心のサークル(blog版)

心のサークルは、スピリチュアリズムを学べますが、オープンな初心者向です。

第133回 心のサークル報告

【と き】  2021年12月19日(日)、14時~17時

【ところ】  シルバーセンター5F+zoom

【参加者】 進行:US、記録:SK

US、ST、UH、HM、WM、TN、SM、IK、SK   以上8名

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(11)』の読書会

 

2021年最後の読書会は雪でした。

ホワイトクリスマスですねぇなんて呑気に構えていたら、あっという間に雪は激しくなり、窓の向こうはまるで北島三郎さんの舞台のようになってしまいました。

しかし、そうのんびりしている場合ではありません。これは……もしかしたら交通機関を乱すマズいやつ!? こりゃ大変なことになるかなぁと言いながら、本当はそれほど気にしてないのはスピリチュアリストの常でございました。

 

なんとかなるさ♪

 

楽観的な人々の集まりはとっても気楽。

それで思い出すのは過去の読書会です。以前にも書きましたが、世間の人々が外出を控えた記録的な大雪や大雨だった日も、問い合わせすることもせず、当たり前のように読書会に集まった日です。

行きたい!大丈夫♪ と思えば行く。そんな気質はみなさん同じのようでした。靴の中まで水がしみ込んで、みんなで靴下を乾かしながら読書会しましたね。

心の赴くままに。それが一番大事だと風の時代の近頃は言われています。取り越し苦労は厳禁。もっとも、この会をエネルギー充填の場所とも思っているので、次の一か月をすごすための必要不可欠な予定であったからかもしれませんが。

 

さて、少しおしゃべりをしていたら、USさんが準備してくださったZOOMも繋がり、いつものようにシルバーバーチの祈りを唱え読書会を始めました。

 

 

8章 最後の晩餐

シルバーバーチの霊訓は全12巻。

第12巻はダイジェスト版のため、実質この11巻が最後になります。その最後のタイトルが「最後の晩餐」。意味深いタイトルですね。寂しいなぁ。

私たちの2021年最後の読書会にこの章を読むことになった巡りあわせにもドラマを感じます。

 

それでは大事に読んでまいりましょう。

 

この章はある日の交霊会を録音し Silver birch speaks と題して市販されたカセットテープの全訳ということです。

ということは、そうなんです! シルバーバーチの声を私たちも聴くことができるんです。すでに音源をお持ちの方もいらっしゃると思いますが、動画サイトでこれをアップしていらっしゃる方がおりますので、興味のある方はお探しいただければと思います。

 

大霊への祈りの言葉から始められています。

Silver birch speaksを自動翻訳した動画サイトと本書を比べてみると、私たちはこれまで近藤先生の訳でシルバーバーチの言葉を読んでいたことに気づかされます。AIがあっという間に翻訳する言葉には何かが足りない。翻訳という作業は「変換」だけではないようです。自分の意識でさえ「言葉」にする時点で「ずれ」が生じている!というジレンマを感じることがあると思うのですが、さらに別の言語への変換ですからよくよく読み込んで真髄を理解しないと変換できないことなんだなと思います。自動翻訳はある程度の「筋」は伝えてくれてましたが、近藤先生の訳に比べるとあっさりした感じです。翻訳の大事なところは言葉の奥にある精神を伝えることだなと思いました。霊訓を誠心誠意丁寧に訳してくれた近藤先生に感謝です。

ほかに桑原啓善さんもシルバーバーチの本を翻訳しておられます。雰囲気が少し違うとのことです。

 

 

さて、「生命に死はない」。このことを知っているかどうかで生き方が根本的に違ってきますねと話し合いました。

 

◇一日や二日で得心できることではない。

 

◇段階があって小学生から大学生まで進学するように、少しずつ得心していく。

 

◇小さいときの葬式の風景がトラウマになっている。とても怖かった。のちに体験したキリスト教のお葬式で癒された。

 

確かに霊安室、葬儀社、戒名。こんな言葉を並べるだけで重い雰囲気が立ち込めてきます。

 

死を恐ろしいこと、悲しいことと捉えている間はどうしても暗くなります。

”肉体からの解放おめでとう!”と、みんなでお祝いできたらずいぶんと世の中変わるでしょうね。そんなふうに人の意識が変わったら素敵ですねー。

 

亡くなって三日間は火葬しないほうがよいとシルバーバーチは言います。人間はいつ死んだと言えるのか、それに関連した臓器移植の質問の一連の中で語られていました。それではそのやり取りを。

 

臓器移植については私もよく存じております。そして又、その動機が立派である場合は多いことも知っています。ですが私は、人間のいかなる臓器も他人に移植することには反対であると申し上げざるを得ません。

そもそも死というのは少しも怖いものではありません。死は大いなる解放者です。死は自由をもたらしてくれます。(中略)死の訪れは地上生活が果たすべき目的を果たし終えて、次の霊界が提供してくれる莫大な豊かさと美しさを味わう用意がこの霊に具わったことを意味するからです。p208

 

私は棺桶に眠る死者を見るといつもそこに安らかさを見つけます。生前の俗な部分をたくさん知っていても尊敬の気持ちが湧いてきます。目的を果たし終わったその姿に労りや偉大さを感じるからでしょうか。静かなる遺体は神聖なその人の本当の姿が現われるような気もします。

 

死後すぐに死体をいじくり回すと魂または霊になんらかの害があるでしょうか?

 

それはその霊が霊的なことについての知識があるか否かによって違います。何も知らない場合は一時的に障害が及ぶことがあります。なぜかと言えば、たとえ肉体と霊体とをつないでいるコードが切れても、それまでの永年にわたる一体関係の名残で、ある程度の相互作用が続いていることがあるからです。

一般的に言えば、霊的なことにまったく無知だった人の場合は、埋葬ないし火葬を行う前に三日間は合間を置くことをおすすめします。それからあとはどうなさろうと構いません。死体を何かの役に立てるために提供したいのであれば、それに当事者がそう決断なさればよろしい。p209

 

自分が死んだことを認識できず、相互作用の続いている身体を損傷されたらたしかに恐怖ですよね。

三日後のことはどうしようと構わない。医学のための献体はとくに問題はなさそうでよかったです。

 

突発事故による死の問題について。一瞬にして予期せず死を迎えた魂にどんな影響があるでしょうか?

 

今申し上げたのとまったく同じことです。霊的実在についての知識がある場合は何の影響もありません。知識のない人はショックによる影響があります。しかし、いずれ時の経過とともに意識と自覚を取り戻します。p210

 

原爆被害地の広島や長崎では、いまだにその場所にとどまって霊界へ旅立てず彷徨っている霊が多くいるとのことです。いつまでも苦しんでいる魂はどうすればいいのでしょうか。

生き残った人々が戦争体験を語りだしたり、絵でそれを伝える活動があるそうです。霊たちが生きてきた証に触れることによって癒しが始まるのではないかとのことです。

 

近藤先生の注釈にこのような解説がありました。

 

霊界ではわれわれの想像を超えた規模で地縛霊の救済が行われているのであるが、それとは別に、愛着を覚える人間に意識的にあるいは無意識のうちに寄り添ってくる霊がいて、その人間が考えていることや読んでいるものによって感化されるということは実際にあるようである。背後霊がそう仕向けるのである。その意味からも私は、読経のように形式化するのは感心しないにしても、たとえばシルバーバーチの名言をくりかえし読んだり祈りの言葉を声に出して唱えることは、自分の魂の高揚になるだけでなく、聞いてくれているかもしれない霊にとっても勉強になると考えている。p212

 

私たちの読書会にも多くの彷徨っている霊が集まってこの話を聞いているのではないかということです。自分のことを知りたいと思うのは生者も死者みな同じ。ましてや行くべきところが分からずに彷徨っているとなれば、誰かに道を尋ねたいところです。霊界の話をしている我々の集まりは貴重な機会になっていると思います。

 

昔、読書会のみんなで低級霊の噂をしていたことがありました。噂をすると集まるというので、「低級と言われてお集りの霊のみなさんが気分概してませんかね」と言うと、Aさんが確かにそうだと思ったのか突然「霊のみなさーん、低級と言ってごめんなさーい」と空(くう)にむかって話しかけたので、思わずみんなで笑ってしまいました。霊のみなさんも笑ってくれたんじゃないか?などと思ったりしました。

 

 

STさんから、職場で読書会を始められたという報告がありました。

シスター・鈴木秀子さんの「死」についての本とのことです。

普段話さないような課題を考える時間はとても貴重ですし、それを共有できるってわくわくするなぁと感じました。意識を言葉に変えることによって人生に目的意識が生まれるような気がします。そんなチャンスのある職場で働けるって恵まれてますね。とっても羨ましいです。

 

アクセルよりブレーキという意見もありました。

”もっともっと”とたくさんのことを吸収したいと思いがちですが、逆に混沌を生むことがあるかもしれません。

 

昨今、多くの霊的なメッセージが降りてきています。

その程度の差はさまざまなので、私たちは見極める能力を試されているような気もします。純粋なものから霊媒の意識が混じってしまったもの、果てはまったくの偽物まで。それをどうやって見極めるか。シルバーバーチの以下の言葉が参考になると思いました。

 

私たちは皆さんの理性に訴えているのです。もしも私たちの言うことと態度にあなた方の知性を侮辱し理性を反発させるようなものがあれば、それはどうぞ受け入れないでください。私たちはあなた方の理性、あなた方の知性による納得を得たいのです。その上でなら、私たちの仕事の協力者として、神の意志を地上に行きわたらせるための道具となっていただけるでしょう。そしてそれが地上平和の到来を促進することになりましょう。p204

 

自分はその情報をどう思うか? どう感じたかをしっかりと検証して、自分の中にある神との対話を確実にしていければいいかなと思います。

 

たくさんの質疑応答が終わり閉会の前に司会者が、

「ありがとうございます」とお礼を述べたら、シルバーバーチがこう言います。

 

いえ、お礼はよろしい。私はお礼は頂戴しません。p216

 

かっこいい~と、胸がドキリとするのでした。

 

私のすべての同志に対して、私からの愛の気持ちをお届けしたいと思います。その方たちの多くはまだ一度もお会いしたことがございません。しかし、皆さんからのお寄せくださる愛と好意の念を私はいつも有難く思い、それがあればこそこうして地上での仕事ができているという事実を知っていただきたく思います。

これは容易ならざる仕事です。私はこれを一つの素晴らしい挑戦としてお引き受けしたのです。地上は冷ややかな世界です。荒涼として陰うつで暗い世界です。しかし、その中にあって私たちはそこここに愛と好意と友情の炉辺を見出し、そこで魂を温め、そうした地上の灯台から放たれる光輝を見る楽しさを味わうことができております。

また新参の方々には”導きを祈り求めなさい。知識を祈り求めなさい。真理を祈り求めなさい。必ずや授かります”と申し上げたいと思います。昔から”求めよ、さらば与えられん。叩けよ、さらば開かれん”と言われておりますが、これはまさしく至言です。

それではこれをお聞きくださる方々(カセットで)、ならびに本日ここにおいでの皆さまにも、つねに大霊の祝福のあらんことを。p215

 

霊訓を読んでいる私たちにも祝福が届いたことと思います。

 

 

 

次回 第134回 心のサークル お知らせ

 

 

【と き】  2022年 116日(日)、14時~17時 

【ところ】 ZOOM

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(12)』 1

【持ち物】 上記書籍をご準備ください。

      <書籍が手に入らない場合はお声がけください。資料作ります。>

【参加費】 喜捨

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。

 日常を離れた空間で、ともに学びましょう!

新しく参加希望の方は、本ブログコメント又は下のメール宛へご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。

【メールアドレス】 kokoronosakuru@gmail.com