心のサークル(blog版)

心のサークルは、スピリチュアリズムを学べますが、オープンな初心者向です。

第89回 心のサークル報告

 【と き】  2018年1月21日(日)、14時~17時
【ところ】 宮城県歯科医師会館 4F和室

【参加者】 進行:US、記録:SK

       US、ST、HM、GS、YY、MM、IK SK以上8名

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(7)』の読書会 第11章

 

新年あけましておめでとうございます。

今年最初の心のサークルです。

 

第一回目は常連のメンバー、全員集合でした!

ありがとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

YYさんが持ってきてくださいました4096ヘルツの音叉--エンジェルチューナーというのだそうです--を部屋の四隅で響かせ、場を浄化。

キーンと澄み切った音に浸ると、自然に心が弾んできます。

浸れてうれしいー♪というこの感覚は、日頃のさまざまな刺激に疲れた心の歪が、その波動で癒されたせいかもしれません。

 

さて、前回に引き続きまして今回もヒーラー・ブルーノグルーニングのDVD・2本目の鑑賞です。

今回は、はじめにシルバーバーチの霊訓を輪読し、そのあとにDVD鑑賞となりました。

 

 

シルバーバーチの霊訓7

11章 なぜ神に祈るのか

 

 

あなたはなぜ神に祈るのですか?と問われたシルバーバーチはこう答えます。

 

それは、私に可能なかぎり最高の”神の概念”に波長を合わせたいという願いの表れなのです。

私は祈りとは魂の憧憬と内省のための手段、つまり抑え難い気持ちを外部へ向けて集中すると同時に、内部へ向けて探照の光を当てる行為であると考えております。

ほんとうの祈りは利己的な動機から発した要望を嘆願することではありません。われわれの心の中に抱く思念は神は先刻ご承知なのです。要望は口に出される前にすでに知れているのです。

 

祈りは、願い事を唱えることとは違うということですね。

波長を合わせる行為。静かな行為ですね。

 

一般的な日本人と神との関係には「願い事」がついてまわっているような気がします。

ずっと以前の話しなんですが、知人が「神なんかいない、神を語るなんてナンセンス」と吐き捨てるように発言していました。

神がいないと豪語するその根拠は、これまで自分は何度も重大な危機にあった。

そんなとき、いつも神に祈った。

----助けてください、と。

けれども一度も助けてもらったことはない。

だから神なんていない。

それを語る彼には怒りがありました。

存在しないはずの神に怒りを向けるなんてそれも矛盾だなぁと思いながら話を拝聴しておりました。

 

彼はどんなことをどんな風に祈ったのだろう。

勝手な行動の後始末だけ頼んだ、なんてことではないのかなぁ。

そうでないにしても、その願いどおりのことが、ベストではない場合もあります。

 

神の存在を論議し合うのは困難です。

彼と、神について語る気は私にはありませんでした。

 

 

P199

では誰に、あるいは何に祈るべきか ―-この問題になると少し厄介です。なぜなら人間一人ひとりに個人差があるからです。人間は必然的に自己の精神的限界によって支配されます。その時点までに理解したものより大きいものは心象として描き得ないのです。

 

 

なるほど個人差ですね。

精神的限界----。

 

最近よく思うのですが、同じ価値観をもっていてさえも、焦点のあてかたが違ったり、見落としがあったりして、同じ現実を、違う現実として生きているのだという事を理解したほうがよいなぁということ。

違う感じ方をしているのだから、反応がさまざまなのは当然。

それが見えると生きやすくなります。

私と他者は、程度の差こそあれ、誰一人として、同じ世界で生きてはいない。

同じ文章や画像を見ていても、違う文章や違う映像なのです。

その原因が、それぞれの精神的限界と表現してもいいのかなぁと思います。。

 

そんな中、この心のサークルのように、似たような精神性をもった仲間たちと出会うという時間は大変ほっとするところです。

 

神を信じない彼と私とは違うカテゴリーで、どちらが正しいとか間違っているとかではなく、それぞれが正しいのだと思います。

その「正しい」は”自分にとって正しい”ということ。

どちらも正しいのですから、偏見や非難の目で見てはいけない。

議論はできるとしても…。

 

私は「本当の正しい」を知りたいと願います。

本当の正しいとは「真理」のことです。

 

 

祈りとはわれわれのまわりに存在するより高いエネルギーに波長を合わせる手段です。

より高い波長を受け入れることができたとき、かくしてわれわれに「本当に必要なもの」が授けられるのです。

 

 

私はシルバーバーチの訓えが真理だと考えています。

 

 

 

さて、ブルーノグルーニングのDVD第二巻の鑑賞です。

 

第一巻と同じように、証言集なのですが、1巻よりももっとブルーノの近いところにいた人々の証言などが加わり、詳しくなっていきます。

 

ブルーノの治療能力は想像以上の性能です。

 

患者がその場にいなくても治るどころか、たとえば、ブルーノを信用していない人に対してでもエネルギーは作用し完治。

実に正確な治療ができるんですねー。

どれだけすごいヒーラーなのか分かります。

 

被害妄想で長い間引きこもりになっていた男性の家族がブルーノに手紙をかいて治療を依頼すると、

1週間後に「○月○日○時○分 何がおきるかみていなさい」という返事が届いたそうです。(わくわくしますね~)

指定された時間の数分前に、突然ひきこもりの彼の部屋のドアがあき、背広を着た彼が(彼が背広を着ること自体が奇跡!)外へ出ていったのだそうです。(行先は公園だったようですが…)

家族は本当に感動したのだという証言

 

次々に弱きものを助けていくブルーノの周りには奇跡で溢れています

その様子を間近で見ていたひとたちが羨ましいなぁと思いました。

どれだけの感動でしょうね^^

 

しかし、これだけのエネルギーを発すると、マイナスのエネルギーも引き寄せてしまうのだと彼自信が発言したという証言がありました。

実際に多くの裏切りにもあったようです。

人は弱い存在なんですね。

悪魔のささやきに乗ってしまった人たち。

彼らは彼らなりに人生から試されていたんですかねぇ。

 

さて、私は大丈夫かな・・・。

 

ブルーノは一銭も治療費を受け取りませんでしたと誰もが証言します。

着ているものはいつも古ぼけたポロシャツとズボン。その恰好だけでもそれが分かる…。

たしかにブルーノのたたずまいは質素です。

 

キリストの顔ってどんな顔なんだろうなぁと想像することがあります。

立派な人ってどんな顔になるのか。なぜか興味ありますよね。

 

ブルーノの顔つきはとても精悍で魅力があります。

すこし影があるようにも見えます。

それは、小さな時から大変な苦労をされたということで、その経験が憂いを醸し出しているのかもしれません。

その影に私は惹かれます。

 

ブルーノのようなすごいヒーラーが現代にいないのだろうか?と 私が言いましたところ

 

いるけど、おおっぴらになっていないだけなんだろう

もし、知られてしまうと、きっと消されてしまう危険があるのだろう。

とメンバーからの応え。

 

限りない善が攻撃されるのが現実の我々が住んでいる世界。

寂しい世界ですね。

そういうところで私たちは生きてるんだなぁ。

どんな因果があったのかなぁ~~。

 

 

さて、今回の報告は以上です!

次回の告知です。

 

ブログを読んで下さっている方々へ

スピリチュアルに興味のある方はいつでも参加お待ちしております。

縁があればお会いしましょう♪

 

 

次回 第90回 心のサークル お知らせ

 【と き】  2018年2月11日(日)、14時~17時 

【ところ】 宮城県歯科医師会館(仙台市青葉区国分町1-5-1

      4F和室

      入り口は正面玄関ではなく裏口になります。

      尚、入口の表示板に、部屋がどこか書いてあります。ご確認お願いします。

      窓口に医師会館の方が常駐していらっしゃいますので、

      わからない時は声をおかけください。

      

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(7)』の読書会:解説 悲劇の霊媒ヘレンダンカン

【持ち物】 上記書籍をご持参ください。

【参加費】 喜捨

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。

     日常を離れた空間で、ともに学びましょう!

 新しく参加希望の方は、本ブログコメント又は下のメール宛へご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。

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又、これまでのメンバーの皆様は、出欠係の柴田までご連絡ください。