

TNさん:葛藤のある時期に精神世界に出合いました。どう生きていくかの指針を見つけた想いでした。「心のサークル」に出合ったのはだいぶ前です。それからしばらくして時期を空けて父の病状の思わしくないときUSさんに相談をさせてもらい知恵をもらいました。サークルで心の問題を語り合えることはとても大切でした。

自然と共に生きることを大事にしています。これを教えてもらったのも精神世界です。

 

119)霊はこしらえるものではありません。過去も未来もなく常に存在しております。霊としては、あなたは無始無終に存在しているのです。霊を新たにこしらえなければならなくなったことは一度もありません。無が有になる段階というものは、これまで一度もありません。生命の原動力、精髄、活力そのものである霊は、過去も未来もなく常に存在しております。霊はあらゆる生命現象が生み出されるエネルギー源です。植物も小鳥も樹木も動物も人間も、すべてそうです。霊は存在の大原動力です

 

Miさん:この会に参加してまだ1年たっていませんが、シルバーバーチの霊訓は昔から読んでいました。みなさんで読んで語り合う時間というのは大変心に響くものがありました。

 

 

以上、みなさんの意見と落ち穂集の中からそれぞれが気になったという箇所を抜き取りました。

12巻を読み終え第146回の報告を終わります。

 

2016年からブログの書き手が主に私になりました。それまではAさんが書いておられて格調高かったのに、書き手が変わって急にカジュアルになってしまいました。その後、すこしは成長した片鱗があるかもしれませんが、何書いてるんだ?というような不可解な回も交じっていて読み返すと恥ずかしいものもありますが、それも成長の軌跡ですね(苦笑)。

 

読みに来てくださっていた方へ改めて感謝いたします。これからも報告書頑張って書いていきます。

 

少しでも成長しますように。文章が上手になりますように。

 

 

136)皆さんはついぞこの私の姿をご覧になることがありませんでした。この霊媒の口を使って語る声でしか私をご存知ないわけです。しかし信じてください。私も物事を感じ、知り、そして愛することのできる実在の人間です。こちらの世界こそ実在の世界であり、地上は実在の世界ではないのです。そのことは、地上という惑星を離れるまでは理解していただけないことかもしれません。

 

 

 

次回 第147回 心のサークル お知らせ

 

 

【と き】  2023年 2月23日(木)、14時~17時 

【ところ】 戦災復興記念館+ZOOM

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(1)』 

【持ち物】 上記書籍をご準備ください。

      <書籍が手に入らない場合はお声がけください。資料作ります。>

【参加費】 喜捨

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。

 日常を離れた空間で、ともに学びましょう!

新しく参加希望の方は、本ブログコメント又は下のメール宛へご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。

【メールアドレス】 kokoronosakuru@gmail.com