【と き】 2020年11月23日(日)、14時~17時
【ところ】 シルバーセンター 第3研修室
【参加者】 進行:US、記録:SK
US、HM、ST、YK、UC、NN、SM、SK 以上8名
【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(10)』の読書会
仙台駅に近いシルバーセンターを利用してみました。20人用だったので狭いのかなぁと心配しましたが、十分の広さで安心。コロナ禍では、お部屋の広さも気になるところですね。
お気に入りの場所になりそうです。
名前がシルバー繋がりだね!とどなたかが呟きました^^
一同が集まり、さっそくスタート。
場を整えてもらうためにUCさんにマントラを唱えてもらいました。一瞬にして 心が霊界へ向いたことを感じました。気持ちいい~♪
そしていつものようにUSさんがシルバーバーチの祈りを読み上げ輪読の開始です。
さて、本日はYKさんが初めて参加してくださいました。YKさんとは多くのメンバーが別のイベントで顔を合わせていたり、お噂をたくさん聞いていたりしていたので、初めて会った感覚はなかったのですが、おっ!というような、満を持しての参加という感じでした。
シルバーバーチについてはまったく何も知らないと仰ったので、まずはUSさんから自己紹介を兼ねて紹介がありました。
―――若いころ「死」について深く考えた。死とはなにか? 既存の宗教家などへ尋ね歩いたけれど、死の「概念」のようなものは教えてくれるものの、誰一人として核心を突く答えを持ってはいなかった。しかし、シルバーバーチはその疑問のすべてを明かしてくれた。なんとなれば、シルバーバーチ自身が死の向こうの住人であったからである。人は肉体ではなく霊であり、死後も生き続けることが分かった。―――おおよそこのように紹介してくれました。
死後の世界がある。それを知ったうえで生きると、安心して地上生活を生きることが出来るということなのです。
まったくの同感だなぁと思いました。
また、スピリチュアリズムを誰かに紹介するとき、こんな風に話し始めればよいのだなぁと勉強にもなりました。
私たちの意識は「脳」がすべてだ、と認識している人の数は驚くほど多いです。
人々は本当にその肉の塊の中に意志や感情があると思っているのでしょうか。違うような気がする、と感覚は教えてくれていないのでしょうか?
「誕生と死」は日常に溢れているのにその全容を科学は解明していません。
分からない事だらけが現実。それなら、この世は見えている世界だけではない、そう予測しても不思議はないのに、科学万能主義の人々は何故かそれをはっきりと否定します。
「死んだあとは無になる」などと短絡すぎる結論で生きている人の多いこと。しかもこの結論のせいで、死は恐怖であり、生の中に虚無を抱いて生きているのです。
生は学びのば。死は達成。辛いことにこそ意味がある。学びが終われば平安の場所へ移行。死は希望に変わるのです。
宇宙の中でも特に課題の多いこの地球を選んだ私たちは、勇気ある戦士たちと言われます。
そうはいっても、生きることは本当にタイヘン。次から次へ悩みは尽きませんが、宇宙の真実を信じて試練の道を歩くほかありません。
苦労を経験してこそ目覚めることが出来る。なぜなら、真実を求める必要性は苦労の中でしか生まれないから。人は通常、安逸の中ではなにも求めないですから、、、まぁ、確かにそうですねぇ。いやはや、なんという巧妙なシステム!
シルバーバーチの霊訓(十)
10章 質問に答える
30頁にわたる長い章だったので半分を読むことにしました。
P174~P188までです。
QA方式なので、簡潔で興味深いやりとりが多数ありました。
スピリチュアリストでありながら既存の宗教に属し続けている人について納得できないという質問について。
シルバーバーチはユーモアを交えて答えます。
私はそうした名称には煩わされません。実はこの私自身が果たしてスピリチュアリストなのかどうか定かでないのです。スピリチュアリストであるとの認証を頂いたわけではないからです。ご自分のことをどうお呼びになるかは問題ではありません。大切なのは毎日をどう生きるかです。
シルバーバーチの霊訓は現代の聖書ともいわれる格式高い書物ですが、こんなお茶目なやりとりがあって、とてもフランクです。シルバーバーチと私たちは基本対等です。
スピリチュアリズムという単語は確かに単なる言葉・記号にすぎません。しかも、その意味するものが万人に共通かといえばそうでもないと思います。その人それぞれが理解する”スピリチュアリズム”があって、まるで違っている場合さえありますから誤解の元となったりします。
この心のサークルのメンバー同士ですら差があるかもしれません。
まぁ、ほかの言葉だってそんなもんですよね。通じ合っていると思っても、微妙に違っていたりしますから、テレパシックに物事を理解する感覚を磨いていくほうが軽やかになるかもしれません。
スピリチュアリズムは宗教と似ている側面があります。ところで、宗教とはそもそもなんなのか?シルバーバーチはこう言います。
いったい宗教とは何なのでしょう。教会や礼拝堂や寺院へ通うことでしょうか。人間のこしらえた教義を受け入れる事でしょうか。私はローマカトリック教徒ですとか、プロテスタントですとか、仏教徒ですとか、ユダヤ教ですと名乗ることでしょうか。
宗教とは宇宙の大霊すなわち神の御心に一歩でも近づくことになるような生き方をすることです。あなたの行為の中に神の御心が表現されることです。要するに宗教とは人のためになる行いをすることです。p174
私にとってスピリチュアリズムは個人的な美意識でもあります。神と自分との関係をストイックに追及する修行僧のような感覚です。但しその修行は苦行ではありません。基本は愛と光。だれからの束縛もなく、まして戒律ではない。浄化され軽くなる道のようなものです。戒めるのではなく見つめる。自分を読み解く。
USさんは最近ガイドから「潜在意識」という言葉がしきりに下りてくると仰いました。
実は私も気になっていた言葉です。潜在意識の存在をよく注意すると、日々の言動のパターンや癖を改善することが出来ると考えておりました。まさに読み解きです。
そして今回の読書会、p175にも、それが記されていました。
……それがいつしか潜在意識タテ糸となりヨコ糸となって、その深層を形成します。そうなると、みずからその誤りに気付いて取り除くということは、ほとんど不可能に近いと思わないといけません。p175
既成宗教から抜け出せない人についての見解の表現ですが、潜在意識というのはやはりそれだけ強固なものなのだなぁと思いました。そして続くのが
我慢してあげるのです。手助けをしてあげるのです。議論し合ってはいけません。議論からは何も生まれません。詩人が言っております。”議論をしても、入ってきたのと同じドアから出て行くだけである”と。p175
意見の違う人との摩擦をどう対処すべきか悩むことがありますが、「我慢してあげるのです」というアドバイスはちょっと新鮮でした。議論は苦手です。いつも後味が悪いし、もし実りのある議論をしたいと思う場合は、互いに高い知性があってこそのような気がします。
価値観の違う人と意見を一致させるのは至難の業ですし、そもそも”一致させなければならないのか?”とも思います。人は自由ですから。
誰かに価値観を変えなさいや、その言動は間違っていますと言われても、私もきっと同じドアから退散するでしょう。他人から「変えなさい」と介入されること自体が自由の束縛だ!と反発心がまず持ち上がるのですから、議論ではなく喧嘩になってしまいます。
議論ではなく、意見交換ができればいいですね。しかしながら人は自分の意見が一番正しいというスケベ心があるもんなんですよね~。厄介なもんです。
人間イエスやダーウィンの進化論について多数の質問がありました。歴史はイエスを正しく言い伝えているのか? 本当のことを知りたいものですよね。2千年も前の人物についてもシルバーバーチは答えられるわけです(まぁ、シルバーバーチはイエスの指揮のもと地上救済の活動をしているのですから知ってて当然なわけですが…)。
1、人間はサルから進化したのか?その説はあまりうれしくないのですが。
2、イエスはどんな顔をしていたのか? 3、本当に磔にされたのか? 4、イエスが何をいったのか正確な書記を手に入れられるか?
1、もしかしたらサルのほうも嬉しく思ってないかもしれませんよ。
2、現代の作家が描いたような顔はしていません
3、そんなことはどうでもよいことです。大切なのはイエスが何を説いたかです。
4、当時イエスの言葉を記録した人はひとりもいなかった。しかし、イエスの教えの肝心かなめは”愛”です
質問がやじうま的なんですが、どんな質問でも的確に答えてくれるんだなぁ~と思いました。個人的には3の答えが好きです。続けて抜粋します。
肝心なことに関心を向けなさい。
大切なのは日常生活の身の処し方です。あなたなりの最善を尽くせばよいのです。それによって大霊とのより大きい調和が得られます。それは晴れやかさ、静けさ、安らぎ、自信おいう形をとります。神の心をわが心としようと心掛けるものすべてに必ず訪れるものです。p185
私たちは気がつくと心がふらふらと彷徨っています。どうでもよいことに囚われていることが多いと思います。そんなときに、こんなふうに正気に戻してもらうと力が湧いてきます。
あなたなりの最善を尽くせばよいのですと簡単に言ってますが具体的に私たちは何ができるでしょう。
微笑んでみる。胸をはってみる。自分を勇気づけてみる。励ます。太陽に感謝してみる。草花を眺めてみる。背後の存在に意識を向ける。
最善とは立派な事ではなく、こんな小さな事でよいと私は思います。それでいいんだ…と安心します。そうすると、どこからか安らぎの光が漏れてきて本来の自分を取り戻せます。
しかし、大事件が起きると、これさえも難しいんですよね~。その時は必死に霊界の存在にしがみつきましょう。シルバーバーチがどこかの章でそう言ってました。
地上ではさまざまな発達段階のものが混じり合って生活しております。ということは、対照的なものを見たり体験したりする機会が得られるということです。
たびたび申し上げておりますように、地上での出来事は正反対であると同時に相等しいということがあります。つまり同じコインの表と裏の関係です。魂が自我に目覚めるのはさまざまな体験の中においてこそです。それは鋼を鍛える過程、あるいは原鉱を砕いて黄金を磨きだす工程と同じです。p188
次回はこの続き、第10章「質問に答える」となります。
次回 第122回 心のサークル お知らせ
【と き】 2020年 12月20日(日)、14時~17時
【ところ】 戦災復興記念館 4F 第一会議室
【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(10)』 10章
【持ち物】 上記書籍をご持参ください。
<書籍が手に入らない場合はお声がけください。資料作ります。>
【参加費】 喜捨
【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。
日常を離れた空間で、ともに学びましょう!
新しく参加希望の方は、本ブログコメント又は下のメール宛へご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。
【メールアドレス】 kokoronosakuru@gmail.com
※尚、次々回は2021年1月17日を予定しております。