心のサークル(blog版)

心のサークルは、スピリチュアリズムを学べますが、オープンな初心者向です。

第110回 心のサークル報告

【と き】  20191022日(火・祝)、14時~17

 【ところ】 宮城県歯科医師会館 4F 和室

 【参加者】 進行:US、記録:SK

 US、HM、GH、WM、IK、MM、SK       以上7

  【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(9)』の読書会 

 

 

台風被害とはずっと無縁だった宮城県台風19号が直撃。

緊急避難情報が一日に何度も携帯電話に届く異常な一日を過ごしました。

翌日になって、テレビでは濁流に覆われた地域の映像が流れていました。

河川が氾濫し甚大な被害に見舞われていました。

自分たちは何をすべきか? そんな思いを抱えてたくさんのメンバーが集まりました。

 

宮城は2011年に東日本大震災を経験しています。

多くの命が奪われ、多くの家屋が流失、多くの人が大切なものを失った様子を身近に目にしてきました。

あの時も電気、ガス、交通の普及に時間がかかり、不便な生活をみんな経験してきたなぁと思い出されます。

今回無事だった私たちが、「今」大変な思いをしている方々に対して、できることといえば頑張ってほしいと祈ることと、お見舞いを送ることぐらい。

一日も早い復旧と、心の平安が訪れますようにお祈りします。

 

USさんがシルバーバーチの祈りを唱え、読書会を始めます。

 

12章 自殺についての二つの投書

 

人は命を尊いと言います。

なぜ尊いと思うのでしょう。

それは人生がたった一度きりで、死んだら終わり、無になる。だから尊いのだと考えるからではないかと思います。

皮肉なことに、その考え方が自殺を生むような気がします。

この人生を終わらせれば楽になる——そう思って。

 

しかし、真実は違います。命は永遠です。

自殺しても魂・意識はなくなりません。

ですから死んでも苦しみは終わらないのです。

むしろ、苦しみだけが意識を占領し、生きている時よりもずっと厄介なことになってしまいます。

そんな怖ろしいことになるのですから、自殺だけはすまいと固く誓うのでした。

 

 

大きな悩みを抱えて自殺を考えている人からの投書にシルバーバーチは答えます。

 

事態を改善するよりも悪化させるようなことは、いかなる魂に対してもお勧めするわけにはまいりません。自殺行為によって地上生活に終止符を打つようなことは絶対にすべきではありません。もしそのようなことをしたら、それ相当の代償を支払わねばならなくなります。それが自然の摂理なのです。p206

 

と述べたあと、誰一人としてその人が克服できないほどの障害に遭遇することはないと述べています。

そしてこう続けます。

 

むしろ私は、その障害物はその人の性格と霊の発達と成長にとって必要だからこそ与えられているのですと申し上げたいのです。苦しいからといって、地上生活にさよならをしても、その苦しみが消えるわけではありません。それはあり得ないことです。またそれは摂理に反することです。p206

 

…とういうわけです。

そもそも、その苦しみは必要なことであり、計画の一部であり、必ず乗り越えられるのに、それを知らないために早合点して諦めることは本当にもったいないことです。

 

大多数は私に言わせれば臆病者の逃避行為であるといってよいと思います。果たすべき義務に真正面から取り組むことができず、いま自分が考えていること、つまり死んでこの世から消えることがその苦しみから逃れるいちばんラクな方法だと考えるわけです。そして逃れたはずの責任と義務の観念が相変わらず自分につきまとう。その精神的混乱が暗黒のオーラを生み、それが外界との接触を遮断します。その状態から抜け出られないまま何十年も何百年も苦しむものもいます。p209

 

実際に自殺をした魂は、死んだはずなのに、いまだ意識があり、自分が生きていることに戸惑うそうです。

そして、何回も何回も自殺行為を繰り返します。

不成仏霊として地上に留まったり、同じ波動の人へ憑依をしてしまったりという話をよく聞きますが、理由はそういうことなのですね。

 

だから自殺は絶対にいけません。よいことが一つもありません。

自殺は波動が重すぎる、そう感じます。

 

ノイローゼのような心の病で自殺した人は仕方がないのではないか?判断能力がないのだから罪はないのではないか?という質問。

 

確かに結果的にみればノイローゼ気味になって自殺するケースはありますが、そういう事態に至るまでの経過を正直に反省してみると、やはりそのスタート時点において私が先ほどから言っている、“責任からの逃避”の真理が働いていたのです。もしもその人が何かにつまずいた時点で“自分は間違っていた。やり直そう。そのためにどんな責めを受けても最後まで責任を全うしよう”と覚悟を決めていたら、不幸はつぼみのうちに摘み取ることができていたはずです。p212

 

そう説明されると本当にそうだなぁと納得。

厳しいけれど、公平な指針です。

 

自殺者は後をたちません。

身近に自殺者がいる人にとって、自殺者の「今」がとても心配なのではないでしょうか。

 

自殺が全部許されないのか?という質問がありました。

全部ではないようです。

 

一番大切なのは動機です。p210

 

自殺の動機が利他主義に基づいたときは、守られるようです。

 

これまでも、シルバーバーチは何事も動機が一番大事だと発言しています。

随所に、「それは動機によります」と書かれているのをみつけるでしょう。

大きなポイントなのだと思います。

 

常に動機をチェックすることを心掛けていると、日ごろの言動が丁寧になっていくのに気づきます。

霊性進化には動機を見張ることはとても有効だと私は思います。

 

 

死んでも楽にならないことを証明するにはどうすればよいか?と話しました。

それは死後の世界の証明につきるとの意見。

科学がそれを証明すれば人々は納得する。

 

高いハードルだなぁと思ったのが正直なところです。

科学がまだその域に達していないと感じるからです。

 

けれど、証明されていなくとも、死後の世界が存在することはとにかく本当です。

それなのに多くの人がそれを知らない。

だからこそ神秘たるゆえんということでしょうか。

 

ひとりでも多くの人がスピリチュアリズムに目覚め、光を放ってほしい。

それがささやかな光であっても、だれかの灯台になれるのだから。

 

死体は火葬にしたほうがいいのでしょうか?という質問には意外にはっきりとした答えがあり、また、へぇ~というような重要なことが述べられています。

 

絶対に火葬がよろしい。p215

 

肉体への執着を消すうえで効果があるとのことです。

そして次がとても意外だけれど、知っておいたほうがよいと思うアドバイスです。

 

それよりもぜひ知っていただきたいことは、火葬までに最低3日間は置いてほしいということです。というのは未熟な霊は肉体から完全に離脱するのにそれくらいかかることがあるからです。離脱しないうちに火葬するとエーテル体にショックを与えかねません。p215

 

ぜひ気をつけたいものです。

 

病気は教訓でしょうかという質問。

 

教訓を学ぶ道はいろいろありますが、最高の教訓の中には痛みと苦しみと困難の中でしか得られないものがあります。それが病気という形で現れることもあるわけです。人生は光と陰の繰り返しです。片方だけの単調なものではありません。喜びと悲しみ、健康と病気、晴天と嵐、調和と混乱、こうした対照的な体験の中でこそ進歩が得られるのです。

 

螺旋階段。表と裏が交互に現れる様子が浮かびました。

そういう仕組みなんだなぁと思います。

 

 

さて、次回の予定も祝日集合です。

11/23土曜日。

よろしくお願いします。

 

第111回ですね。

なんかうれしい数字です♡

 

 

次回 第111回 心のサークル お知らせ

 

【と き】  2019年 11月23日(土)、14時~17時 

【ところ】 宮城県歯科医師会館(仙台市青葉区国分町1-5-1) 4F和室

 

入り口は正面玄関ではなく裏口になります。

入口表示板に、部屋がどこか書いてあります。ご確認お願いします。

窓口に医師会館の方が常駐していらっしゃいますので、

わからない時は声をおかけください。

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(9)』第13章の読書会 

【持ち物】 上記書籍をご持参ください。

【参加費】 喜捨

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。

 日常を離れた空間で、ともに学びましょう!