心のサークル(blog版)

心のサークルは、スピリチュアリズムを学べますが、オープンな初心者向です。

第137回 心のサークル報告

【と き】  2022年4月24日(日)、14時~17時

【ところ】  仙台シルバーセンター+zoom

【参加者】 進行:US、記録:SK

US、ST、UH、WM、HM、IK、Su、SK   以上8名

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(12)』の読書会

 

 

桜の花が散り新緑の季節となりました。街路樹の若葉が日に当たってキラキラと輝いています。

 

「青葉繁れる」——。

 

ご存じのかたも多いと思いますが、井上ひさしさんが書いた青春小説のタイトルです。

 

仙台が舞台のお話ですが、青葉通りや定禅寺通りケヤキ並木の下を歩く時、私はきまってこのタイトルを思い出します。

 

ワサワサと繁る緑の下はほんとうに気持ちよくて、「青葉繁れる」——まったくその通りだといつも感心するのです。たった五文字なのに仙台の街を素敵に表現してくださってます。

 

仙台市民自慢の木々たち。今年もちゃんと青葉を繁らせ市民の癒しの場所を作っています。

 

 

さて、久々にシルバーセンターでの開催の読書会でした。

みんなが集まったころを見計らって、USさんがシルバーバーチの祈りを唱え、読書会が始まりました。

 

 

4章宇宙の根本原理——因果律

 

 

最近「シュタイナー教育」が気になっている、とUSさんが仰り、しばらくその話をみんなでシェアしました。

 

 

教育は子供たちのその後の人生に大きな影響を与えます。今の教育は進化の目覚ましい多様性の時代に追い付いているでしょうか? もし子供たちの才能よりも教育のほうが遅れているとしたら——。学校は子供たちにとって足枷の存在になってしまいます。

 

教育現場はマニュアル化されているという声があがりました。感性豊かなる子供を育てる現場に決まりきったマニュアルが追い付くはずがありません。

 

心を病んで学校に行けなくってしまう子供たちが急増しています。

大人たちの旧来然とした物質的な価値観で子供たちを育てることの限界がきている現象かもしれません。

 

心のサークルでは以前から霊的な視点が教育に持ち込まれたらどんなに素敵だろうと語り合っていました。見えない世界があることを知れば世界は広がります。それを知ったうえで成長したら、精神的に落ち着いた大人になれそうな気がします。

 

シュタイナーの教育は「霊性」に視点を置いた教育論だそうです。

 

 

「ほめないでください」

 

褒めて育てることは、一見子供の良い点を伸ばしてあげるよい育て方のように思えますが、そこには落とし穴があって、子供の心に褒められたいという「依存」が生まれてしまうのだそうです。

 

「点数で子供を評価しない」

 

良い点をとることがよいことで、悪い点をとることは恥ずかしいことと思って成長してきました。学年順位がとても気になりました。他人よりも上を目指す。そんな価値観で私は育ってきたんだなぁと改めて思います。

 

点数など関係のないシュタイナー教育で育った子供がよく口にするのが「根拠のない自信がついた」だそうです。

 

自信は”生きやすさ”にもつながります。

自信は育ち方で培われるものなんですね。私に自信がなかったのはそういうことだったのかと思いました。

 

大人になった今でも「評価」という価値観に振り回されています。

なにごとにつけ良い悪いと評価ばかりしています。そして他人から評価されることに怯えます。

 

いまだ多くの親はコミュニティーの中で優位に立つことが成功だと信じ、子供にそう刷り込みをしているのではないでしょうか? 

 

評価は負の感情を生んで生きづらくしているのではないでしょうか?

シュタイナー教育はそういうところに気付いた教育なんですね。

 

ひとりひとりの子供たちみんなが認められ、それぞれの個性が自由に表現できる、そんな社会になればいいなと思いました。

 

 

ウクライナとロシアの話題になりました。

 

 

どっちが悪いかということを人々は論じがちだけれど、考えるべきはそういうことではないのではないかという提言がありました。

 

子供、老人、女性が軽々しく命を奪われ、家や財産が一瞬で無くなってしまう戦争。

文明国では起きないと思っていた戦争、当たり前の生活が当たり前ではなくなる現実が起きてしまった現象をみて、なにを考えるべきか。

 

自分の身に起きた時どうするのかを考える機会を与えられているのではないかとUHさんが仰いました。

 

難しい問いだなぁと思いました。

 

遠い国で起きている戦争、たくさんの民間人がいわれもなく犠牲になっています。

遠く離れた平和な日本に住んでいる私は何を考えるべきか?

 

問題が大きすぎて途方に暮れてしまいました。

 

…とそう思ったところで思いました。

大きな問題がおきた時こそ自分の生き方を点検することが大事なのではないか?と。

 

霊性進化の道を外れていないか自分の心を観察すること。

 

世の中の情勢が乱れたからといって慌てて周りと同調するのではなく、惑わず霊的視点を保つことができるよう鍛錬の準備をすることにもつながるのでは…。

 

結局これまでの日々と同じように、こつこつと霊的に生きることを意識しながら生きるしかないなと結論づけました。

 

 

 

4)個人であろうと集団であろうと、民族であろうと国家であろうと、摂理に反したことをすればそれ相当の代償を支払わねばなりません。私はつねづね摂理の働きは完璧ですと申し上げております。その結果が人間の目には見届けられないことがあります。が私は、原因と結果とが前になり後になりしながら機能していることを確信しております。それが法則だからです。このことは何度も申し上げてきました。が、ここで改めて申し上げます——すべては法則であり、神の摂理の働きでしかないのです、と。

 

 

本当に摂理は完璧なのか? 

 

シルバーバーチが教えてくれることをふんふんと頷いて読んでますが、自分がどれだけこれを「本当のこと」として理解しているか時々疑問を感じます。

 

なんの罪もない子供や弱き人々が残酷にも犠牲になる現実を見て、「それも因果だ」とは言いづらいからです。

 

なぜ自信を持って言えないのか? シルバーバーチを信頼していないのではないか? と思うわけなんですが、そうではなく、もし、それを言ったとき、当事者はただただ責められたと誤解するだろうと考えるからです。苦しくて慰めが欲しいと十分にわかっているときにそんな厳しいことはなかなか言えません。

 

でも、やはりシルバーバーチが言うとおりだとは思います。人間にその因果のすべてはわからないけれど、きっと必要な出来事に違いないのです。そうじゃなかったらスピリチュアリズムは根底から崩れてしまうのではないかと思うのです。まぁ摂理は摂理ですから誰が何と言おうと崩れるも何もないのですが…。

 

苦しみとはなにか?を知っていれば、「思い出して!」とエールを送ることができるのにと思います。

 

私たちは苦しみに服従するために生まれたわけではなく、苦しみの中で自由意志をどう発揮するかを挑戦するために生まれてきた。そう理解できたら苦しみにも意味が生まれてくるのではないでしょうか。

 

因果なのだという摂理を受け入れられると、人は苦しみから救われるような気もします。もちろん前向きな意味でですが。

 

 

6)流血の悲劇を何度くり返してもなお懲りない偽政者が牛耳る地上では、それが生み出す苦難や悲哀の中で摂理を学ぶしか方法がありません。本当は愛と互助の精神を発揮する行為の中で学んでほしいのですが、それが出来ない以上、摂理に逆らったことをして痛い思いをするほかありません。地上で偉い人が必ずしも霊界でも偉いとはかぎりません。こちらでは魂の偉大さ、霊性の高さ、奉仕的精神の強さが重んじられます。こうしたものは物的な金ピカの輝きが消えたあとも末永く残ります。

 

霊性が進化すると愛と互助の精神を発揮する行為の中で学ぶようになる。

 

アウシュビッツのコルベ神父のことが思い浮かびました。

神父の心の中にはアウシュビッツのなかにいても愛と互助の世界が広がっていたんですね。

 

こんな風にも考えます。

戦争という個人の力ではどうしようもない恐怖の中にいる人々は「地球全体の暴力という歴史の因果律を終わらせるための犠牲」を引き受けてくれた人々かもしれないと。

 

その犠牲を無駄にしないように私はちゃんと生きなければならないと思うのでした。

 

(1)あなたの霊性の高さは人生をいかに生きてきたかによって決まります。この摂理はすべての人間に例外なく当てはまることであり、どう繕ってみてもごまかしは効きません。私が”摂理”という時それは大自然の法則のことを意味し、根本的には原因と結果の法則、すなわち因果律のことです。自己中心の生活を送れば、その結果としていじけた性格ができ上がります。なぜなら、利己的になることは霊性がいじけていることを意味するからです。他人を思いやる生活を送れば、それはあなた自身のことも思いやることになります。霊性が高まるからです。この法則に例外はありません。

 

 

>自己中心の生活を送ればその結果としていじけた性格ができ上ります。

 

ここにちょっと注目してしまいました。

人を平気で傷つけたり、暴言をはいたりする人がいます。なぜ良心が痛まないのかいつも疑問に思っていましたが、それは霊性が低いからなんですね。当たり前のようでもありますが妙に納得しました。

 

>他人を思いやる生活を送ることが霊性を高めることになる。

 

”思いやり”も難しい問題です。相手のことを思ったつもりが実は自己満足にすぎず、逆に相手の迷惑になっていたり、お節介になっていたり。

霊性を高めたい。誰かの役に立ちたい。そんな風にやっきになるのも違うような気がします。

 

霊性を高めるという行為はもっと自然な流れかもしれません。

 

他人のことを考える前にまずは自分のことを整えたほうが簡単ではないでしょうか。

順番を変えて、「自分を思いやれば他人を思いやることができる」に変えてみるというのはどうでしょう。

 

日本人は往々にして自分に厳しいんですよねー。

自分を肯定しましょう! シュタイナーで育った子供たちが言うように「根拠のない自信」、その心境を持つためにも。

 

 

 

 

 

 

次回 第138回 心のサークル お知らせ

 

 

【と き】  2022年 5月22日(日)、14時~17時 

【ところ】 仙台シルバーセンター・5FとZOOM

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(12)』 5章

【持ち物】 上記書籍をご準備ください。

      <書籍が手に入らない場合はお声がけください。資料作ります。>

【参加費】 喜捨

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。

 日常を離れた空間で、ともに学びましょう!

新しく参加希望の方は、本ブログコメント又は下のメール宛へご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。

【メールアドレス】 kokoronosakuru@gmail.com