【と き】 2020年5月24日(日)、14時~17時
【ところ】 仙台協立第一ビル4階6会議室
【参加者】 進行:US、記録:SK
US、HM、GH、GS、WM、IK、MM、SK 以上8名
【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(10)』の読書会
2か月ぶりの読書会でした。
緊急事態宣言による外出自粛で、これまで休みなく続いてきた読書会でしたが、さすがにこの流れには勝てず、3月と4月は休会になりました。
この状態がしばらく続くのなら、モバイル読書会に移行すべきか? なんて話も出ましたが、5月に入り宮城の感染者はゼロがしばらく続き、緊急事態は解除。貸会議室も使えることに相成り、晴れて無事、集まることができました!
見慣れた面々が続々と集まり、笑顔がいっぱい広がりました。
それにしても、まさかここまでの事態になるとは思ってもいませんでした。
この間、TVでは不安を煽るニュース一辺倒で、感染者の数ばかり数えてましたね。
一方、外出自粛のおかげで時間がたっぷり与えられ、私たちは立ち止まる機会を持ちました。仕事もできなければ、遊ぶこともできない。さぁてどうする?
瞑想! 読書! 勉強! 休養! 心の中が整理されそうな気がしました。
そして新たに得た行動で多かったのはズームでワークショップ!
今年の春はこれまでとは違った価値観のようなものを見つけたのではないでしょうか。
又、この異常事態の中、アセンションという言葉を意識せずにいられませんでした。
これから何かが始まるのか、それともすでに始まっているのか、何も始まらないのか…。
久々に集まったみんなはいつもと変わらない穏やかな表情でしたが、いよいよスピリチュアリズムで学んだことが生かされる時が近づいてきた予感のようなものを持ちつつ集まったのではないかと思いました。
IKさんのマントラのあと、USさんがシルバーバーチの祈りを唱え、第115回の読書会始まりました。
シルバーバーチの霊訓(十)
4章 死ぬということはどういうことか
かれこれ10巻まで読み進んでいる私たちは、「死」については何度も繰り返し学んできており、だいぶ理解が進んでいます。
改めて、学び始めたころを振り返りますと、そのころはまだ、スピリチュアリズムにおける死は、新しい「知識」でしかなく、体の中に落とすまでには至っていなかったと思います。しかし今では、死はただの過程であり、終わりではないということを当然のこととして受け止めています。
奇しくも今、コロナによって人類全体が「自分の死」を少なからず意識させられています。
死に対する認識が違うと、ニュースの受け取り方が全然違っています。
ものすごい恐怖の中にいる人と冷静な人。
同じ事象なのに現実が違うのです。これをパラレルワールドというのかなぁと思いました。
というわけで、今回は「死」について語り合ったかと思いきや、そうではなく、USさんの発した一言を中心に話し合いました。
「この章を読んでいて、ひっかかるところが何か所かあった」
え?それはどこですか? 私はなにも……と申しますと、次のようなことでした。
少々難しい話でした。
「ワンネスと完全と進化について、説明に矛盾があるのではないか?」
私たちは神の一部である———そう言われていますよね。
神は完璧なのですから、その一部である私たちも完璧ですね———たしかにそうも言われています。
しかし、この4章の中でも書かれていますが、未熟な霊と成熟した霊がいる、霊的な進化を目的として生まれてきた、この事との関係はどうなるのでしょうか。
チコちゃん的難問!
ボーっとしておりました。
ムム…コマッタと脳はフリーズしかけたのでしたが、頑張って考えてみました。
これは矛盾しているようで、実は矛盾ではなく、側面では矛盾していても、全体では成立しているというような、まさにパラレルなことなのではないか。
対象が大きすぎてすべてが視野に入りきらないせいであり、表現の問題だけなのではないか! と頭の中は忙しく思考するものの答えになっていません。
これまでシルバーバーチとサークルメンバーとの会話の中に、「当てはまる言語がないせいで説明できないのです」という問答を目にしたことがありました。そのたびに私は、言葉がないなら仕方がないわねと、“理解し難い仕方なきこと“…とそれらをざっくりほっておいて平気でした。
しかし、真正スピリチュアリストたるもの、細部まできちんと読んで、少なくとも「ここがわからないところ」とチェックしておくぐらいはすべきであり、そうすることで理解が深まるというものであります!
私の中にシルバーバーチの言うことに間違いはない…と妄信する気持ちがあり、そもそも疑問をもたないという姿勢があったことにも気づかされました。
盲目の態度は危険とされていますから気をつけねばなりません。
こんな文章がありました。
完全な悟りに到達できるのはどの段階においてかということですが、これはお答えしにくい問題です。と申しますのは悟りというのは固定した限りのあるものではなく、いつまでも成長し続ける状態だからです。悟りには無限の奥行きがあります。これでおしまいという終点がないのです。p62
一つ一つの文章はよく理解できるのですが、私たちは完全だという疑問についてますます混乱するばかり。
USさんは続けて第二問を…。
さて、宇宙はワンネスだといいます。
私(USさん)とあなた(私)が同じだというわけだけど、実際に同じだと感じますか?
「思えません」と私は即答。
だけどワンネスという概念は知っているし、きっとそうなのだろうとも思っています。
でも実際の私の意識は誰とも繋がってはいない。その証拠に私は孤独です。
だんだんと迷路に入っていくようでした。この話はどこに進んでいくのだろうか。
さて、話は反れて、後日になりますが、今、この原稿を書いていましたら流れっぱなしのyoutubeからこんな声が聞こえてきました。
「あなたは地球上に来たら実質一人っきりと知りながら、低いバイブレーションを体験したいと自ら志願したということを忘れないでください」
「実質一人っきり」——この感覚です。「実質」という単語に多くの意味が含まれているような気がしました。
完全の一部、ワンネス、個別、個性 これらは絡み合っているのでは?と繋がってきました。
4章の中の文章も少し抜き取ってみます。
質問:これまでずっと私は、人類の霊魂は徐々に進化してきたものと思っておりました。
回答:そうではありません。進化してきたのは身体のほうです。霊は大霊の一部であり、無始無終です。霊は無窮の過去から存在します。それが人間の身体に宿った時に個別性を具えるのです。p55
人間の体に宿って個別性を装備したとき、霊としての「完全性」から離れるのではないでしょうか。そして不完全になることによって、完全を知る。
人間としての役目を終え、肉体を離れ死を迎えた時に、個別だった意識は完全な霊に戻りすべてを理解する、、、それがワンネスのシナリオかなぁ。
不完全な世界の人間経験で感じた悲しみや苦しみは、完全なる存在の「愛」をさらに強固にし、拡大へ導く……とか?
ワンネスになってしまうと個性はどうなるのでしょう。
死後もそれぞれの個性は失われないとどこかに書いていたと思います。個性の存続こそ永遠の魂だと思うのですが、個性は吸収されてしまうのでしょうか。
もしかしたら個別と個性を混同して考えているからわからなくなるのかもしれません。
死後、霊界へ帰ると地上で頑張ったことは必ず報われるという法則は生きる支えになりますがこんな人もいるそうです。
死後の生命なんか欲しくないと、本心からそう思っている人がいます。そういう人たちにどう説かれますか?
地上なんか二度と生まれたくないと本心から思っている霊がいますよ。しかしそれは、いかんともし難いことなのです。自然の摂理との縁をきることはできません。p59
どちらかというと、私は後者のほうです。死後こそが本来の世界なのですから。
しかし、地上を経験しなければ進化できないという摂理があるのなら、えーい! さっさと終わらせちゃえ、と向こう見ずに、また生れ落ちることを決意するのかもしれません。
ヤレヤレ、因果なものです。
地上生活の一番肝心な目的は、霊が地上を去ったのちの霊界生活をスタートする上で、役に立つ生活、教育、体験を積むことです。もし必要な体験を積んでいなければ、それはちょうど学校へ通いながら何の教育も身につけずに卒業して、その後の大人の生活に対応できないのと同じです。p62
生きている間は、この本で学んだことを一生懸命実践するのみと思っている。
但し、勘違いしないでほしいのは、それを他者へは押し付けない、あくまで自分がどう生きるか?だとUSさんは仰いました。
ほんとうにその通り。それは大切なことだとみんな大きく頷きました。
意識を外に向けるのではなく内へ向けるべきです。
私はいつも思うのですが、地上の人々、中でもとくに霊的知識を手にされた方が背後霊の存在を実感をもって認識してくだされば、どんなに有難いことでしょう。地上の愛する者への無益な害が及ばないように庇い、守り、導いている霊の姿を一目ご覧になることができれば、と思うのです。
その影響力の大きさを知ることができたら、明日のことを思い煩うようなことは絶対にしなくなることでしょう。P65
ほんとうにそうなのかなぁ、そうだったらすごいなぁ。
それらの存在を見たことも声を聞いたこともないので、心を寄せ続けることは難しいのですが、目を凝らし、耳を澄ましたら愛の波動を見つけることが出来るかもしれません。
USのコメント
神は、内在するという見解からすると、完璧な意識が内在するわけなので、霊魂は、進化するというのは、矛盾しているように思えます。しかし、人として宿された個別の霊魂は、カルマの法則が成り立ちますので、進化論で良いと思われます。肉体が、進化するだけではなく、霊魂も進化する。つまり、パーソナリティーとしての意識が、今の自分なわけですから、これは神意識ではないのは、明らかです。いろいろな体験を積んで進化する。これに対して、意識していない自分は、インディビジャアリティーと言われ、潜在意識として、これを包括している。これが、神意識に繋がる。逆に、今流行の言葉で言うと、クラスターの一部が、今の自分なわけです。ここでのクラスターとは、類魂です。それが、霊の正体と言えるようなので、再生では、別の類魂が出て来る。ただし、私というパーソナリティーも消えてしまうわけではなく、意識に永遠に残るわけです。この辺は、シルバーバーチもしばしば述べているように、確かに難解です。死んでみないとわからないでしょう。類魂の永遠の進化の果てに、神意識に到達するでしょうが、これも無限の時間がかかるでしょうね。そして、我々は、不自由な肉体を持って、神意識を今生に顕現させるために生まれてきています。そこが、また神の配慮だとも言えましょう!!陰陽ですね。光を感じるために影を味わう必要がある。苦あれば楽あり。こうして、今生の体験により、我々人間の意識も進化するわけです。
以上、SKさんより要望があり、追記させていただきます。
次回 第116回 心のサークル お知らせ
【と き】 2020年6月28日(日)、14時~17時
【ところ】 仙台協立第一ビル 4階4-C
【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(10)』 5章
【持ち物】 上記書籍をご持参ください。
<書籍が手に入らない場合はお声がけください。資料作ります。>
【参加費】 喜捨
【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。
日常を離れた空間で、ともに学びましょう!