心のサークル(blog版)

心のサークルは、スピリチュアリズムを学べますが、オープンな初心者向です。

第145回 心のサークル報告

【と き】  2022年12月18日(日)、14時~17時

【ところ】  仙台シルバーセンター+ZOOM

【参加者】 進行:US、記録:SK

US、ST、UH、TN、HM、GS、UC、Su、SK   以上8名

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(12)』の読書会

 

 

 2023年1月を迎えました! あけましておめでとうございます。

 

 ここ数年「地球はアセンションをしている」と多くのスピリチュアリストが発信しています。動画サイトを見ているとそれが世の中の常識かと思うほどの勢いです。世の中も変わったなぁと感じています(それこそがアセンション現象の一部でしょうか)。私がスピリチュアリズムに出合った頃はその認知度はまだまだ僅かで、それを語り合う仲間は全くいませんでした。意味もないしきたりや理不尽な常識、弱肉強食、あらゆる差別に封じ込まれた日常は息苦しいものでした。ある時スピリチュアリズムに出合いました。見えない世界の自由で美しい概念に触れた時、一瞬にして世界に光が差し込みました。この世に神の秩序があることを知り心がわくわくしました。誰に認められなくとも自分さえちゃんとしていれば天がきちんと見ていてくれる安心を得ました。それからもう20年ほど経ちましたが、スピリチュアリズムと切り離した生活は考えられません。真理を知らない世界で生きることはどんなに辛いことでしょう。

 

 さて新たな次元の時代は2022年から本格的に動き出したと言われています。確かに”変わった”という雰囲気はあると思うのですが、皆様はいかがお感じでしょうか? そういえば、いつもならなにかしらの後悔でモヤモヤと年を越すのですが、今年の私はそんな重い感覚がなく、これからはこんな風に在りたいと抱負を抱いたりして、いつになく前向きです。やっと花開き始めたかなぁと遅咲きのスピリチュアリストです。

 

 では2022年最後の読書会のリポートです。今回は和室がお部屋でした。

畳っていいですねーとリラックス。

シルバーバーチの祈りを唱え輪読開始です。

 

 前回の「落ち穂集」の章の残りを一気に!という予定でしたが、それでもまだ長いので今回も途中までとなりました。最後の12巻ですから、ゆっくり進めていきましょう。

 

 12章 「落ち穂集」60~100

 

(60)悲しみは魂に悟りを開かせる数ある体験の中でもとくに深甚なる意味をもつものです。それが魂の琴線にふれた時、いちばんよく魂の目を覚まさせるものです。魂は物的身体の奥深く埋もれているために、それを目覚めさせるためにはよほどの体験を必要とします。悲しみ、病気、不幸等は地上の人間にとって教訓を学ぶための大切な手段なのです。もしもその教訓が簡単に学べるものであれば、それはたいした価値のないものということになります。悲しみの極み、苦しみの極みにおいてのみ学べるものだからこそ、それを学べる段階まで来ている魂にとって深甚なる価値があると言えるのです。

 

 

「極まらないとわからない」

この日の読書会ではこの一文が特に印象的でした。確かに!と、一同大納得。

 

 これまでの人生を振り返ってみても、自分を成長させたのは、間違いなく苦しみや悲しみだなぁと思います。それらがなければ考えるきっかけがありません。次の休みはどこに行こうかとか、何を食べようかとか、そんなことばかりだったでしょう。(それはそれで幸せかもしれませんが…、そういう人生はそれを選ぶ人に任せましょうとシルバーバーチはどこかで言っておられましたね)。悲しみや苦しみはたくさんの「なぜ」を生み、人生を深く考えるきっかけになります。そのなかでも「極み」は厳しい教師ですが、夜明け前の闇のように「極み」が訪れれば夜明けは近いのかもしれません。すぐ近くには必ず光が待ち受けているような気がします。

 

 悲しみ苦しみの目的は、その体験を克服して一段と強くなり、自己実現することだと思っていたのですが、最近思うことは、強くなったその先に本当の目的があるような気がしています。悲しみや苦しみを経験して、同じ経験をしている人の気持ちを理解出来るようになるためじゃないだろうかと思うのです。なぜそう思ったかというと、献身的な守護霊の姿が心に浮かんだのです。守護霊は人間が悲しみの極みにいる時、背後で一緒に涙を流して共にいるそうです。苦難と立ち向かっている時、その人の横に立ち、手をひっぱって一緒に歩いてくれているのだそうです。そこに見えたのは「愛」でした。悲しみの体験は人を癒すまでの力を身につけるためではないだろうかと考えました。

 

(65)恐怖心は無知の産物にほかなりません。つまり知らないから怖がるのです。ですから、知識をたずさえて霊的理解の中に生きることです。取越し苦労の絶えない人は心のどこかにその無知という名の暗闇があることを示します。そこから恐怖心が湧くのです。人間が恐るべきものは恐怖心それ自体です。恐怖心は闇の産物です。霊力に不動の信念をもつ魂は恐れることを知りません。

 

 恐るべきものは”恐怖心それ自体” ほんとにそうですよね。出来事が怖いのではなく、自分が作り出した心なんですよね。ある人にとって怖いことも別の人にとったら怖くないってことはそういうことですよね。つまり自分次第。その幻想を消火すれば、怖いものはずいぶんと減るのではないでしょうか。

 

(68)地上へ誕生してくる時、魂そのものは地上でどのような人生をたどるかをあらかじめ承知しております。潜在的大我の発達にとって必要な資質を身につける上でそのコースが一番効果的であることを得心して、その大我の自由意志によって選択します。その意味であなた方は自分がどんな人生を生きるかを覚悟の上で生まれてきているのです。その人生を生き抜き、困難を克服することが、内在する資質を開発して真の自我、より大きな自分に新たな神性を付加していくことになるのです。

 

 運命を嘆いているだけだといつまでも目的が成就されません。このために生まれてきたと受け入れ覚悟すれば、そこに意義や目標が生まれて建設的な気持ちになれます。「生き抜く」という表現も使われていましたね。生きることそのことだけでも大きな意義があるのだと思いました。途中でやめてはいけないのです。いつか必ず終わりはくるのですから。

 

(93)”生”を正しい視野で捉えていただきたい。その中で”死”が果たしている役割を理解していただきたいと思います。人間はあまりに永い間、死を生の終わりと考えて、泣くこと、悲しむこと、悼むこと、嘆くことで迎えてきました。私たちは是非ともその無知——死を生の挫折、愛の終局、情愛で結ばれていた者との別れと見なす無知を取り除きたいのです。そして死とは第二の誕生であること、生の自然な過程の一つであること、人類の進化における不可欠の自然現象として神が用意したものであることを理解していただきたいのです。死ぬということは生命を失うことではなく、別の生命を得ることなのです。肉体の束縛から解放されて、痛みも不自由も制約もない自由な身となって地上での善行の報いを受け、叶えられなかった望みが叶えられる、より豊かな世界へ赴いた人のことを悲しむのは間違いです。

 

 死は新しい生命を得ること。痛みからの解放です。死こそ治癒そのものにも感じます。人間は変化を嫌います。死は肉体を失う最大の変化、受け入れるのは確かに大変です。「死ぬ瞬間」の」著者、エリザベス・キューブラー・ロスが死を「蛹から蝶になる」と表現しました。素敵な例えだなぁと思ったことを覚えています。そうはいってもやはり難題ですね。

 少なくとも私たちスピリチュアリストには永遠の命の知識があります。その時を迎えた時その知識はきっと役に立つと思います。全ての人間がそれを知り集合意識が変われば死の恐怖はなくなるでしょうかね。

 

 

(100)叡智というものは体験から生まれます。十分な体験を経て魂がそれを要求するようになった時にはじめて真理が受け入れられます。それから今度は、その知識をどうするかの段階となります。その知識を他人のために活用する義務の問題です。そうした過程は実に遅々としたものですが、人類の進化はそういう過程を経るしかないのです。

 

 社会がデジタル化へ急速に変化している中の若者たちに「今だけ、お金だけ、自分だけ」という価値観が目立つとの意見がありました。一種の個人主義なんでしょうか。ドライなのかな?なんて思いつつ考察してみると「今に集中」はそういえば大事なことです。「自分だけ」というのも他人に振り回されない「自分軸」を持って自己責任を果たせるという意味ではいいのかもしれないなどと思ったりしました。リモートワークも当たり前になり、小さいうちからデジタルに馴染んでいる世代にとって「生きる」とはどんな感じなのでしょうか。私たちとは違う世界を見ているのかもしれません。

 シルバーバーチの説く世界に感じるのは何千年もの昔から綿々と続く悠久の時間が感じられます。先人たちが一生を通して体験して得た智慧や叡智の積み重ねの歴史を感じます。そこへいくと仮想空間での体験には軽さを感じるとの意見がありました。しかし、文明の進化が極まった過渡期なのだとしたら、その時代なりの葛藤があるのだろう、なんてことも思いました。

 

 「文明」と「文化」の違いについてレクチャーがありました。文明というのはデジタル化のような技術や機械の発展を言い、文化とは人類が培ってきた精神的な活動のことをいうようです。文明は”物質”に属していて、文化は”精神”に属するんですね。

 文明の進化は目を見張るものがありますが、精神性については2000年前と今とでそれほど変わっていないと思います。もしかしたら先人の方が叡智に富んでいたかもしれません。その証拠に音楽、美術、文学、哲学、どの分野も昔のものが今でも一流です。

 

 ”よいものは残る” それはなぜかというと、よいものというのは「真理」だから、ということです。なるほどなぁととても心に残りました。真理にふれると魂が喜びます。魂は真理を見極めることができるのです。

 

 

次回 第145回 心のサークル お知らせ

 

 

【と き】  2023年 115日(日)、14時~17時 

【ところ】 シルバーセンター+ZOOM

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(12)』 

【持ち物】 上記書籍をご準備ください。

      <書籍が手に入らない場合はお声がけください。資料作ります。>

【参加費】 喜捨

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。

 日常を離れた空間で、ともに学びましょう!

新しく参加希望の方は、本ブログコメント又は下のメール宛へご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。

【メールアドレス】 kokoronosakuru@gmail.com