心のサークル(blog版)

心のサークルは、スピリチュアリズムを学べますが、オープンな初心者向です。

第14回 心のサークル報告

          第14回 心のサークル報告

【と き】 2011年4月24日(日) 13時〜17時
【ところ】 ハーモニーサロンM
【参加者】 Uさん、Oさん、Yさん(記録)
【内 容】

 先ずは、Uさんの無事とこのサークルを開催出来たことに感謝し、皆で再会を喜び合った。それは一カ月半前になるが、三陸沖を震源とする国内観測史上最大のM9.0の大地震が発生(3月11日(金)午後2時46分)し、津波や火災で多くの犠牲者が出た。この大惨事は、東北や周辺各地にも大きな被害をもたらした。日を追うごとに犠牲者の数が増え、未だに終決していない。大地震から始まり大火災、大津波そしてまさかの原発事故まで発生した。人知をはるかに超える大自然のエネルギーは凄まじかった。同時に人間の無力さと、原子力に対する無知や傲慢さがあらわにされた。そのうえ被災地はとてつもなく広範囲に亘る。まさに青天の霹靂で茫然自失の状態から、少しずつ復興または新興へと前進しているようだ。季節も春ということで、新入学や就職などの行事も行われ、新しい一歩への弾みにもなっているようだ。今年も桜は見事に咲いて、ようやく人々にも笑顔が戻ってきたこの頃である。
 すべては天(神)の法則に従って、一厘の狂いも無く営まれているというが、今回のことにも大きな意味が秘められているのだろう。そして広島や長崎の原子爆弾投下や今回の原発事故から、日本は原子力と深い因縁があるようだ。国難と言われているように、日本の持つカルマなのかもしれない。今回のことで世界中の国々が物資やエールを送ってくれた。そして人々は原発に対する問題意識を強くし、各地で原発反対運動も起こっている。今回のことは、世界に大きなうねりを与えたことは確かである。今後の世界の動きに注目していきたい。昔から『禍転じて福となす』『人間万事塞翁が馬』などの言葉があるように、人々はピンチがチャンスになることを知っていた。私もこれまでの生き方を見直す、チャンスとしたい。
 今回の被災者でもあるUさんは、津波による家屋の全壊という診断を受けた。歯科医院の機材はもちろん車や多くの財産を失った。しかし幸いなことに、家族や医院のスタッフは全員無事だった。現在は仙台の娘さんの所で避難生活をされている。携帯で撮った写真を見ながら、Uさんは次のように話してくれた。

「私の診療所は、海から約1キロほど離れて位置していますが、周囲の家はほとんど流されてしまいました。 建物は、残りましたが、一階が、診療室なので、二階近くに達した濁流が窓ガラスを割って入り、4台の治療ユニット、治療器具、4台のPC等は、すべて駄目でした。 裏の駐車場には、流れて来た家の二階部分、二隻の船、3台の車等々瓦礫の山でした。また、水が引くと、二台の自家用車も痕跡がありませんでした。
 地震当時は、診療をしていて、10メートルの津波が来るという警報がTVで入りまして、すぐに患者さんやスタッフを返した後、2階に上がって、移動する準備をしていました。しかし、地震から約1時間後に津波が来た時は、近くの中学校に避難する時間がありませんでした。間も無く5メートル位の津波の上に、たくさんの漁船がまるでサーフィンでもするように迫ってくるのが見えました。
 自宅で津波を迎えましたので、まさに決死の覚悟をしました。幸い、柱を鉄骨で建てていたことと、大きな漂流物(家や漁船など)の直撃を避けられたためか、本当に奇跡的な回避劇でした。しかし、裏(駐車場側)の窓から見た光景は、地獄図絵でした。
 近くの中学校の校庭には、数十台の車が駐車していました。ちょうど移動中で悲鳴とともに津波に飲まれていった人たち。おもちゃのように翻弄される車の数々。屋根に乗った状態で流されていく人。目眩のするような余震の連続。 流失する家の屋根が接触して自宅を擦っていくバリバリという音。 まるでパニック映画のようで、返って現実感が無かったですね。下の娘(成人)は泣き出してしまいましたし、暗闇でまさに神に祈りました。
 自分達が生かされるならば、きっと意味があるのだろう。生と死の境で生きる意味を問うている自分がありました。まさに九死に一生を得ましたが、水がなかなか引かず、孤立したため、自宅で一夜を明かし、翌日、駐車場近くに乗り上げた漁船の船員二人の方が、ボランティアで手持ちのゴムボートを出され、それに乗せていただき、中学校の3階に避難することができました。人の情に感謝しながら、一息つきました。中学校も二階までは、水が入った痕跡があり、ひどい状態でした。水の中にここも孤立しており、電気は切れ、食料や水がほとんど無く、翌日(13日)に自衛隊のヘリコプターで隣町の運動場へ脱出しました。多くの方は、立地条件の良い別の避難施設に移り、犬も連れていた私は、そこから25キロほど家内と下の娘と一緒に歩いて移動し、なんとか上の娘のいる仙台のマンションに落ち着きました。
 今回の震災では、幸い、家族や海沿いのスタッフもすべて無事で、生かされたといった感じなので、私には、天から与えられた命を世のため人のために捧げたいといった気持ちが自然に湧いてまいります。まずは、診療再開に向けて決意を新たにしています。地域全体のライフラインが、破壊されており、復興には、幾多の困難と時間がかかりそうですが、きっと乗り越えられるでしょう。この震災で、多くの方々が命の大切さをより身近に実感され、日本人全体にとってもきっと意識の覚醒に繋がる大きな契機となることでしょう。まさに「艱難汝を玉とす」です。まずは、亡くなられた多くの方々の冥福をお祈りいたします。 また、幾多の励ましとご協力をいただいた皆様のご厚情に深く感謝いたします」

 そしてUさんは若い頃から聞いていたという、マーヴィン・ゲイの『Mercy Mercy Me(The Ecology)』(1971年)という歌を紹介してくれた。YouTubeからのものであるが、環境保護を歌う歌詞と公害の映像がとてもコラボしていた。40年前に書かれたものであるが、残念ながら現代の環境はさらに悪化している。以前にトヨタのコマーシャルでも採用された、軽快なリズムでささやくようなメッセージは次のとおり。

 
Oh, mercy mercy me
Oh, things ain’t what they used to be
Where did all the blue skies go?
Poison is the wind that blows
From the north, east, south and sea
Oh, mercy mercy me
Oh, things ain’t what they used to be
Oil wasted on the oceans and upon our seas
Fish full of mercury
Oh, mercy mercy me
Oh, things ain’t what they used to be
Radiation in the ground and in the sky
Animals and birds who live nearby are dying
Oh, mercy mercy me
Oh, things ain’t what they used to be
What about this overcrowded land?
How much more abuse from man can you stand?
My sweet Lord
My sweet Lord
My sweet Lord

おお、お慈悲を、恵みを
おお、前はこんなんじゃなかった
青空はどこにいったんだろう?
吹いている風は、毒なんだ
北や南や東からね

おお、お慈悲を、恵みを、
おお、前はこんなんじゃなかった
石油が大海やおれたちの海を荒廃させたんだ
魚は水銀漬けだよ

おお、慈悲を、恵みを
おお、前はこんなんじゃなかった
放射線は地下にも空にも
近くの動物や鳥は死にそうなんだ

おお、慈悲を、恵みを
おお、前はこんなんじゃなかった
この人があふれた大地は何なんだ
益々の乱用にどこまで我慢できるんだろうか?

愛しい主よ・・・
愛しい主よ・・・
愛しい主よ・・・ (Uさん訳)

 さてOさんは、仙台の仕事先で被災したが無事だった。JRが不通になり帰宅が困難になり、仙台の娘さんの所でしばらく過ごされた。やはり食糧の調達に日々奔走したという。そんなドサクサの中、昼食の約束をした3月13日にOさんはYさんの店を訪れた。この日は実は心のサークルの開催日でもあった。そのことに気付いたOさんは、導かれたと言っていた。Yさんの持っていたお米を炊いて昼食を共にし、Uさんの無事を祈った。Oさんには息子さんもいるが、連絡がしばらく取れなかったようだ。その時のことを振り返って「携帯のせいで繋がらないのは分かっていても、いろいろ良くない方に考えてしまった。どこかで生きていると自分に言い聞かせていました。もしこのまま一言も無く永遠に別れるなんて、とても受け入れられなかったと思います。連絡が付いた時は本当に安心しました。やはり急な別れというのは準備がないだけに、辛いものですね。その後再びスピリチュアル関係の本を読み直しました。これからは何があっても大丈夫だと思います!」とOさん。さらに息子さんの就職が決まったことを嬉しそうに報告してくれた。
 Yさんは自店にいる時被災した。商品は棚から落下し破損もしたが、地盤が固かったせいもあり棚は倒れず建物も大丈夫だった。店と自宅の安全を確認した後、近くの避難所である小学校にボランティアに駆け付けた。小学校の体育館には、地域の被災者が次々と避難してきて、夜Yさんが帰る頃には、座るのがやっとの込み合いだったという。今回のことについてYさんは「この辺は地震の影響だけなので、一次的に避難している人がほとんどでした。中には毛布を持参して一夜を明かす覚悟の人もいました。その学校には毛布の備蓄はありましたが、十分ではないので持参するのがベストでしたね。そしてラジオから津波の惨状が流れてきました。荒浜の海岸に多数の遺体が漂っていると聞いた時には、海に近いUさんのことが心配になりました。ただただ生きていてほしいと祈るばかりでした。スピリチュアリズムを学んできたお陰で、自分が死ぬのは怖くないのですが、家族や友人など身近な人が亡くなるのは辛いものですね。Uさんと連絡が取れるまでもうダメかと早とちりしてしまいました。(苦笑)何はともあれ、また心のサークルを開催できて本当に嬉しいです。さらに成長を目指します!」と語った。
 
◆ ティータイム ◆
〜今回の大震災で多くの犠牲者が出たことについて〜
「一度にたくさんの人が亡くなり、霊界は大忙しでしょうね」
「おそらく死んだことに気が付かない人がほとんどでしょう。自縛霊も多いのでは。」
「霊視能力ある人が見たら、すごい光景かもしれませんね」
「死後の正しい知識を持つことで、霊界に移行しやすくなるのですが、どれだけの人が持っていたでしょう」
「やはり霊団に任せて、我々は祈ることで良いのでしょうか」
「それで良いと思いますが、できれば生きているうちから自分の背後霊と繋がることが大切です。さまざまなサインを与えてくれますが、それに気付きどう対処するかが重要です。そして霊界に行ってからも導いてくれるのですよ」
「心強いですね。また死後の世界を知った者は、死を恐れないと言いますが、本からの知識より自分で体験して実感するのが一番ですよね」
「Uさんはヘミシンクで見て来られたわけですが、私にも見ることが出来るのでしょうか?」
「何とも言えませんが、やってみる価値はあると思います」

この後、ヘミシンクに関するUさんの説明があり、後日に実習が約束された。

**この度の災害を通して、生きているうちに多くのことを学びたい、経験したいという気持ちが高まってきた。特に霊界のことがそうである。ある霊界通信に、顕幽に通じることは至福の喜びであるとあった。つまり生きていて死後の世界を自由に往来し、故人と会ったりさまざまな教えを受けられるそうだ。しかしそこには必ず背後霊の指導と見守りがあることを忘れてはならない。私は愛読しているUさんのブログ(『 アセンション2012 』 楽天ブログ)から常々学ばせて頂いている。これからもより一層『縁』を大切にして『絆』を深めていきたいと思う。
♡ がんばろう日本 ♡ がんばろう東北 ♡