【と き】 2021年8月22日(日)、14時~17時
【ところ】 仙台市シルバーセンター5F+zoom
【参加者】 進行:US、記録:UH
US、ST、UH、HM、YK、WM、SN、IK、SK 以上9名
【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(11)』の読書会
8月になりオリンピックが終わり、と同時に、全国でコロナウイルス患者の急拡大、これまで以上にせわしくなりました。会場でも感染防止の為、マスク着用、ソーシャルディスタンス状態で参加されています。今回はYKさんが久々の2回目でした♪
季節は夏真っ盛りなのですが、最近は30度以下の涼しい日が続いています。月末には暑さが戻るとのこと。蝉の鳴き声が寂しそうな夏です。
今回も会場7名、ZOOM参加2名で開催されました。
いつもの様に主催者であるUSさんのシルバーバーチの祈りの後、輪読が始まります。
4章 既成宗教のどこが間違っているのか
————キリスト教を中心に p102~120
この章の冒頭部に「“今もしナザレのイエスが地上へ戻ってきて自分の名のもとに説かれている教えを聞いたら、いったい何のことだか理解できないでしょう。その多くはイエスが説いたものではないからです。後世の聖職者がでっち上げたものだからです。”これは聖(アン)公会(グリカン)の牧師が初めて交霊界に出席した時にシルバーバーチが語った言葉である。以下その二人の問答を皮切りに、既成宗教のそもそもの間違いはどこにあるのかを総合的に検証してみよう。」
ここからこの章は始まります。
今日は前回からの続きで、その2回目です。
◇聖書には多くの真理が語られているのでしょうか。
神の真理と人間の作り話の混ぜ物です。pp.117
これは聖書を「すべて神の言葉」と信じるキリスト教会の方には刺激的な言葉と思われます。
◇宗教心を持った人に死後の生命の話を持ち出すと、すぐに聖書から“死者と語ってはならない”という文章を引用します。このことをどう思われますか。
二つの要素が重なっております。聖書は永い間にずいぶんいじくり回されてきました。誤訳があり、脱落があり、それに元来がコピーのコピーのそのまたコピーであるということです。誰一人として、原典を持ち出して“これが聖書の始まりです”と言える人はいません。
・・・聖書に述べられていることが神の許可を得たものであるという証拠はどこにもないのです。身の毛もよだつような話があります。とくに旧約聖書がそうです。ぺてん、極悪非道、殺人、暴力等、誰が考えてもおよそ神の啓示とは思えない話がたくさんあります。・・・
聖書を絶対とする信仰家に申し上げたいのは、もしも本当に死者と語ってはならないというのであれば、ではなぜイエスと三人の弟子が山頂で行った交霊の場に、モーゼとエリヤが出現して語りかけたかということです。モーゼとエリヤはとっくの昔に死んでいるのです。そのモーゼが“死者と語るべからず”と述べたというのですが、そのモーゼ自身が死者であり、それが地上に戻ってきて語っているではありませんか。これは信仰厚き方には困ったことであるに相違ありません。pp.117-118
中世欧州では魔女狩りと異端尋問・魔女裁判があり魔女には火あぶりの刑もありました。魔女は悪霊(死者)と交じり、空を飛び、呪文を駆使し、呪いをかける怖い存在とされましたが、かなりフィクションがありそうです。実態はどうだったのでしょうか?キリスト教以外の土着宗教を信じる人々、呪文を使う女性治療者などの説があるようです。映画や小説の魔法使いハリーポッターはヒーローファンタジーとして楽しめますが現実は大変だったようです。
一神教のキリスト教会では死者と語ることは厳禁とされました。映画エクソシスト(悪魔祓い師)では悪霊に憑依された少女が呪いの言葉が発しますが、それも信じる人々次第かもしれません。
教会では聖書に書かれた神の言葉は絶対です。彼らは教会が認めた聖書以外の、例えば土着の神信仰やシルバーバーチのような死者の霊からの言葉を、悪霊の言葉として信じないようにと否定してきたようです。悪魔の存在もあったのでしょうが、教会の権威を揺るがす(治安を乱す)存在となることを恐れたのだと思います。
キリスト教や仏教など宗教団体の組織は、自宗教のドグマ(教義)と純粋性で固く閉ざされていて、他を寄せ付けない(排他的)傾向がありますが、しかしそれが無いと独自性が失われます。宗教の良い面と悪い面、そこに紛争の種が有るのかもしれませんね。
◇(招待された科学者)科学者としてのこれまでの人生は悩みの連続でした。その第一は神の概念で、スピリチュアリズムを知ってからは、あなたが“大霊”と呼んでおられるものを信じておりますが、それまではキリスト教の神の概念が受け入れられなくて私なりの概念を抱いておりました。それは、神とは広い意味での大自然の法則と同一視できる存在であり、キリスト教で説かれているような個体性をもつ存在ではないということです。いかがでしょうか。
まず、真実とはほど遠いキリスト教の概念から始めてみましょう。ここですぐ問題となるのは、有限の言語では無限なるものは表現できないといことです。ゴッド、神、あるいは私のいう大霊は永遠の存在であり、初めもなく終わりもなく、無窮の過去から存在し、これからも永遠に存在し続けます。霊ないし生命力も同じように永遠の存在であり、初めもなく終わりもありません。かくして神、生命、霊、こうしたものは常時存在しているもので、時間的にいつから発生したという性質のものではないということです。
限りある存在であるあなた方人間には全体を把握するということは不可能ですから、宇宙の背後のその壮大な力は、限られた形でしか想像できないことになります。
今あなたは神を大自然の法則と同一視しているとおっしゃいました。しかし神は大自然の法則よりもっと大きい存在です。なぜなら、その法則を支配しているのが神だからです。神とはその自然法則と同時にそれが作用する仕組みをもこしらえた無限なる知性です。
残念ながら地上の大部分の人間にとって、神はどうしても人間に似た存在とならざるを得ません。個的形態を具えていない存在というものが想像できないのです。しかし神は、あなた方が想像するような個的存在ではありません。あなた方が存在するような人物的存在ではありません。
神とは非人間的存在でありながら同時に人間性のすべてを表現する存在です。これはあなた方には理解できないでしょう。神はすべての生命の中に宿っています。その生命が人間という形で個別性をもつことによって、神は森羅万象を支配する法則としてだけでなく、個性をもつ存在として顕現したことになります。
ですから、神を一個の存在としてではなく、無限の知性と叡智と真理を具えた実在そのもの、人間に想像しうる限りの神性の総合的統一体と考えてください。それは男性でもなく女性でもなく、しかも男性でもあり女性でもあり、個性を超越しながら同時にあらゆる個性の中に内在しているものです。
神は万物の内側にも存在しています。神から離れては誰一人存在できません。神から切り離されるということがありえないのです。あなたの中にも存在しますし、雨にも太陽にも花にも野菜にも動物にも、その他いかに小さいものでも、存在を有するかぎりはすべてのものに宿っているのです。
私が大霊と呼んでいるこの神の概念を伝えるのは至難のわざです。あらゆるものを支配し、あらゆるものから離れず、存在するものすべてに内在している崇高な力です。pp.106-109
彼は、神・大霊を人間の想像力を超えた存在であると言うのです。それは現代脳科学の限界の先にある未来の科学に委ねることなのかも知れません。しかし私たちは物質的脳の柔軟性も知っています。宗教的神を飛び越えて、彼が語る無限の知性と叡智と真理、それを具えた神性の総合的統一体と考えることは、少し難しいが出来るかも・・・。
◇(もう一人のゲスト)神が完全な叡智と知性と愛を具えた普遍的な霊であり、全生命を支配し、しかも人間を自分に似せて創造したのであれば、なぜ人間は不完全なのでしょうか。
それはミクロとマクロの問題です。人間は神の完全性の要素をミクロの状態で内蔵しております。人間はそれを発現させ完成させなくてはならないのです。それは無限の時間を要する過程です。
別に難しい問題ではありません。人間的精神と霊と身体とが完成された状態で創造されたわけではありません。が、内部に神性と言う完全性の火花が宿されています。その火花を大きな炎と燃え上がらせるためには、人生を自然の摂理に順応させるのが人間の務めなのです。
地上の人間が厄介なのは、自分で勝手な神を想像することです。人間的存在として想像する場合でも女性ではなく男性として想像します。男性である方が女性であるより優れているかに信じているわけです。
神は人間を“霊的”にご自身に似せて創造されたのです。生命は霊であり霊は生命です。霊的に似せて創造された以上、あなたは永遠に神とつながっており、神性を共有しているのです。ということは必然的に人間は霊的大家族の一員であることになります。同じ霊性が宿っているからです。ですから人間は“霊的”に神に似ているのであり、姿が似ているというのではありません。pp.109∼110
悩み苦しむ私たち人間は不完全です。そこに人間の「成長の鍵がある」と彼は言います。そして内面に「神性という火花」が眠っている、それを「大きく燃え上がらせよ」、そのためには「人生を自然の摂理と順応すること」だとシンプルに言います。それが「人間の務めである」と・・・。
そうなんですが、それが簡単ではないのが人生だと、これは言い訳ですね。
◇祈りの効用について説明してください。
知識の領域を少しでも広めようとする努力、病める人を一人でも多く治してあげたいと思う心、
死別の悲しみに暮れる人をもっと慰めてあげたいと思う気持ち、人生に疲れた人があなたという灯台を見つけられるように一層の輝きを増したいという願い。こうした真摯な祈りが何の反応もなく見過ごされることは絶対にありません。
あなたは一人ぼっちではないのです。大軍の一員なのです。われわれの背後、見えざる次元には、たぶんあなたには想像もできないほど進化した霊の大集団が控えているのです。あなたも、私も、そして私たちと志を同じくする者は、いつでもその援助を授かることができるのです。
唯一の制約条件は、それを受け入れ吸収する能力です。霊的資源を培うほど、それだけ多くの美しさと輝きと壮大さと高潔さと光沢を身につけることになります。それが魂を刺戟して、地上への誕生とともに賜った遺産である内部の神性をますます発現したいと願う気持ちにさせるのです。pp.112∼113
祈りは、人が神に向かい発する願望や感謝の言葉です。祝詞も祈りであり、お経も祈りです。
その言葉が誠実であること、真摯な祈りであること、その願いは必ず聞き届けられる。大事なことは、その援助を受け取る側の吸収する能力だと彼は言います。また、神を信じるだけではなく、自己の魂の存在と内部の神性の存在を信じ磨き向上する気持ちが大事だと言うのです。
神様に願掛けした後に、必ずお礼参りをしなさい、と昔の人は言っていたことを思い出します。
つまり、アウトプットとインプット。何事もいい加減ではダメだと言っているようですね。
次回 第130回 心のサークル お知らせ
【と き】 2021年 9月19日(日)、14時~17時
【ところ】 zoom開催に変更!!
【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(11)』 4章
【持ち物】 上記書籍をご持参ください。
<書籍が手に入らない場合はお声がけください。資料作ります。>
【参加費】 喜捨
【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。
日常を離れた空間で、ともに学びましょう!
新しく参加希望の方は、本ブログコメント又は下のメール宛へご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。
【メールアドレス】 kokoronosakuru@gmail.com