心のサークル(blog版)

心のサークルは、スピリチュアリズムを学べますが、オープンな初心者向です。

第138回 心のサークル報告

【と き】  2022522日(日)、14時~17

【ところ】  仙台シルバーセンター+zoom

【参加者】 進行:US、記録:SK

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【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(12)』の読書会

 

 

雨の季節になりました。

大概雨は憂鬱です。とくに洗濯物がたまっている日などは、ちぇっ雨か、と文句を言いたくなるものです。でも用事のない雨の日はちょっと違うのです。家族が出払った後、静かな部屋の中で窓に打ちつけられる雨を一人ぼんやり眺めているのは少し贅沢で、雨も案外素敵ねなんて呟くのでした。

——というわけで、人間とは甚だ勝手でございます。

 

5月の読書会は会場7名、zoom2名、合計9名の参加でした。

前日、福来研究所の定例会にて USさんの講演会があり、しばらくその様子や話題になったヘミシングの話などみんなで歓談。そして、いつものとおりシルバーバーチの祈りを唱え第5章を輪読しました。

 

 

5章 向上進化の原理

 

スピリチュアリズムの根幹が書かれていると言っても差し支えない5章。

内容に力があるせいなのか読み終わった後、場のエネルギーが高まったような気がしました。

 

 

21)光と闇、日向と日陰は一つのものの二つの側面です。闇がなくては光の存在はわからず、日陰がなくては日向のありがたさもわかりません。人生の苦難も魂の成長を促すための手段なのです。困難・障害・不利な条件、こうしたものはみな魂の試練です。それを一つ一つ克服するごとに魂は一段と強さを増し、一段と清さを増し、一段と深みを増し、一段と霊格を高めるのです。

 

 

困難を乗り越えた後の意識状態は前の自分とは違っているのではないか? という意見がありました。

 

それは実感としてあるなと感じます。例えるとすると不調和がなくなった健康体の軽さ。伐採が終わって見晴らしがよくなった丘の上の景色。そんな感じでしょうか。

 

でも暫くすると、また別の修行が始まる……!

人生はその繰り返しかなぁと思います。

 

自分が変わると周りも変わる現象がありますね。

これまでの友達と疎遠になって人間関係ががらりと変わってしまったという話をよく聞くのですが、自然な流れなのでしょうかね。

 

 

 

(9)霊の褒章がもし簡単に手にできるものであれば、それは手にするほどの価値はないことになります。成就、達成、こうしたものには犠牲がつきものです、ですが、その犠牲には必ず償いがあります。物的に失ったものは、それよりはるかに価値のあるものによって埋め合わせがあります。

 

何かを犠牲にしなければならない。

何も失いたくないと執着しているとなかなか次へ進めないことがあるなぁと思います。

 

「諦める」という決断は一見消極的のようにも思えますが、本当は勇気のある前向きな決断なのかもしれないな、なんて最近は思うようになりました。前進は必ずしも「得る」だけではないのかもしれません。

 

 

23)苦しんでいる人を見て同情し、その痛みを一刻も早く取り除いてあげたいと思う気持ちはごく自然な情として私も咎める気持ちは毛頭ありません。しかし、その時のあなたは苦しみという観点からのみその人のことを考え、苦しみの中で過ごす時間はその苦しみの償いとして得られる霊的な喜びにくらべれば、実に些細なものに過ぎないことにお気づきになりません。

 

 

悩んでいる人を前に”困難はチャンス!”と霊的な見解をそのまま述べるとヒンシュクを買いますよねと一同苦笑い。ましてや”撒いた種ですよ”なんてことはますます言えません。

 

人は相談することで悩みを吐き出すことができるので、傾聴するだけでもいいのではないか?との意見がありました。

 

傾聴する時の心構えとして「評価をしない」「寄り添う」ということが大事とのことです。

 

ただひたすら寄り添う。相談を受ける側にも忍耐がいるようです。

 

 

27)地上の人間は、古くから伝えられたものだからという、ただそれだけのことで、古い教えにこだわりすぎます。真理と時代とは必ずしも手を取り合って進行するものではありません。子供の時に教え込まれた大切な信仰を棄てるのが難しいものであることは私もよく知っております。しかし、性が拒否するものは、いかにいわれのあるものであっても棄て去ることができて初めて魂は自由になれるのです。

 

>理性が拒否するものは棄て去りなさい。

 

シルバーバーチはたびたびこのように言います。

 

さて、理性とはなんでしょう?

理性に任せていて判断を間違えることはないでしょうか?

 

出された意見は次の通りです。

 

◇ 理性は幼児にはまだ無い。経験しながら成長のうちで育っていくもの。

◇ 理性は失敗することもある。

◇ 理性は霊性の影響を受ける。

◇ 霊性>理性・感性 

◇ 理性が感情をコントロールできると落ち着いた人間になれる。

◇ 理性と感情のバランスが大事。

◇ 理性は自由意志の象徴

◇ 理性が強くなると冷たい印象になる。愛があるかどうかが鍵。

 

 

愛は感情的なものと霊的なものとがあります。同情は感情でしょうか? 

 

⇒感情です。

 

困難や障害を取ってあげたいという気持ちは一種の愛ではあるけれど、カルマを摘み取るチャンスを奪うことになるかもしれません。

 

UCさんからこんな話が…。

 

美輪明宏さんが歌う、愛の賛歌の歌詞で「もしあなたがのぞむなら、なんだってするわ、どんな宝物だって盗みに行く、祖国も友達もみんな裏切ってみせる」と歌われているけれどこれが感情的な愛なんじゃないでしょうか。どんなに相手を愛していても理性が拒否すればNOと言うのが自由意志なのではないでしょうか。

 

なるほど! すごくよくわかります。

 

どうやら私は思い違いをしていたようです。

というのは、これまではこの歌の女性の情熱的で一途な気持ちに憧れてさえいたからです。でも確かに情熱って感情ですよね。その感情に振り回されて苦労することはすごく予想できます。それに自分の心もそうですが、相手の心が変わってしまったらあっという間に土台が崩れてしまう不確かさもあります。

 

愛する男性に対してでもNOと言える女性は自分軸でいられますね。揺らぐことがなさそうです。

 

愛の賛歌、とても有名で愛されている歌ですが、こういう愛し方はもしかしたら時代と共に消えていく運命なのかもしれないなと思いました。

 

 

7)何の問題も生じないようでは、それは哀れなロボットと同じです。血の通わない操り人形です。あなたの内部には地上で開発すべき可能性が無限に秘められているのです。それは日向ぼっこをしているような呑気な生活、何一つ不自由のない生活の中では開発されません。嵐の中で必死に舵取りをしている中においてこそ内部の霊力が呼び覚まされ発達するのです。私にはこんな厳しい説教しかできなくて申し訳ありません。

 

 

今、世界は不穏な状態にあります。この現実はもしかしたら世界が変化するために起きている現象なのかもしれませんねという意見がありました。

 

霊的な世界へ進化する過程の中で、必要な事柄なら進むしかないのかもしれないなぁと思うのでした。

 

(28)永遠の生命の営みには限界というものがありません。美しさにも限りがありません。音楽の壮麗さにも限りがありません。魂が進化の階梯を登れば登るほど、美と調和の世界が自分のものとなってまいります。より進化せる霊にはより大きな調和の世界が待ち受けております。

 

 

霊界は光のグラデーションの世界。

自分がどの光と合うのか探します。

 

 

 

次回 第139回 心のサークル お知らせ

 

 

【と き】  2022年 6月26日(日)、14時~17時 

【ところ】 仙台シルバーセンター・4F(和室)とZOOM

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(12)』 6章

【持ち物】 上記書籍をご準備ください。

      <書籍が手に入らない場合はお声がけください。資料作ります。>

【参加費】 喜捨

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。

 日常を離れた空間で、ともに学びましょう!

新しく参加希望の方は、本ブログコメント又は下のメール宛へご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。

【メールアドレス】 kokoronosakuru@gmail.com