心のサークル(blog版)

心のサークルは、スピリチュアリズムを学べますが、オープンな初心者向です。

第135回 心のサークル報告

【と き】  2022年2月20日(日)、14時~17時

【ところ】  zoom

【参加者】 進行:US、記録:SK

US、ST、UH、WM、TN、SM、IK、SK   以上8名

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(12)』の読書会

 

 

1月に引き続き2月もズームのみの開催になりました。

家にいながら画面上で全員集合。世の中はほんとに進んだなぁ~。

外出自粛の不自由が教えてくれた自由はとっても便利です。

 

さて、対面で集まる時はみんなが一斉に話し出したり、あっちこっちで小グループに分かれてガヤガヤとなったり(笑)、、いえ、和気あいあいとなったりするのですが、ズームはその性質上、一つの話題や一人の意見をみんなで集中して考察する感じになります。話し合いがとても深くなる印象があります。

 

いつものようにUSさんのシルバーバーチの祈りから輪読が始まりました。

今回の読書会は皆さんの深い深い考察で、いつになく話は盛り上がりました。

深すぎてまとめられるか心配なほどです。

 

 

 

2章 人間・死・死後の世界

 

25項目に分かれて書かれていた内容はどれもが興味深くて濃い内容だったなと感じました。

 

まずは24項目目のこの4行について意見交換。

3時間の読書会のほとんどをこの項目について話し合いました。

 

(24)インディビジュアリティはパーソナリティーよりはるかに大きな存在です。肉体の死後に生き続けるのはパーソナリティーではありません。インディビジュアリティーを太陽に例えれば、パーソナリティーはその太陽が作り出した影ほどの存在です。死後インディビジュアリティーは地上では表現できなかった潜在的資質を徐々に発揮していきます。

 

 

さて復習です。

インディビジュアリティーとパーソナリティーとは? 

みなさんからの意見を並べてみました。

 

◇どちらも私でしょうか? 

 

◇ダイヤモンドに例えると、パーソナリティー(今の私)はダイヤモンドの一面で、インディビジュアリティーはダイヤモンド全体です。

 

◇インディビジュアリティーとは、変わらない「真我」です。

 

◇地上で顕現しているのはパーソナリティー

 

ユングの概念に「ペルソナ」(persona)という言葉があります。

ペルソナはマスクを取り換えることによって違う顔を見せる個性のこと。自己の「外的側面」ともいうようです。

 

 

◇パーソナリティーとしての私がこの世に降りるのは今世だけ。

輪廻転生ではダイヤモンドの別の面のパーソナリティーが地上へ降りるのではないか? 「今の私」として地上に降りるのは今世だけ。だからとても貴重な体験中である。

 

◇パーソナリティーにはそれぞれにミッションがあるのではないか。

 

◇神は内にあり。

パーソナリティーとインディビジュアリティーは分断されていない。つまり、私はダイヤモンド全体へアクセスすることができる。ダイヤモンドは私自身でもある。

 

◇「我」という意識への執着がなくなったとき、インディビジュアリティーは完成? 

 

「我」は究極のエゴですよね。我に執着しないという感覚はあまりに壮大すぎて、宇宙空間のような永遠の雰囲気を感じました。

 

シルバーバーチの訓えは「あなたたちはインディビジュアリティーです」というのが基本。イエスも同じ。しかし、その弟子たちの段階でインディビジュアリティーの概念は消えパーソナリティーとして布教が始まったのではないか。

 

 

皆さんからの意見で、だんだんとインディビジュアリティの感覚が分かってきました。

「私」の背後に控える「全体としての私(インディビジュアリティ)」に意識を集中するととても神聖な気持になります。

 

「私」とは自分が考えているよりずっと素晴らしい存在である。なぜなら「私」の背後にはたくさんの知恵をもった「真の私」が存在しているから。

 

 

その真我と繋がる方法はあるでしょうか?

インディビジュアリティーを発揮している時とはどんな時かをあげてもらいました。

 

◇無心の時

◇本質が発揮できた時

◇笑っているとき

◇アイディアが湧いてくるとき

◇真理をみつけたとき

 

 

続けてこんな話題に進みました。

 

「いい子になりなさい」と育てられ、ずっと受け身で生きてきた人が大人になってひとりになった時、自分はどう生きたらよいか分からなくなる。そんなときはどうするか?

そこかしこに見られる現象です。私たちも多少そういう面を持っているのではないでしょうか。

 

パーソナリティーではなくインディビジュアリティーを発揮すればいい。

 ⇩

真我を磨きなさい!

 ⇩

どうすれば磨ける?

 ⇩

瞑想。

 

瞑想は自分を消し、自分の内(魂)に入ることです。するとインディビジュアリティーに気付きます。気付くだけでよいのです。

 

自動的にインディビジュアリティが目覚めるからではないかと思いました。

 

真我につながるとインディビジュアリティー的な会話ができますと誰かが仰りました。

「それはいいですねー、素敵ですねー」とみな笑顔で頷きました。でも心のサークルはそもそも真我で会話する会でした。そっかだから楽しかったんですねー。この会の奇特性を改めて認識しました。

真我で会話すること、日常の他の場面ではなかなか無いことのように思えます。そんな機会に恵まれているということ、とても豊かなことだなぁと思います。

 

 

(5)あなたの行為、あなたの活動、あなたの思念、要するにあなたの生活そのものがあなたという実在を形成していくのです。その実在は肉眼では見えませんが、”死”の過程をへて肉体と永遠に訣別した瞬間から、それがまる裸にされます。それ以上に立派に見せることもできませんし、それ以下に惨めにみられることもありません。地上生活によって形成された性格をそっくりたずさえて行くのです。平凡な日常生活の中で培われた霊的資質こそあなたの永遠の財産となるのです。

 

所有したい。環境に恵まれたい。人を従わせたい。称賛を浴びたい。

私たちは物質的なことばかりに重点を置き、 不安と取越苦労を呼び寄せて多くの時間を割いてしまっています。

しかし、ほんとうに得なければならないのは霊的な資質。それは日常生活の中で得るものなんですね。つい惰性で日常を生活していますが、霊的な視線でとらえ直しをしてみようかと思いました。なにか新しい側面を見つけることができたらうれしいです。副産物が生まれるかもしれませんよね。

 

 

(8)人間は物的身体という牢の中で生活しています。その牢には小さな隙間が五つあるだけです。それが五感です。みなさんはその身体のまわりで無数の現象が起きていても、その目に見え、その耳に聞こえ、その肌に触れ、その舌で味わい、その鼻で嗅いだもの以外の存在は確認できません。ですが実際にはその身体のまわりで無数の生命活動が営まれているのです。見えないから存在しないと思ってはいけません。人間の五感では感知できないというに過ぎません。

 

私たちには伴走者がいます。私のすべてを理解し横に並び一緒に坂道を歩いてくれている守護霊。背中を一生懸命に押してくれている先祖霊。心を慰めようと花束を差し出してくれている天使たち。

不安や恐怖感はその存在達の気配を遮断してしまいます。波動が乱れるせいで視界が悪くなるそうです。砂が巻き上がって水の底が見えなくなるように。

 

(17)厳密に言えば「霊は身体に宿る」という言い方は適切ではありません。霊と身体とは波長の異なる存在だからです。本当のあなたは体内にいるのではありません。心臓と肺の間に小さく縮こまっているのではありません。地上で生活するためにこしらえられた物的装置を通して自我を表現している”意識”です。

 

私は”意識”です。そう感じてみます。

肉体という物質的な存在が強すぎて意識体に焦点を合わせきることは難しいですが、その感覚に耳を澄ますと肉体の私よりずっと霊的だということを感じることが出来るでしょう。

 

以上、報告を終わります。

 

 

次回 第136回 心のサークル お知らせ

 

 

【と き】  2022年 327日(日)、14時~17時 

【ところ】 協立ビル5FZOOM

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(12)』 3

【持ち物】 上記書籍をご準備ください。

      <書籍が手に入らない場合はお声がけください。資料作ります。>

【参加費】 喜捨

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。

 日常を離れた空間で、ともに学びましょう!

新しく参加希望の方は、本ブログコメント又は下のメール宛へご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。

【メールアドレス】 kokoronosakuru@gmail.com