【と き】 2021年4月18日(日)、14時~17時
【ところ】 zoom
【参加者】 進行:US、記録:SK
US、SK、YY、UC、WM、TN、SM、IK、SK 以上9名
【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(11)』の読書会
3月の読書会は休会でした。宮城県内のコロナ感染者急増に加え、前日に発生した大きな地震がダメ押ししたという感じでした。4月になっても状況は良くならず、「蔓延防止措置」も発令され、そこで、いよいよモバイル読書会をやってみますか! と、初のズーム開催となりました。
さて、うまくいくかな? みんな入れるかな?と未知数だったのですが、やっぱりぃ~、アレ? 入れないゾ! ドーシタ? エ? どーすればいい?と、LINE上でアーダコーダとやり取りをした後、30分後に無事開催~!
全員集合。
みなさんの顔を見られてほっと一息です。
それにしても読書会のためにみなさんが時間を作ってくださっていること、本当に感謝申し上げます。
まずは一人ずつ声出しをリクエストされました。
USさん:心のサークルの記録を見ると、輪読を始めたのは2012年2月18日の第19回からです。ちょうど10年目を迎えることになります。今日は11巻を読む予定です。
読み始め当時の記録を見ましたら一日のうちに2章と3章を続けて読んでいたりと、とても精力的でした。
あのころ、12巻という数字は永遠のような気もして、どんどん読んじゃってたんですね。今は、一章を2回に分けたりして、ゆっくりやってます^^
STさん:河北新報の社説で気になる記事があったので、それについてみんなと話したい。
WHOが健康の定義を「身体的、心的、社会的および精神的、霊的(spiritual)、動的( dynamic )に安寧な状態」とした件とのこと。
おお!面白そう。これはあとでのお楽しみです。
YYさん:現在、平日夜に「宮城シルバーバーチ読書サークル」を主催されており、久々の参加のご挨拶でした。
TNさん:心のサークルの集まりはそれぞれが自立していて、なにかに依存しているのとは違う姿勢に共感しています。
WMさん:相談事をすると感情から離れたところでアドバイスがもらえる場所だなと思っている。
SMさん:クリスチャンですが、カトリックという枠にとらわれずにさまざまな勉強をしたい。
UCさん:シルバーバーチは心がスッとします。
USさんがシルバーバーチの祈りを唱え、さっそく輪読を開始しました。
シルバーバーチの霊訓(十一)
2章 霊媒的能力
p26~40
少々長い章だったので、半分だけ読むことにしました。
残りは次回へ。
本を持っていない人もいらっしゃるので、ネット上に上がっている文章を画面で共有。読みづらいかな?とも思いましたが、案外皆さん大丈夫でした。
久々の音読。気持ちが引き締まります。
私たちの会の特徴は「形式ばらない」。
さっそく本の内容からは離れまして、TNさんと私SKが先ごろ一緒に旅をした、沖縄・久高島の話をしてほしいと乞われて、その報告から始まりました。
久高島は知る人ぞ知る神の島。
沖縄最大のパワースポット。その特殊さはスピリチュアリストの間で密かに注目されている場所です。
古代からの祭事を今も継承しており(一部失われつつあるが…)、独特の文化を持ち続け、現代では忘れられてしまった大事な価値観が残されている島。
女性を神人(カミンチュ)とよび、女性中心の社会。母神を守護神とする。
女が守護する者、男は守護される者という文化。
男社会の中で生きている私たちには、目からうろこの新鮮な価値観であると同時に、もともとはそうだったのでは? というような深い記憶が呼び覚まされました。
島の印象はひとことで言えば「異界」。なにがそう思わせるのかは言葉にするのはとても難しいのだけれど、何かがあるというわけではなく、むしろ何もないと言った方が近くて、けれど何かの存在を感じる、、、というような不思議な感覚の土地でした。久高島の研究者である比喜康雄さんの著書「日本人の魂の源郷 沖縄久高島」を読み直したところ、「質素で清潔」という言葉を使っていました。確かに!と思います。
神の存在など考えることのない現代にあって、神が常に存在する久高島の神の気配の漂い方は本土とはまるで違うのでした。
植物のパワーに抱かれ、海鳴りの中で眠る旅でした。
次に、STさんがおっしゃっていたWHOの健康の定義。
新聞の社説は「『身体的、心的、社会的および精神的』は分かるが『霊的に』というのがなんのことなのかわからないが…」と『霊的』が軽く無視された形で書かれていたとの報告に一同笑。
やはり「霊」という言葉はまだまだ浸透してないですかねぇー。しかしながら、我が日本は神話が残る民族。霊の世界も自然に継承してきています。今、アニメが日本文化の発信をしています。そこでは目に見えない存在を描いたり内的世界の成長が書かれていて、物的生活から精神的生活へ価値観を移行させるよい流れを作っていると思うとSTさんからのお話。
この話でまた久高島の話に戻るのですが、島では暮らしの中の神として、火の神 水の神 トイレの神 屋敷の神を祈願しています。それは感謝すべき対象ということ。昔、おばあちゃんがそんなことを言ってたなぁと思い出します。どの神様も生きる上で大変お世話になっています。当たり前にあるものに感謝を忘れているというのが正直なところです。
火も水もトイレも家も、常に無言でそこにある。無償の愛だなぁと気づきます。そう思うと頭が垂れますね。
「ありがとう」という言葉は波動が高いそうです。いつも話題に出るS先生は一日に千回以上もありがとうを仰っているとか……。そんなに何回も感謝する対象があるのか?などと思ったりしていましたが、生きているだけで感謝だらけの日常ですね。
SMさんは雲の写真を撮られることが多い日常を過ごされています。心が慰められるそうです。
ふと空から呼ばれて見上げると美しい雲がある。呼ばれるコツは「ぼーっ」とすることだそうです。
インスピレーションは大事です。太陽にあたることもよいでしょう。背後霊を常に意識するとよいかも。雲の中に伝達のエッセンスが含まれているかもしれませんとの感想がありました。
WMさんは最近本を読む習慣を復活させたとのこと。その内容の中でここにはどんな意味があるのだろうと疑問をもつことがあるとのお話がありました。
USさんのアドバイス:そこに「愛」があるかどうかではないでしょうか? 例えば一見悪いことに見えても、愛を基準に考えると永遠不変の価値観が見えてくると思います。
SK(私):シルバーバーチの霊訓は同じことの繰り返しばかりなのだけど、なぜかその都度新鮮。いつも新しい気持ちで読んできました。読み始めて10年経ち、最近なんだか体全体の細胞にやっとその真理が溶け込み始めたような気がします、などと訳の分からない発言をしちゃいましたが、USさんが、量子論的にそれはありかもですねとフォローしてくださいました。
先日、皮膚にも意志があるという研究をTVで見ましたので、それほど突飛な考えでもなさそうです。肉体という細胞の集合体を引き連れている私としては、肉体(細胞たち)にもそれに馴染んでもらうという作戦はアリなのかなぁと思っています。
「文字」を治療に使う医療があるそうです。
体の悪いところにマジックで文字を書く。斬新! 実に進んでいる医療ですねぇ。冗談のような話ですが、本気であることは理解できます。この感覚がわかる人ってどのくらいいるでしょうかねぇ。でも「耳なし芳一」の文化のある日本ですから、その発想は「術」として古来からあって正当かもしれない。ほかの国でもそんな文化はあるのかなぁ。知りたいところですね。
こんな風に心のサークルの会話は多岐に飛ぶのでありました。
TNさんから、輪読で自分の読んだ場所はやはり自分にとって必要な場所だったとのお話がありました。
霊界はいろんな手段でメッセージを送ってくると言われています。そのメッセージを的確にキャッチするのも能力だなぁと感じます。
霊訓の中身に戻ります。
霊媒が次々に他界してきました。スピリチュアリズムは霊媒能力が頼りです。新しい霊媒は準備されているのでしょうか。p29
この質問にたいして、必要であればさらに多くの霊媒が用意されることでしょうと、まったく心配いらないことを述べてから
もっとも、そうした配慮がなされているという事実が必ずしもスピリチュアリズムの組織の視界に入るとはかぎりません。ささやかなホームサ-クルの形を取ったり、個人で独自の手段で行われる場合もあります。そういう人たちは自分のことをスピリチュアリストであるとか、霊媒であるとか、霊能者であるとは思っていないかもしれません。p29
”ささやかなホームサークル”----。この、心のサークルもですね、とUSさんから指摘されて、そっか、そーなんですね。わたしたちも霊媒の役目を果たしているんですねぇと、まさに自分のことを霊媒であるとは思っていない者の感想です。
私たちの人生が果たして人類の役に立っているかわかりませんが、霊界に還ったあとに、ちゃんと貢献に関わっていたと知ったら歓びに満ちるでしょうねぇ。そうだといいのですが…。
背後の霊たちに私を貢献の道に導いてくださるよう願うばかりです。
そこで肝に銘じたいのは”謙虚”です。最近はとてもそう思います。
地上に霊的教育が欠如していることは間違いありません。また虚栄心、自惚れ、指導霊崇拝がはびこっていることも残念ながら事実です。基本的真理がおろそかにされて、実質的には地上に何の益ももたらさない脇道が開拓されています。p30
この脇道は常に隣にあり、ふと気がつくとそちらの道に行ってしまいそうになる、もしくはその道を歩いていることがあるのですが、どの道を選択するのかは、霊性によるもの。そしてこの世は霊性進化を目指している、舞台で言えば本番真っ最中。究極の自己顕示の機会を与えられているのかも。
迷いながらも自分で決断をくださなければならないことがあるのです。
そこにあなたの自由意志の要素があるわけです。ご自分で精一杯のことをする——私たちから皆さんに要求するのはそれだけです。p31
自分の人生をどうプロデュースするか、まったくの自由。それぞれが主人公です。
どの人の人生も学びがあるはず。極端な言い方をすると犯罪者であっても、きっとそうだと思うのです。だからこそ人生には価値がある。
宇宙のからくり、真理のすべてを知らない私たちは「一生懸命生きるだけ、それだけです」ということなのかなぁとこの文章を読みました。
とにかく、それが自我の開発になるということ。
霊的指導者の人生はすべて同じパターンをたどります。
いやしくも人のために生涯を捧げる使命を持つものは、過酷な試練を体験しなければならないのです。もはやこれ以上は耐え切れないと思うギリギリの淵まで追いつめられ試されなければならないのです。地上のいかなる者からも救いの手は差し伸べてもらえないと思える深淵まで落ちてみなければならないのです。
そこに至って初めて魂が目を覚まし、霊界からの届けられる豊かさと力と導きと叡智と愛を受け入れる用意が整うのです。p35
苦難がなければなにも悟ることができないことは、経験的によくわかるのですが、しかしながら進化するというのはつくづく大変な道のりだなぁと思います。が、苦労せず楽な道ばかりを歩むのも、それもまたつまらないような気がします。苦難はつきものなんですかねぇ。けれど、苦難あるところには、必ず歓びも用意されているので、やはり正負の法則ですね。
光を見出すのは暗闇の中にあってこそです。人生はすべて両極性です。苦労なしには魂は自我を見出すチャンスがありません。苦難がその触媒となるのです。霊的に向上し、霊的資質をより多く具え、喜んで人のために自分を犠牲にする覚悟ができるようになる、その手段として用意されるのです。p38
次回 第126回 心のサークル お知らせ
【と き】 2021年 5月16日(日)、14時~17時
【ところ】 ズーム開催
【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(11)』 3章
【持ち物】 上記書籍をご持参ください。
<書籍が手に入らない場合はお声がけください。資料作ります。>
【参加費】 喜捨
【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。
日常を離れた空間で、ともに学びましょう!
新しく参加希望の方は、本ブログコメント又は下のメール宛へご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。
【メールアドレス】 kokoronosakuru@gmail.com