心のサークル(blog版)

心のサークルは、スピリチュアリズムを学べますが、オープンな初心者向です。

第75回心のサークル報告

【と き】  2016年11月20日(日)、14時~17時 

【ところ】 宮城県歯科医師会館(仙台市青葉区国分町1-5-1) 

【参加者】 進行:US、記録:ST(MEN)

       US、ST、SK、IK(MEN)、HM、IK(WOMAN) 以上6名

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(6)』の読書会:9章、談話

 

読書前の会話におきまして

IKさんによるアンマの瞑想をはじめに行い、心がすっきりとしましたところで、    

USさんによるシルバーバーチの祈りで場の空気が上昇してから読書会に移行しました。

 

 

霊訓 第9章

P.160 1行目

More Wisdom of Silver Birch(次の・・・ 

~P161 3行目

・・・教えていただきたいのです”云々・・・

 

宗教的により後付された「刷り込まれた良心」とシルバーバーチの言う「偏りのない良心」に関して、

「偏りのない良心」とは何か、また、この両者の見分けはどのようにつければよいのかを問うています。

確かに、キリスト教的立場にたつ人間からしますと、聖書以外の神や霊につきましてはその存在を認めないばかりか、

それについて語る人間について悪魔的な偽の予言者というレッテルを貼る傾向があります。

キリスト教信者は霊的知識について、聖書の知識しかありませんから、

そこに書いていない情報につきましては非常に懐疑的であり、

聖書の解釈についても牧師を通じて神学的に妥当な解釈が提示されます。

聖書には人を愛すること。非暴力など様々な善がつづられていますが、

それと同時にキリスト教の神以外は存在せず、イエスキリストは神の子であること。

悪魔は巧妙に人間の心に忍び込むことを教えます。

さらに、すべての人間は罪の中にあり、キリストの死を通じて、神が許しを与えてくださったという

福音を信じることを説きます。

これに対してシルバーバーチイエス・キリストが人間であり、

霊的真理であるところの愛を述べ伝えたのであり、すべての被造物はキリストの死という条件抜きで、

大霊から無条件に愛されていることを説きます。

物質的でない観念の相違であり、自己の良心に関する確信が存在することから、

確かに良心を持たない人間よりも拒絶反応が強いのでしょう。   

 

 

P.161 5行目

この手紙の趣旨を・・・

~P161 最後 

・  ・・正しい道を指示しています。」

 

道徳的、精神的、霊的問題に関連し決断を迫られるときは、地上においても霊界においてもあるとし、

地上の死後、霊界にあっても、決断の機会。すなわち自由意志がそのまま機能し続けるということを

教えています。

そして、神によって植えつけられた霊性の一部である良心が瞬間的に前面に出て、

進むべきコースを指示するというのがシルバーバーチの考えであるとします。

問題はその後、「良心を気に食わないと思う人間性」が頭をもたげ、

欲望や偏見を正当化してしまうことであり、

宗教的良心は、これに当てはめると偏見として整理されることになるのでしょうし、

もし教会という組織における権力闘争などが加わると、欲望もからんでくることになりますので、

少なくとも宗教=良心と考えることには、慎重になったほうがいいように思います。

しかし、困ったことに、宗教=良心であることを信じることが信仰であり、

この信仰を深めることが正しいことであると規定するのも宗教なのであります。

最後にシルバーバーチは、いかに欲望や偏見が入り込もうとも、

良心がもっとも正しい道を指示しているとして、

人間の良心の普遍性、ゆるぎない性質を説きます。

欲望や偏見が大きな力を持つ現実世界にあって、

この良心への信頼こそが希望であると言えるでしょう。

 

P.162 1行目

サークルの一人「・・・ 

~P163 5行目

・・・これが真実です」

 

この部分は先の偏見や欲望が良心よりも優先されてしまうことへの危惧や、

良心の普遍性、遍在性について議論されています。

これに対してシルバーバーチは偏見や欲望を「屁理屈と正当化と弁解」であると表現し、

人間の良心に対して絶対的な自信をのぞかせます。

そして、「一般受けしないかもしれませんが」と付け加えて、現実世界においては、

確かにこの「良心への信頼」が少数派であることを認めつつ、

良心の普遍性、遍在性こそが真実であると説きます。

何度も繰りかえし検証されていることを踏まえると、

とても重要な箇所であることが強調されているのだと思います。

 

P.163 7行目

―東洋の宗教・・・ 

~P163 最後

・・・こともあり得ません」

 

東洋には古くから人間の内部にある神を強調しているとの指摘があった。

これについては例えば、仏教における空などがあるかもしれなません。

概念として捉えることが出来なくても存在するもの。

人間の認識を超えたところにあるもの。

座禅などを通じて人間は空を理解し、近づきうるかもしれません。

己が空そのものになれば、己と神との境界線は希薄になります。

己がない状態とは以前出てきた欲望や偏見がない状態でもあり、

人間の良心が研ぎ澄まされた状態であるともいえます。

この質問に続くシルバーバーチの答えはまさしくそのようなことで、

「人間の中の大霊」も「大霊の中の人間」も同じ事であるとし、

愛という言葉を二回用いて、愛によって人間と神は硬く結びついているとします。

キリスト教的な愛と、仏教の空が結びつき、

非常にバランスの取れた内容になっているのではないでしょうか。

 

P.164 1行目

―すべてが大霊の一部・・・ 

~P164 6行目

・・・になることでしょう」

 

前述の人間と大霊とのつながりを補足しています。

以前出てきた良心は神性のことであり、

良心、神性に基づいた選択が日常でなされるようになるならば、

素晴らしいことです。

 

P.164 8行目

―神はすべての・・・ 

~P166 13行目

・・・資質を掘り起こすのです。」

 

神性についてその顕現は無限であり、

人間が進化し受容力が増せばそれだけ理解力が増し、

神を理解することができるようになり、これが霊性の発達であること。

そして地上に生まれてきた理由が、

人生の荒波を通じて霊性を進化させることにあると述べます。

 

P.166 15行目

―若くして他界・・・ 

~P168 6行目

・・・得心できるということー訳者)

 

若くして死ぬことは、一般に人生における最大の悲劇であり、

その死についてどのように受け止めればよいのか、

本人はもとより家族も途方に暮れるものである。

霊的観点からこの事象を読み解くと、霊的に十分成長し、

人生における目的を達成したから亡くなるケースがまず挙げられる。

松下村塾吉田松陰や、その弟子である高杉晋作などは

幕末にあってその知識と理想、国のあるべき姿を追い求め、

実践に移して生涯を閉じた。

生き抜いたと言っても過言ではないと思う。

短いながらも目的を達し、得るところの多い人生であったのではないだろうか。

次に挙げられるケースとして再生を通じて、不足分を補うケースが挙げられている。

100歳まで生きたとしても、人生の意味を見出すことが出来ず、

世の流れに流されて、受身の人生をたどったとして、

結果、周囲は長生きだった、大往生だったと好意的に評価してくれるかもしれないが、

霊的観点からその人生で果たされるべき課題が成し遂げられていなければ、

再生して再び人生を歩むしかないのであろう。

物質的観点では長生きしてさらに再生できるのであるから喜ばしいことなのかも知れないが、

霊的観点からいえば、高校3年生の学年末テストで赤点をとって、留年を食らうようなものである。

わーい、また学生生活が送れるぞー。

と喜んでいるのが地上的観点なのかもしれない。

そして、この摂理、また学校を例に挙げるならば

校則のようなものは完璧であると断定します。

人生と言う学生生活を通じて学ぶものが愛であり、愛こそが摂理である。

愛は無限の範囲と適応性を有しているとします。

さらに人間の魂の根幹が愛になるとき、

その魂は生を与える霊、すなわち大霊と一体化すると教えます。

 

P.168 8行目

―こうした問題は・・・ 

~P169 11行目

・・・安心してはなりません」

 

この部分はまさに、シルバーバーチと読書会に参加する私たちの共通のテーマであり、課題である。

これまで登場した良心、愛、空、神性、霊力それを無限の顕現を持つ宇宙と表現し、

肉体構造が一つの限界となってその理解に制限を加えるとしています。

しかしながら、肉体構造を持ちながら読書や議論を通じて培った霊的知識、霊的財産は

本来魂の欲するものであり、

それによって私たちは真の喜び、感動を得ます。

シルバーバーチは、私たちもという表現を使い、高級霊と読書会メンバーが一丸となって

この喜びを世界に広めていこうではないかと呼びかけます。

まさにこれは福音を述べ伝えるという行為です。

キリスト教の教義でのキリストの死が私たちの罪をあがなってくださったという福音ではなく、

人間と大霊を結びつける愛という存在が私たちの心に宿っていること。

欲望と偏見を脇においてみれば、自分の中に神を見ることができるという福音です。

信じられない、不遜だと言うそしりを受けるかもしれませんが、

欲望と偏見をなくして、曇りのない眼で見据えていきたいところです。

 

P.169 13行目

ここで話題が変わって・・・ 

~P171 最後

・・・配慮もあることであろう。

 

ここで本当に話が変わってしまい、SFの話になる。

地球以外にも意識体は存在し、最高界の天使的存在から、

意識がようやく明滅する程度の魂に到るまで様々な段階があるそうである。

神は地球人類だけの神ではないという訳である。

ましてや白人だけの神や、日本人だけの神があろうはずがない。

それで宗教戦争が起こるのであるから、病根は根深いものがある。

病根とは欲望と偏見であることをこの章で学ぶことが出来た。

シルバーバーチはそれら異性人の霊体とも交信したことがあるという。

異性人の良心が地球人のものと違い危険なものであるならば、警告などがあるのだろうが、

やはり、良心は地球人も異性人も同じということであろう。

宇宙共通の良心、愛を信じて強く生きて行きたいものである。

たとえ霊体になったとしても。

 

〜次回第76回心のサークル案内〜

 

【と き】  201612月18日(日)、14時~17時 

【ところ】 宮城県歯科医師会館(仙台市青葉区国分町1-5-1

 入り口は正面玄関ではなく裏口になります。入口の表示板に、部屋がどこか書いてあります。

窓口に医師会館の方が常駐していらっしゃいますので、わからない時は声をおかけください。

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(6)』の読書会:10章、談話

【持ち物】 上記書籍をご持参ください。

【参加費】 喜捨

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。日常を離れた空間で、ともに学びましょう!

 新しく参加希望の方は、本ブログコメントにてご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。なお、コメントを入れる際の認証はすべて半角で入力お願いします。

【メールアドレス】 kokoronosakuru@gmail.com

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