【と き】 2020年7月19日(日)、14時~17時
【参加者】 進行:US、記録:SK
US、ST、HM、GS、GH、SA、IK、UC、TN、NN、SM、SN、SK 以上13名
【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(10)』の読書会
4か月ぶりにホームに戻りました!
我が家のような気分で歯科医師会館に集合です。
ああ、懐かしい~。
今回もたくさん集まってくださいました。
13名の皆さまです。
そのうち初めての参加者は3名様。
先月に習い、またまた自己紹介。
スピリチュアリズムに出会った経緯を皆さんお話してくださいました。
「神」や「死」について小さなころから興味があったという共通点がありました。
自分という存在、日々の出来事、宇宙に対して、なぜ?という疑問。
哲学へその答えを求めたり、教会へ出向いてみたり、そこでそれなりに学びはあったけれど、なにか決定的ではないということ。
「ほんとうのこと」が知りたい、と探求してきた面々でした。
そして、これだ!とそれぞれの直観が導いたのがスピリチュアリズムだったという訳です。
USさんが10年前にこの会を立ち上げ、ずっと継続され、そして、みんながそれぞれのタイミングでこの会に導かれたのでした。
月に一度、県内各所から小さな光たちが同じ時間に同じ場所を目指して集まる様子は、空から眺めたらとても頼もしい光景なのではないかなぁと思いました。
自己紹介の後、USさんの3,11の震災体験が語られました。
自宅の窓から、迫りくる黒い水を見た時のUSさんのお話は体験したものにしか分からないのだろうけれど、みなそれぞれあの日を思い出しながら話に聞き入りました。
USさんはあの津波のことは前々から夢で予知していたそうです。
実際に目の当たりにした時、「やっぱりきたか」と思ったというくだりについて、参加者のTさんが、自分だったらそんな風に冷静でいられるだろうか…と考え込んでいらっしゃいました。
2011年3月11日。
自然はこの日を境に「いつもの時間」を後にし「異常」へと時を刻み続けているような気がします。
今年もそれに洩れず、7月には豪雨に見舞われました。
そして今もなお続いている新型ウィルスの問題も、まさに全世界が対面している「異常」です。
読書会の前の懇談の時間が長くなりました。
15:30より、UさんのマントラとIさんの誘導瞑想をして頂き、USさんがシルバーバーチの祈りを唱え輪読を始めました。
シルバーバーチの霊訓(十)
5章 死んだあと、どうなるのか
5章を2回に分けたため、今回はP84から読みました。
地上は学校のようなもの。学ぶために降り立つところであり、何を学ぶかは誕生する前に自らが決定しているとのこと。
その自覚は本来の自覚の一かけらにすぎません。あなたはこの地上へ誕生するに際して今の意識よりはるかに大きな意識によって、そう決断なさったのです。ですからそれを最大限に活用しないといけません。p86 ※その自覚:霊的命運の責任のことと思われる。SK
「今の意識よりはるかに大きな意識」という言葉が胸に響きました。
地上では意識の一部しか使えないようです。
本当の私は実はすごく大きい、と記憶の奥にそれを探しに行くと、ちょっとだけその影が見えるような気がします。
本当の私。それが私。感謝をこめて大事に胸に収めたいと思います。
スピリチュアリストの場合、苦難に直面すると自らの能力の欠如のせいにする傾向があります。
こんなに勉強しているのになぜ負の感情に負けてしまうのだろう…というように。気がつくと視野が狭くなり周りが見えなくなっています。ますます自分は余程劣っているに違いないと負のスパイラルにはまってしまいます。
こんなやり取りが続きます。
——その小さな意識を活用しろということでしょうか。
いえ、あなたが選んだ地上人生を、です。
そうきたか! 高次の視点は一味違います。
落胆するのではなく、人生をぞんぶんに生きろ、、、と解釈しました。
小さいとか大きいとかそんなことじゃない。そして成功、失敗でもない。
私が選んだ人生を、私は、今、生きています。
考えてみれば自分の人生のテーマって、誰かに聞きにいかなくても、大体のところ自分で見当がつきますね。いつも苦慮していること。それが自分のテーマです。
なにせ人生のテーマですから、そう簡単にクリアできるものではないのは当たり前。
最近思ったのですが、ずっと同じパターンでつまずいているとしたら、やりかたが間違っているという明らかなサインではないでしょうか。
同じ道を通れば同じ結果しか得られないものです。
良いと信じてやっていることが、実は間違いなのかもしれません。
例えば、感情を無理やりポジティブへ持っていこうとしていないでしょうか。
この世は法則でできていますから、数学的に、とことん分析してみるのもよいかもしれません。
データを集めてあらゆる可能性を研究する。
自分がそこで何を感じたのか。
怒りなのか批判なのか、嫉妬なのか。
なぜその感情が生まれたのか。
「~すべき」というような思い込みがないだろうか。
正すべき。主張すべき。生き生きと生きるべき。愛するべき。
その「べき」が目的になっていないだろうか。
正しいってなんだろう。
愛するってなんだろう。
何々しなければと躍起になるのは案外逆走で、結果には執着せず、ぼんやりしてみるのもひとつの手かな…なんて思ったりしました。
その体験で何を感じたかを魂に刻むだけ、それだけでもいいのではないかと思います。誰かが同じ思いをしたときに理解してあげることができますから。
理想とは程遠い生活をしていると焦ります。経験が目的なのですから、苦労すればするほど経験豊富な魂になれるということではないでしょうか。
もういちどシルバーバーチの言葉を。
いえ、あなたが選んだ地上人生を、です。
いずれ死によってこの世から解放されるのですから、ほんのウン十年の間、十分に活用しましょう。
必ずお楽しみが待っています。
こんな風に思えるのもスピリチュアリズムのおかげです。
シルバーバーチがこう続けました。
あなたは幸せな方です。いちばん必要とする時に霊的な啓示を受けられたのですから。人生における最大の危機にもしも霊があなたの進むべき道を指示してくれなかったら、現在のあなたはどうなっていたかわかりません。p86
啓示がなければきっと碌なことを考えてはいなかったでしょう。
受け入れることを知らず攻撃ばかりしていたかもしれません。
日々を愛の視点で生きることを意識することができますし、それが自分を向上させる唯一の道であることも知ることができました。
いつものことですが、
そうはいっても、いろんな感情に悩まされますよね!
人間ですから当たり前ですね。
さて、霊界では言葉は必要なく思念対思念による交信で、隠し事のできない世界とのこと。
邪な考えや隠し事にいささか心当たりあり。
それがすべてが大っぴらになるのは都合が悪いなぁと思ったのですが、やはりメンバーからもこんな質問が出ました。
–––すると霊界には思念のプライバシー(秘密)はないわけですか?
ありません。私たちの世界では何一つ隠すことができません。すべてが知れてしまうからです。だからといって、別に恥ずかしく思うことはありません。地上ではごまかし、ウソをつき、だますことができます。名前を合法的に変えることもできます。が、本性を変えるわけにはまいりません。
考えてみれば「隠し事」が人を不自由にしています。すべてオープンになれば(例え恥であろうと)、むしろスッキリし、自由になれるのだと思います。そこからスタートです。
説明しなくてもすべてが明らかに伝わるなら、誤解の心配もいりません。肩の荷が下りた気分です。
——人間が幽体で旅行する話を聞くことがありますが、私にも体験があるみたいです。どういう現象なのでしょうか?
いたって簡単なことです。幽体が肉体から抜け出て、時には私たちの世界へ、時には地上の遠隔の地まで旅行するのです。実は睡眠中は一人の例外もなく幽体で旅行しています。一時的に肉体を離れて私たちの世界を訪れ、縁のある人たちと会っているのです。これは死後の環境の変化がショックにならないように、あらかじめ準備させるための神の配慮なのです。p97
「一人の例外もなく」と言い切ってますね。
ということは私も……。全然覚えていないので、本当かしら?なんて疑ってしまうけれど、そうだとしたら寝るということは大変なお楽しみが待っているということです。
一日の終わりに必ず霊界へ戻ると思えば、日中の出来事がどんなに重くても、とにかく夜には解放されるわけですから、深く思い悩むのはやめてもいいのではないか!なんて単純に喜んでみるのもいいかもしれません。ついでに、せっかく霊界へ行くのですからなにかヒントをもらって帰ってこられるように寝る前に念じてみてはどうでしょう。
大抵は忘れてしまうらしいのですが、もしかしたら記憶の片隅に残るかもしれません。そんな期待を楽しんでみましょう。
「時間」について。
なんの疑問もなく「時間」は存在しますが、霊界では少し違うようです。
——この世では時間に縛られているかに思えても、霊界では時間というものが存在しないのですね。
時間そのものには過去も未来もありません。時間は永遠の現在の中に存在しています。過去と未来とはあなたと時間との係わり方一つによって生じているにすぎません。
皆さんは三次元の世界に生きておられます。私たちには地軸の回転、つまり昼と夜を生じさせる回転する球体とは無縁です。永遠の光の中で生活しております。p101
考えてみれば私たちは「時計」にだいぶ縛られています。
時間で起きて、時間で働き、時間で食べて、時間で眠る。
霊界ではそれがない。本当の自由ってそういうところから違うのですね。
参加者のTさんから、この章を今日読めて本当によかったと感想を頂きました。
ご家族との別れがあったばかりだったとのことです。
スピリチュアリズムでは死は決して悲しみではなく、実際はその逆で、本当の世界へ戻れるお祝いです。
もちろん、この世に残された肉体を持ったものにとっては、やはり大きな喪失であり、ぽっかりと大きな穴があいたような気持ちになるものです。
その穴はきっと時間が埋めてくれ、いつのまにか自分自身が新たな道を歩き出していることに気がつくと思います。
私の経験では、死後の世界へ旅立った人とは心の中で自由に話すことができ、むしろ生きている時よりもずっと仲良しになれたりします。
そんな未来も……あります。
人は死んでも死なないことを知っている私たちは本当に幸せ者です。
私たちの世界は、皆さんには到底想像できないほど豊かで美しい世界です。
次回 第118回 心のサークル お知らせ
【と き】 2020年 8月23日(日)、14時~17時
【ところ】 平和住宅情報センター 仙台駅前店 3Fのコンベンションルーム
【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(10)』 6・7章
【持ち物】 上記書籍をご持参ください。
<書籍が手に入らない場合はお声がけください。資料作ります。>
【参加費】 喜捨
【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。
日常を離れた空間で、ともに学びましょう!
新しく参加希望の方は、本ブログコメント又は下のメール宛へご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。
【メールアドレス】 kokoronosakuru@gmail.com