心のサークル(blog版)

心のサークルは、スピリチュアリズムを学べますが、オープンな初心者向です。

第126回 心のサークル お知らせ

 

【と き】  2021年5月16日(日)、14時~17時

【ところ】  zoom

【参加者】 進行:US、記録:SK

US、SK、UH、GH、GS、UC、TN、SM、IK、SK  以上10名

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(11)』の読書会

 

4月に引き続きzoomでの開催でした。利用手順にも大分慣れてまいりまして、今回はスムーズに始まりました。

zoom のなによりの利点は世界中どこからでも参加できること! 

とういうことで、古くからのメンバーで、現在長崎在住のUHさんの参加が叶いました! 長崎に帰られてから4、5年経ったような気がするのですが、時間のブランクなんて全然感じなくて、画面にお顔が映るとさっそくワイワイガヤガヤと話の花が咲くのでした。

 

zoomのもう一つの特徴は一人の意見にみんなが集中するので、リアルで集合の時よりも会話が濃くなるような気がします。とはいえ、相変わらずあっちこっちに話題は飛ぶのですが、常に霊的視点で語られているところが心のサークルの大きな特徴です。

 

木々の緑は色濃くなり、いつのまにか季節は初夏の兆しが漂っています。長崎はすでに梅雨に入ったとのことです。

USさんのシルバーバーチの祈りのあと、前回の続きのページからみんなで輪読を始めました。

 

 

 

シルバーバーチの霊訓(十一)

 

2章 霊媒的能力

 

P41~60

 

 

霊媒」へ向けての章でした。UHさんが、このタイミングで参加できたことを喜んでおられました。「ちょうど今、読みたい場所だった!」と。

 

「今聞きたい言葉に出合う」

他のみなさんもよくそう仰るのですが、これも一種の霊界通信ではないかと思います。

出合う言葉を逃さず捉えるのも「霊媒的能力」なのではないか…。

「見えたり」「聞こえたり」というサイキック能力だけが霊媒の能力ではなく、「霊的にものを捉えることができる」ということも霊媒的能力なのかななんて思うのですが如何でしょうか。

つまり、サークルの仲間はみんな霊媒ですね^^

 

見えない世界を信じるには素直さや知識、そして忍耐が必要のような気がします。しかしこの世にはそれを曇らせる様々な悩みや誘惑があり、いとも簡単に信頼の力が薄れて暗闇に引きずり込まれることがよくあります。

 

 

私たちを信頼してください。きっと道をお教えします。扉を開いてさしあげます。閉め切られた扉をノックしてみて開かない時はあきらめることです。ノックしてみてすぐに開いた時は、まっすぐに突き進まれるがよろしい。それがあなたにとって正しい道なのです。私たちとしてはそういう形でしか援助できないのです。良い知恵を絞って導いてあげるということでしか援助できないのです。(人間的努力の範囲まで踏み込むわけにはいかないということ―――訳者)p48

 

 

青森の佐藤初音さんが森のイスキアを開設する時、困難と思われたその建築で、しかるべき時にしかるべき援助が舞い込んで、建物が完成したという話がシェアされました。私もその話は読んだことがあります。行くべき道であれば道は開かれるよい例ですね。

 

さて、訳者の近藤先生がわざわざかっこ書きして書き加えている部分ですが、霊界の援助にもなにがしかの制約があるようです。無条件に与えるという意味ではなく、そこにはやはり人間的な努力も必要だということです。この世に肉体を持って生まれた意味を考えると当然だと思います。

 

「望むだけで叶う」というワードが最近のスピリチュアリズム界で多く語られていますが、何か注釈的なものが抜けているような気がしていました。それだけではないはずだ…と。それなので「人間的努力」の指摘はとても納得できます。

 

霊界の存在を”信じ切る”こと、これもなかなかのハードルなのじゃないかと思います。そのよい例えとして、たとえば「走れメロス」「杜子春」。信じることの強さや、疑いという罠は文学のテーマにもなっています。

 

目指す道を歩いているはずなのになぜか苦しい、これで正しいのだろうか?と自信がなくなることがあると思います。苦しさはただの通過点、途中駅にすぎないのかもしれません。つまり行程通り。通らざるを得ない途中駅を通過しているだけだと知っていれば、自信をもってその困難と立ち向かえるのでしょうが、地図がないので不安になります。そこで「信じる力 」が問われるというわけです。

 

日常を淡々と生きるだけでも非常な努力が必要な気がします。

私たちは霊性を高めることに意識を集中し、かといって力を入れすぎてエゴにならないようにも気を配りリラックスした時、そこでやっと「望めば叶う」、そんな流れがやってくるのではないでしょうか。

 

 

私たちは物的な世界で生きています。霊的なことのみで生活できないことは霊界も知っているとのことです。

 

 

私も今では現代社会並びにそこでの生活の仕組みをよく知っております。時には生活費など物的なものが手に入るよう、ある程度の物的法則を操作しなければならなかったこともあります。

私がいつも強調していること--むろん聞く耳を持つ人に対してのことですが--物的なものは実在の投影もしくは殻にすぎないということです。物質は霊によって活力を与えられているからこそ存在しているのです。霊が正常であれば、つまり霊と精神と身体とが調和して機能しているかぎり、物的生活に必要なものは必ず手に入ります。p50

 

 

 

下線の「霊と精神と身体」について。

霊と精神の定義について皆さんに意見を伺いました。

 

 

霊とは神につながるもの

精神とは理性とか科学、合理性

 

心とは想念

精神とは忍耐などのように鍛えることができる。

魂とは鍛えるものではない。よい心。

霊とは真我、分霊。開発するもの。

 

 

心、精神、魂、霊。

分かっているようで分かっていないような、不思議な区分けです。

 

自分の中にたくさんの自分がいて、一番奥に真我が存在している、そんなイメージが湧きました。

 

 

これまでに霊界からのサポートがあったと思う体験はありますか?との問いかけがありました。

 

 

〇これがないと帰れない!という危機に、それが道に落ちていた話

 

〇数メートルの違いで事故から逃れた経験。

 

〇パズルがハマるように人、時間、場所が見事に手配され、イベントの成功へ導かれた。

 

〇天気が整えられる。

 

〇心のサークルで仲間と出合えたこと。

 

霊界からのサポートを経験することは、神と繋がっていると実感できる瞬間。この思いが増幅されると自信へと繋がるそうです。

そうやって霊界とのパイプが太くなっていくのですね。

 

人間側が常に霊界へ心を向けると、霊界はサポートしやすくなるとのことです。

受け入れる側が扉を開くことは確かに重要に違いありません。人間社会でも、心を開いてくれると親交を深めやすいですよね。霊の世界でも同じなのでしょう。霊界とのコミュニケーションを特別なことと考えずに、この世と同じ、ただ目に見えないだけと考えると身近に思えてきます。

 

背後霊にも守り切れないことがあるようです。それは人間側の無知、更にはそんなもの!という反発、反対方向へ行こうとする強引さがあるとき---。なんだか子育てと似たような雰囲気があります。

 

背後霊にも低い霊がいて、大金を引き寄せたり、犯罪や自殺につながることもあるようです。シルバーバーチは低い霊の世界についてあまり詳しく語ることがないので、その存在の実態を意識したことがないのですが、語られないからと言って存在がないわけではないのですね。最近巷で、闇の組織の暴きが多く語られるようになっています。地球の負の歴史や不平等は低い霊の力の影響があったから、と考えると腑に落ちることってたくさんあるなぁと思いました。

 

 

 

心霊能力を軍事面で利用されようとしていますがその危険についてどう思うかの質問に、シルバーバーチはきっぱりと。

 

私は少しも心配しておりません。

 

と述べています。

このきっぱりとした断言にさすが高級霊、鮮やかだなぁと思いました。

軍事利用云々の内容はともかく、この鮮やかさに私は憧れました。

 

人はいつも心配や不安に悩まされています。信じ切ることができず、あーだーこーだと悩んでばかり。霊性が高くなるとこんな風に鮮やかになれるのかとお見本をみせてもらったような気持ちになりました。

 

この章に書かれている「心配・不安」という言葉を抜き取ってみました。

 

 

取り越し苦労は無知の産物です。霊的知識をたずさえたものが不安を抱くようなことがあってはなりません。

 

心配してはいけません。心配の念はロクなものをもたらしません。心配の念は魂を蝕みます。心配の念は精神も錆びつかせます。心配の念はせっかくの霊的援助の通路を塞いでしまいます。

 

霊的実在についての知識を手にした者は、不安、心配、悩みの念を宿すようなことがあってはなりません。この種の感情は陰湿な性質を帯びております。

 

 

「不安や心配」と「悲しみや苦労」は違うことにふと気がつきました。(え!いまさら!と会員からのツッコミの声が聞こえてきます^^;)

苦難にどう立ち向かうかが霊性ということでしょうか。

 

 

人助けをするための霊的才能を授かるには、みずから苦しみと悲しみを味わうという条件がつきものなのです。

 

苦の体験の本質は霊的才能を手段として仕事をする者の試金石です。

 

 

 

シルバーバーチの霊言は難しくてわからないと言われることがよくありますが、楽をしたい人には向かないのだそうです。

そもそも楽を選べることができるのか?と思いました。楽な道、歩いてみたいなぁ。

困難は逃げても追いかけてきますとメンバーからも意見がありました。

 

 

 

最後に、この文章で終わりにしたいと思います。

 

 

地上を見渡してみますと、霊的に貧しい人が無数におります。物的な貧しさゆえに悲しい思いをすることがあるのは地上の常ですが、霊的な貧しさを見るのも同じく悲しいものです。

心をいつも開放的にして精神に宿された能力を開発しさえすれば、霊の持つ栄光、光輝、威厳、崇高さ、気品に満たされるようになっているのです。そうしてあげること、つまり地上人生を生きていく上において何を優先させるべきかを認識してくださるように配慮するのが私たち霊団の使命なのです。p51

 

 

 

 

次回 第127回 心のサークル お知らせ

  

【と き】  2021年 6月20日(日)、14時~17時 

【ところ】 仙台市シルバーセンター会議室+ズーム

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(11)』 3章 

【持ち物】 上記書籍をご持参ください。

      <書籍が手に入らない場合はお声がけください。資料作ります。>

【参加費】 喜捨

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。

 日常を離れた空間で、ともに学びましょう!

新しく参加希望の方は、本ブログコメント又は下のメール宛へご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。

【メールアドレス】 kokoronosakuru@gmail.com