心のサークル(blog版)

心のサークルは、スピリチュアリズムを学べますが、オープンな初心者向です。

第91回 心のサークル報告

【と き】  2018年3月18日(日)、14時~17時
 
【ところ】 宮城県仙台歯科医師会館 4F 和室
 
【参加者】 進行:US、記録:SK
 
       USHMGSYYMMIK WM  SK以上8名
 
【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(8)』の読書会 
 
 
すっかり春めいてきました。
といいますか、春を飛び越して初夏のような陽気になってきました。
3月だというのに26日には最高気温22度を記録しました。
ぼんやりしているとあっというまに季節が通り過ぎてしまいそうです。
 
久しぶりにWMさんが読書会に来てくださいました。
 
さて、シルバーバーチの霊訓、第8巻に突入です。
Uさんがシルバーバーチの祈りを唱え、Iさんにアンマのマーオーム瞑想を行っていただき輪読の開始です。
 
 
 
 
シルバーバーチとはいったい誰なのか。
確かに気になるところではありますが、シルバーバーチはこう答えています。
 
たとえ有名な人物の名前を述べたところで、それを証明する手段は何一つ無いのですから、なんの役にも立ちません。
私はただひとえに私の申し上げることによって判断していただきたいと望み、理性と知性と常識に訴えようと努力しております。もしもこうした方法で地上の方々の信頼を勝ち取ることができないとしたら、私の出る幕ではなくなったということです。
(略)
私たちの世界では地上でどんな肩書き、どんな財産をもっていたかは問題にされません。要はその人生で何を為したかです。(P11~12)
 
確かに、ヨセフやヨハネだと、名乗ったとしたら。
急に何かが色あせるような…。
「ほんとうにヨセフ? ヨハネ?」 など、決して解決しない疑問が大きな障害になって、中身を検討する気にもなれなくなるかもしれません。
シルバーバーチは常に「私はラベルには関心がない」と仰っているので、名前もしかりなのですね。
 
何を語るのかがこの霊訓の真髄です。
 
同じ本なのに、それをどう読むかはそのひとによって違うようです。
その違いは、「好み」の違いにすぎないと軽く考えていましたが、
「違うという現象」に隠れているほんとうの意味は、「人はそれぞれ自分の作った世界を生きている」という真理の表れなのではないか、と考えると見方が変わります。
 
シルバーバーチの本の感想を聞いてみると両極端です。
 
この世の疑問が全部晴れた! と絶賛する者もいれば
内容がさっぱりわからない、
どこが感動なのかまったく共感できない。
当たり前すぎてつまらない。
などという感想を聞くこともあります。
大感動する人から、何も感じない人まで。
 
生きている現実が違うのかもしれません。
 
 
横道にずれますが、霊界に戻ると、そこは類魂の村で、同じ魂をもつ仲間しかいないそうです。
同じ「現実」を生きます。
言葉を発しなくとも思念だけでコミュニケーションがとれます。
周りがみんな自分と同じ。良い事も悪い事もオープンハート。
シルバーバーチの本の感想も共感。
気心のしれている友人たちの集まりは居心地がよいものですが、類魂の村はその究極の場所なのでしょう。
肩の力が抜け、癒されそうです。
(欲望だらけの村もあるそうですが^_^;)
 
 
 
すると、魂の村では摩擦がないので、徐々に困難を求める気持ちが生まれるらしい---とUさん。
そこで、私たちは様々な魂の坩堝であるこの世に生まれ変わることを自ら望むのだそうです。
 
さて、実際生まれてはみましたが、望んだ(であろう)とおりに、揉まれに揉まれ(こんなはずだったのか! と抗議したい気持ちを抑えながら)、いったい自分は何者なのか? という疑問を持つことになり、ついにシルバーバーチの読書会に参加するまで辿り着きました。
 
シルバーバーチは、この世に戻ってきた理由を、スピリチュアリズムを受け入れる用意のできた人たちにその心理を分けるためと答えています。
 
受け入れる用意ができた人-------この本を手に取るということは用意のできた人と思ってよいそうです。
その資格を持ったということ、恥ずかしながら、末席に座らせてもらいました。
 
自我の開発--これが人間としてのもっとも大切な目的です。それがこうして私たちが霊界から地上へ戻ってくる目的でもあるのです。すなわち人間に自己開発の方法、言いかえれば霊的革新の方法をお教えすることです。内在する神の恩寵を味わい、平和と調和と協調と友愛の中で生きるにはそれしかないのです。今の地上にはそれとは逆の”内紛”が多すぎます。P21
 
自我の開発。
 
場所を変えたら、職場を変えたら、相手を変えたら、現状がどうにかなるのだろうか?----どうにもなりはしない。
自分自身はどこにいったって自分。不安や心配から逃れようしても無理、と昔から思っていました。
以前はそれが絶望だったのですが(つまり、逃げ場所がない)、そうではなく、開発しろということなんですね。
 
腹をくくる(受け入れる)。
最近浮かんでいる言葉はこれです。
なぜか足がすくみます。
 
 
巣を飛び立つ雛は落下の恐怖を乗り越えて空中へ身を投じます。
(実際に落下する雛の映像を見たことはありませんが、みな成功するのかなぁ。飛べない鳥はいるのだろうか?)
 
とにかく雛の不安は容易に想像できます。
落下しないかどうかは飛び立たってみないとわからないのに、飛び立たないといけない。
雛にとっては生か死の決断です。
 
不安を捨て、安心の世界へ飛び立とうとするのに、なぜ足がすくむのか。
 
 
人間は問題をことごとく地上的な視点から眺めます。私たちは同じ問題を霊的な視点から眺めます。しかも両者が往々にして食い違うものなのです。たとえば”他界する”ということは地上では”悲しい事”ですが、霊の世界では”めでたいこと”なのです。
 
人間の限られた能力では一つ一つの事態の判断ができません。ですから、前にも申し上げたように、判断できないところはそれまでに得た知識を土台として(すべては佳きに計らわれているのだろうという)信念で補うしかありません。P19
 
佳きに計らわれているだろうという信念をもつことができるか?
落下しないという信念と戦う雛の姿と自らを重ね合わせます。
 
 
精神を鎮め、受容性と協調性に富んだ受け身の姿勢。
羽ばたけるかどうかは、見えない力を受容できるかどうかです。
 
 
それにしましても、単純なことなのに、実行しようとするととても難しいシルバーバーチの訓え。
さまざまな固定観念や習慣、心配、取越し苦労、不安、利己主義や自己保身などが、行く手をふさぎます。
しかし、それが生まれ変わった目的であれば、順調ということです。
 
 
歓談のなかで、
自身の霊団の中に5代前くらいの前の先祖が関わっている事が多いという話がでました。
その仕組みはどうなっているのか? という質問がありました。
 
結論は死んでみないとわからないですねということでしたが、この世で同じ家族、血族で生まれたという縁と時間の中にその仕組みがあるのかもしれないですね。
 
また、地球上では様々な試練の中で生きている人々がいます。
いまだ戦場の地域
国を追われた移民
独裁者の下で生きる民
 
そんななか、日本は物的にはとても恵まれている国ですが、その日本に生まれた意味はどういうことだろうかという問いがありました。
 
「生きることを楽しむ事」がそのひとつとのことです。
 
たしかに私たちは恵まれています。
ある程度言論の自由は保障されており、衣食住もなんとか皆に行き渡っている。
それなのに幸福度が低い。
 
自我の開発に専念しようと決心した魂の集まりの国なのでしょうか。
 
 
あなた(質問者)の人生がけっして平坦なものでなかったことは私もよく承知しております。スピリチュアリズムという大きな知識を手にするために数々の大きな困難を体験しなければならない----それが真理への道の宿命であるということがあなたには不可解に思えるのではありませんか。けっして不可解なことではありません。そうでないといけないのです。P16
 
 
それにしましても、
なんで生まれ変わってしまったかなぁと、たまには愚痴を言いたくなることもあるものです。^_^;
 
 
 
 
次回 第92回 心サークル お知らせ
 
 
 【と き】  2018年4月15日(日)、14時~17時 
 
【ところ】 宮城県歯科医師会館(仙台市青葉区国分町1-5-1
 
      4F和室
 
      入り口は正面玄関ではなく裏口になります。
 
      尚、入口の表示板に、部屋がどこか書いてあります。ご確認お願いします。
 
      窓口に医師会館の方が常駐していらっしゃいますので、
 
      わからない時は声をおかけください。
 
      
 
【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(8)』の読書会:2章 
 
【持ち物】 上記書籍をご持参ください。
 
【参加費】 喜捨
 
【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。
 
     日常を離れた空間で、ともに学びましょう!
 
 新しく参加希望の方は、本ブログコメント又は下のメール宛へご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。
 
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【メールアドレス】 kokoronosakuru@gmail.com
 
又、これまでのメンバーの皆様は、出欠係の柴田までご連絡ください。