心のサークル(blog版)

心のサークルは、スピリチュアリズムを学べますが、オープンな初心者向です。

第45回 心のサークル 報告

【と き】 2014年5月25日(日)、14:00~17:00

【ところ】 ハーモニーサロンM

【参加者】 進行:US、記録:AN

      GK、SKo、Ska  以上5名

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(3)』の読書会:14章、解説、談話

 

 「祈りとは?」と尋ねられたら何と答えましょうか。辞書には「神仏に請い願うこと。祈祷。祈願。」とありますが、かつての私はそのように答えていたと思います。霊訓を学んで以来捉え方も変化し、さすがに「困った時の神頼み」はすでに卒業はしています。しかし今回のシルバーバーチの訓えを通して、祈りに対する概念がさらに拡がりました。

祈りとは、言わば“神との対話”といいますか、“神と繋がることのできる神聖なひと時”のこととも言えそうです。利己心を捨てて他のために祈る。神の、天の導きを請い願うというへりくだったものと捉えました。厳粛な理想的な祈りは、決して目先のたわい無いおねだりではないのです。愛にもさまざまな段階があるように、祈りにも段階があるということでしょう。

最近夢の中でいただいた言葉に「人事を尽くして天命を待つ」というのがあります。私にとって本当にタイムリーでした。わが身を振り返る良い機会をいただき感謝しております。以下の本文にも出てきますが、祈るためには祈るだけの資格が必要のようです。私にはまだまだ先のようです。

さて、シルバーバーチは交霊会の始めと終わりに必ず祈りの言葉を捧げられます。今回の祈りもお手本のように素晴らしいものですが、長文なのでここでは割愛します。今までもシルバーバーチは折に触れ祈りについて説かれておりますが、訳者の近藤千雄さんが、―祈りに関する一問一答―としてここにまとめて記されております。

 

 

≪14章 シルバーバーチの祈り、祈りに関する一問一答≫ より抜粋

◆霊界側は祈りをどうみているか?

「祈りとは何か、を理解するにはその目的をはっきりさせなければなりません。ただ単に願い事を口にしたり、決まり文句を繰り返すだけでは何の効果もありません。その文句に誠意が込もっておらず、それを口にする人みずから、内容には無頓着であるのが普通です。」

 

「真の祈りにはそれなりの効用はありますが、身を持って果たさねばならない地上的労苦の代用とはなり得ません。責務を逃れる手段ではありません。いかなる祈りにも絶対的な因果的連鎖関係を寸毫も変えることはできません。」

 

「人のためにという動機、自己の責任と義務を自覚した時に油然として湧き出るもの以外の祈りをすべて無視されるがよろしい。心霊的ないし霊的行為である祈りのあとには自動的に反応が返ってきますが、それは必ずしも当人の期待した通りのものではなくても、その祈りのバイブレーションが生み出した自然な結果です。」

 

「問題や困難に対して正直に、正々堂々と真正面から取りくんだ時、またありたけの能力を駆使して、しかも力が及ばないと悟った時、その時こそあなたは何らかの力、自分より大きな力をもつ霊に対して問題解決のための光を求めて祈る完全な権利があるといえましょう。そしてその光を手にされるはずです。」

 

「また、その種の祈りとは別に、宇宙の霊的生命とのより完全な調和を求めるための祈りもあります。つまり障壁を克服して本来の自我を見出したいと望む魂の祈りは必ず叶えられます。」

 

モーゼの十戒について。

「もう時代遅れです。今の時代には別の戒めが必要です。啓示と言うものは進歩的なものであり、その時代の人間の理解力に応じたものが授けられております。霊界から授けられる叡智はいつも一歩時代を先んじております。人間がその段階まで到達すれば、次の段階の叡智を受け入れる準備が出来たことになります。

人類がまだ幼児の段階にあった時代に特殊な民族のために授けられたものを、なぜに当時とは何もかも事情の異なる今の時代に当てはめなければならないのでしょう。私には“お互いがお互いのために尽くし合うべし”この一戒だけです。」

 

◆雨乞い等の祈りについて。

「大自然の営みを変えようとして大勢で祈ってみても何の効果もありません。しかし祈りは魂の活動としての価値があります。必死の祈りは、高級界からの働きかけに対する受容力を高めます。つまりより多くのインスピレーションを受けるに相応しい状態に高めるということになります。祈りとは魂の行なのです。」

 

◆悪天候と世の中の邪悪性に関係はあるのか?

「私は世の中が邪悪であるとは思いませんし、罪悪への罰として神が雨を降らせるとは思いません。自然現象は人間の生活とはそんな具合には繋がっておりません。この大宇宙を支えている力は、人間が集団で祈ったところでどうなるものでもありません。だいいち三か月前と一週間前とで世の中の邪悪性に差があるわけではないでしょう。」

 

◆祈らない方がよい時とは?

「祈りとは宇宙の大霊との一体を求める行為ですが、いくら祈っても上手くいかない時は、それはその方が祈りによってそれを求めるのが適さない方であることを意味しています。」

 

●祈りまたは精神統一に関して、訳者の近藤千雄氏は次のように付記されている。

「師の間部詮敦氏が言うには、精神統一の時間は15分ないし30分とした方がよい。なぜなら不安定な状態で精神統一を続けていると、邪霊に憑かれやすいからであると。これに私見を加えさせて頂けば、人間はそれぞれの仕事に熱中している状態がもっとも精神が統一されており、それが祈りと同じ効果をもたらすものと信じている。地上の人間はあくまで人間らしく、五感を正しく使って生活するのが本来の生き方であって、霊的なことは必要な時に必要なものを体験させてくれるものと信じて平凡に徹することである。

シルバーバーチ霊は三千年も前に地上を去り、すでに煩悩の世界を超脱した、いわば八百万の神の一柱とも言うべき高級霊であることを忘れてはならない。」と。

 

 

<進行役 Uさんのコメント>

シルバーバーチの言う祈りについては、以前も私の講演会で質問を受けたことがあります。確かに祈りにも段階があるようですが、神との繋がりを求める行為は、最も崇高な行為といえるでしょう。宇宙の大霊と一体を求める行為とありますが、波長を合わせることであり、それによって人間の意識を高め、生活に反映させることが大切です。他の箇所で、神の使徒として私をお使いくださいと祈るだけで良いとも書かれていたと思います。それには、言葉では理解しにくい信仰心という要素があるように思われます。日々神と繋がるべく、真摯に純粋に精神統一の時を持つ必要性もよく理解できます。長くても30分程度、仕事で精神を集中している時も同じ効果があるとすると、私見ですが、走禅と勝手に自分で名付けましたが、私が毎日走っている時間が思い浮かびます。30年近く続けていると、意識すれば、もっとも一体感を感じる時です。多くのインスピレーションもプラーナももらえます。そう考えるとどんなに忙しくとも祈りの時を持つことはできるわけですね。いかがでしょう。」

 

 

 

 

~ 次回 “第46回 心のサークル”のご案内 ~

【と き】 2014年6月29日(日)、14時~17時  

【ところ】 ハーモニーサロンM(仙台市青葉区宮町3-6-46)

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(4)』の読書会:1章、談話

【持ち物】 上記書籍(会場にて購入できます。1冊1,200円 )

【参加費】 無料

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。

     日常を離れた空間で、ともに学びましょう!

*参加希望の方はご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。

           Tel/ 022-398-3540(荒川)