心のサークル(blog版)

心のサークルは、スピリチュアリズムを学べますが、オープンな初心者向です。

第75回心のサークル報告

【と き】  2016年11月20日(日)、14時~17時 

【ところ】 宮城県歯科医師会館(仙台市青葉区国分町1-5-1) 

【参加者】 進行:US、記録:ST(MEN)

       US、ST、SK、IK(MEN)、HM、IK(WOMAN) 以上6名

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(6)』の読書会:9章、談話

 

読書前の会話におきまして

IKさんによるアンマの瞑想をはじめに行い、心がすっきりとしましたところで、    

USさんによるシルバーバーチの祈りで場の空気が上昇してから読書会に移行しました。

 

 

霊訓 第9章

P.160 1行目

More Wisdom of Silver Birch(次の・・・ 

~P161 3行目

・・・教えていただきたいのです”云々・・・

 

宗教的により後付された「刷り込まれた良心」とシルバーバーチの言う「偏りのない良心」に関して、

「偏りのない良心」とは何か、また、この両者の見分けはどのようにつければよいのかを問うています。

確かに、キリスト教的立場にたつ人間からしますと、聖書以外の神や霊につきましてはその存在を認めないばかりか、

それについて語る人間について悪魔的な偽の予言者というレッテルを貼る傾向があります。

キリスト教信者は霊的知識について、聖書の知識しかありませんから、

そこに書いていない情報につきましては非常に懐疑的であり、

聖書の解釈についても牧師を通じて神学的に妥当な解釈が提示されます。

聖書には人を愛すること。非暴力など様々な善がつづられていますが、

それと同時にキリスト教の神以外は存在せず、イエスキリストは神の子であること。

悪魔は巧妙に人間の心に忍び込むことを教えます。

さらに、すべての人間は罪の中にあり、キリストの死を通じて、神が許しを与えてくださったという

福音を信じることを説きます。

これに対してシルバーバーチイエス・キリストが人間であり、

霊的真理であるところの愛を述べ伝えたのであり、すべての被造物はキリストの死という条件抜きで、

大霊から無条件に愛されていることを説きます。

物質的でない観念の相違であり、自己の良心に関する確信が存在することから、

確かに良心を持たない人間よりも拒絶反応が強いのでしょう。   

 

 

P.161 5行目

この手紙の趣旨を・・・

~P161 最後 

・  ・・正しい道を指示しています。」

 

道徳的、精神的、霊的問題に関連し決断を迫られるときは、地上においても霊界においてもあるとし、

地上の死後、霊界にあっても、決断の機会。すなわち自由意志がそのまま機能し続けるということを

教えています。

そして、神によって植えつけられた霊性の一部である良心が瞬間的に前面に出て、

進むべきコースを指示するというのがシルバーバーチの考えであるとします。

問題はその後、「良心を気に食わないと思う人間性」が頭をもたげ、

欲望や偏見を正当化してしまうことであり、

宗教的良心は、これに当てはめると偏見として整理されることになるのでしょうし、

もし教会という組織における権力闘争などが加わると、欲望もからんでくることになりますので、

少なくとも宗教=良心と考えることには、慎重になったほうがいいように思います。

しかし、困ったことに、宗教=良心であることを信じることが信仰であり、

この信仰を深めることが正しいことであると規定するのも宗教なのであります。

最後にシルバーバーチは、いかに欲望や偏見が入り込もうとも、

良心がもっとも正しい道を指示しているとして、

人間の良心の普遍性、ゆるぎない性質を説きます。

欲望や偏見が大きな力を持つ現実世界にあって、

この良心への信頼こそが希望であると言えるでしょう。

 

P.162 1行目

サークルの一人「・・・ 

~P163 5行目

・・・これが真実です」

 

この部分は先の偏見や欲望が良心よりも優先されてしまうことへの危惧や、

良心の普遍性、遍在性について議論されています。

これに対してシルバーバーチは偏見や欲望を「屁理屈と正当化と弁解」であると表現し、

人間の良心に対して絶対的な自信をのぞかせます。

そして、「一般受けしないかもしれませんが」と付け加えて、現実世界においては、

確かにこの「良心への信頼」が少数派であることを認めつつ、

良心の普遍性、遍在性こそが真実であると説きます。

何度も繰りかえし検証されていることを踏まえると、

とても重要な箇所であることが強調されているのだと思います。

 

P.163 7行目

―東洋の宗教・・・ 

~P163 最後

・・・こともあり得ません」

 

東洋には古くから人間の内部にある神を強調しているとの指摘があった。

これについては例えば、仏教における空などがあるかもしれなません。

概念として捉えることが出来なくても存在するもの。

人間の認識を超えたところにあるもの。

座禅などを通じて人間は空を理解し、近づきうるかもしれません。

己が空そのものになれば、己と神との境界線は希薄になります。

己がない状態とは以前出てきた欲望や偏見がない状態でもあり、

人間の良心が研ぎ澄まされた状態であるともいえます。

この質問に続くシルバーバーチの答えはまさしくそのようなことで、

「人間の中の大霊」も「大霊の中の人間」も同じ事であるとし、

愛という言葉を二回用いて、愛によって人間と神は硬く結びついているとします。

キリスト教的な愛と、仏教の空が結びつき、

非常にバランスの取れた内容になっているのではないでしょうか。

 

P.164 1行目

―すべてが大霊の一部・・・ 

~P164 6行目

・・・になることでしょう」

 

前述の人間と大霊とのつながりを補足しています。

以前出てきた良心は神性のことであり、

良心、神性に基づいた選択が日常でなされるようになるならば、

素晴らしいことです。

 

P.164 8行目

―神はすべての・・・ 

~P166 13行目

・・・資質を掘り起こすのです。」

 

神性についてその顕現は無限であり、

人間が進化し受容力が増せばそれだけ理解力が増し、

神を理解することができるようになり、これが霊性の発達であること。

そして地上に生まれてきた理由が、

人生の荒波を通じて霊性を進化させることにあると述べます。

 

P.166 15行目

―若くして他界・・・ 

~P168 6行目

・・・得心できるということー訳者)

 

若くして死ぬことは、一般に人生における最大の悲劇であり、

その死についてどのように受け止めればよいのか、

本人はもとより家族も途方に暮れるものである。

霊的観点からこの事象を読み解くと、霊的に十分成長し、

人生における目的を達成したから亡くなるケースがまず挙げられる。

松下村塾吉田松陰や、その弟子である高杉晋作などは

幕末にあってその知識と理想、国のあるべき姿を追い求め、

実践に移して生涯を閉じた。

生き抜いたと言っても過言ではないと思う。

短いながらも目的を達し、得るところの多い人生であったのではないだろうか。

次に挙げられるケースとして再生を通じて、不足分を補うケースが挙げられている。

100歳まで生きたとしても、人生の意味を見出すことが出来ず、

世の流れに流されて、受身の人生をたどったとして、

結果、周囲は長生きだった、大往生だったと好意的に評価してくれるかもしれないが、

霊的観点からその人生で果たされるべき課題が成し遂げられていなければ、

再生して再び人生を歩むしかないのであろう。

物質的観点では長生きしてさらに再生できるのであるから喜ばしいことなのかも知れないが、

霊的観点からいえば、高校3年生の学年末テストで赤点をとって、留年を食らうようなものである。

わーい、また学生生活が送れるぞー。

と喜んでいるのが地上的観点なのかもしれない。

そして、この摂理、また学校を例に挙げるならば

校則のようなものは完璧であると断定します。

人生と言う学生生活を通じて学ぶものが愛であり、愛こそが摂理である。

愛は無限の範囲と適応性を有しているとします。

さらに人間の魂の根幹が愛になるとき、

その魂は生を与える霊、すなわち大霊と一体化すると教えます。

 

P.168 8行目

―こうした問題は・・・ 

~P169 11行目

・・・安心してはなりません」

 

この部分はまさに、シルバーバーチと読書会に参加する私たちの共通のテーマであり、課題である。

これまで登場した良心、愛、空、神性、霊力それを無限の顕現を持つ宇宙と表現し、

肉体構造が一つの限界となってその理解に制限を加えるとしています。

しかしながら、肉体構造を持ちながら読書や議論を通じて培った霊的知識、霊的財産は

本来魂の欲するものであり、

それによって私たちは真の喜び、感動を得ます。

シルバーバーチは、私たちもという表現を使い、高級霊と読書会メンバーが一丸となって

この喜びを世界に広めていこうではないかと呼びかけます。

まさにこれは福音を述べ伝えるという行為です。

キリスト教の教義でのキリストの死が私たちの罪をあがなってくださったという福音ではなく、

人間と大霊を結びつける愛という存在が私たちの心に宿っていること。

欲望と偏見を脇においてみれば、自分の中に神を見ることができるという福音です。

信じられない、不遜だと言うそしりを受けるかもしれませんが、

欲望と偏見をなくして、曇りのない眼で見据えていきたいところです。

 

P.169 13行目

ここで話題が変わって・・・ 

~P171 最後

・・・配慮もあることであろう。

 

ここで本当に話が変わってしまい、SFの話になる。

地球以外にも意識体は存在し、最高界の天使的存在から、

意識がようやく明滅する程度の魂に到るまで様々な段階があるそうである。

神は地球人類だけの神ではないという訳である。

ましてや白人だけの神や、日本人だけの神があろうはずがない。

それで宗教戦争が起こるのであるから、病根は根深いものがある。

病根とは欲望と偏見であることをこの章で学ぶことが出来た。

シルバーバーチはそれら異性人の霊体とも交信したことがあるという。

異性人の良心が地球人のものと違い危険なものであるならば、警告などがあるのだろうが、

やはり、良心は地球人も異性人も同じということであろう。

宇宙共通の良心、愛を信じて強く生きて行きたいものである。

たとえ霊体になったとしても。

 

〜次回第76回心のサークル案内〜

 

【と き】  201612月18日(日)、14時~17時 

【ところ】 宮城県歯科医師会館(仙台市青葉区国分町1-5-1

 入り口は正面玄関ではなく裏口になります。入口の表示板に、部屋がどこか書いてあります。

窓口に医師会館の方が常駐していらっしゃいますので、わからない時は声をおかけください。

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(6)』の読書会:10章、談話

【持ち物】 上記書籍をご持参ください。

【参加費】 喜捨

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。日常を離れた空間で、ともに学びましょう!

 新しく参加希望の方は、本ブログコメントにてご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。なお、コメントを入れる際の認証はすべて半角で入力お願いします。

【メールアドレス】 kokoronosakuru@gmail.com

又、これまでのメンバーの皆様は、事前にお知らせしている、出欠係の柴田までメールにてお知らせください♪

 

第74回心のサークル報告

 

 

【と き】 2016年10月23日(日)、14時~17時

【ところ】 仙台歯科医師会館 和室 

【参加者】 進行:US、記録:IK(WOMAN)

       US、ST、SK、IK(MEN)、HM、IK(WOMAN) 以上6名

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(6)』の読書会:8章、談話

 

ニューフェイスHMさんをお迎えして、和室で和やかにはじまった「心のサークル」。

(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

昨月初めて参加のIKさん(MEN)も再度参加していただいたので、またまた雑談と自己紹介で長くなってしまいました~。

 

スピリチュアルヒーラーの梅津千鶴さんを私とSKさんが紹介したところ、「興味がある」ということでなんと2名がメモってました。あらら?( *´艸`)

千鶴さんには、こちらで紹介した旨を後日お知らせしました。

いい結果がお2人も出るといいですね~。ヒーラーとの出会いは、精神世界を深める始まりでもあります。私もかつて、梅津千鶴さんと出会い急激に変化した時期がありました。

 

英国式ヒーリングのスピリチュアルヒーラー梅津千鶴さんは、仙台駅前イービーンズ5F グリーンオアシスに勤務しています。http://www.hogushi.net/ ※ 名前掲載は、梅津さんに了解をいただいています。

 

クリヤヨガ瞑想を行うSNさんがお休みだったので、私が愛の聖者アンマ(amma)が推奨する「マーオーム瞑想」の誘導を行いました。※ マーの音をイメージする時に息を吸い、オームの音をイメージするときに息を吐きます。

 

USさんのシルババーチの祈り

http://sbspswhaf.net/sb-inori-0.htmlの後、輪読開始です!

 

8章 真理には無限の側面がある

 

今回は、作家としても出版業者としても成功をおさめている男性と、心霊知識の普及に健筆を揮っている女性が招かれた時の交霊会の様子が書いてあります。

 

短い章ではありますが、内容が濃く多岐にわたりますのでメンバーの方々や私がピックアップした部分を記載したいと思います。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

P139 ● 「私にも真理のすべてをお授けすることはできません。真理は無限であり、あなたも私も同様に有限だからです。(中略)あなたは感受性のお強い方です。男性のわりには過敏でいらっしゃいます。それはそれなりの代償を支払わされます。普通の人間には分からないデリケートで霊妙なバイブレーションを感知できるほどの感受性をもっておれば、当然、ほかの分野でも過敏とならざるを得ません」

 

この部分には、大変共感できます。私は、憑依体質で霊がわかります。東日本大震災もあることがわかっていました。微細な大地の動きがわかるのです。しかし、このデリケートな感受性は人の心をわかりすぎて、クタクタになってしまいます。

*1

 

生きてる人も死んでる人も・・・です。

 

私がスピリチュアルを学ぶわけは、正しい知識を得て低級霊などに生活を惑わされないようにするためです。

 

一番大切なのは、識別力です。

 

愛は、諸刃の刃。識別が誤っていれば、愛により自分や他人が傷ついてしまう可能性があります。経験から、それをわかっています。もちろん、無償の愛になっていないのかもしれませんが・・・。愛は、時に人を迷わせます。

 

・・・・・・・・・・・

 

女性二人の文筆家(その内の1人は、ご主人を亡くしたばかり)にシルバーバーチが語ります。

 

P143 ● 「あなたが今こそ学ばなければならない大切な教訓は、霊の存在を人生のすべての拠りどころとすることです。明日はどうなるかという不安の念を一切かなぐり捨てれば、きっとあなたも、そのあとに訪れる安らぎと静寂とともに、それまで不安に思っていた明日が実は、これからたどらねばならない道においてあなたを一歩向上させるものをもたらしてくれることに気づかされるはずです」

 

この箇所を読んでいたのは、ニューフェイスのHMさんでした。彼のお母さんは亡くなったばかりで、偶然この箇所を読むことになったのか・・・必然なのか?複雑な思いで聞いていました。

 

霊界からのメッセージのようにも思えました。

( 一一)ふむふむ~~。

 

・・・・・・・・・・・

 

シルバーバーチが、死刑制度を語っています。

 

P150 ● 「(中略)いつまでも死刑制度を続けているということは、その社会がまだまだ進歩した社会とは言えないということです。なぜなら、死刑では問題の解決になっていないことを悟る段階に至っていないからです。それはもう1つの殺人を犯していることにはかならないのであり、これは社会全体の責任です。それは処罰になっておりません。ただ単に別の世界へ突き落しただけです」

-その上困ったことに、そういう形で強引にあの世に追いやられた霊による憑依現象が多いことです。地上の波長に近いためすぐに戻ってきて誰かに憑依しようとします。

 

ここで、メンバーのコメントを披露しますね~。

(‘◇’)ゞ

 

死刑制度廃止論が、日本でも高まってきたね。(USさん)

 

宗教でいろいろやってしまうと、本質が見えない。(STさん)

 

日本は宗教色がないのに、まとまっている国。フランシスコ・ザビエルの手紙の中に、

「日本人は優れている。親しみやすく、悪意がない。親切で丁寧で知的。」と書いてあります。(STさん)

 

昔の日本は、八百万の神々への信仰があり教条主義ではなかったのでは?(USさん)

 

心を大切にする教育が広がってほしい。(STさん)

 

・・・・・・・・・・・・・

 

P157 ● 「次のことをよく理解してください。これは以前にも申し上げたことですが、地上を去って私たちの世界に来られた人はみな、思いも寄らなかった大きな自己意識の激発、自己開発の意識のほとばしりに困惑するものです。肉体を脱ぎ捨て、精神が牢から解放されると、そうした自己意識のために地上での過ちを必要以上に後悔し、逆に功徳は必要以上に小さく評価しがちなものです。

 そういうわけで、霊が真の自我に目覚めると、しばらくの間は正しい自己評価ができないものです。こうすればよかった、ああすべきだった後悔し、せっかくの絶好のチャンスを無駄にしたという意識にさいなまれるものです。実際にはその人なりに徳を積み、善業や無私の行為を施しているものなのですが、その自覚に到達するには相当な期間が必要です」

 

ここで、再度メンバーのコメントです。↓

(*^▽^*)

 

ある人から「シルバーバーチを捨てなさい。」と言われましたが、「勘弁してほしい」と頼み、物置に取っておきました。(IKさんmen)

 

メンバーから「冷静だ~」と声があがる。

 

言ってることとやってることがいっしょなトランプ氏だが、心根がわからない人もいる。心は見えないから。

当たり前に直観がいいのは、さえているとも言える。(STさん)

 

いろんな人がこの世にいるから、学びになっているのでは?

蒔いた種は、自分で刈る。アカシックレコードに刻まれる。

おそらく、物事には霊的な観点が必要なのではないか?(IKさんmen)

 

まだまだ尽きないメンバーのコメントですが、今月はこれでおしまいです!

(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

~ 次回 “第75回 心のサークル”のご案内 ~

【と き】  20161120日(日)、14時~17時 

【ところ】 宮城県歯科医師会館(仙台市青葉区国分町1-5-1

      入り口は正面玄関ではなく裏口になります。

入口の表示板に、部屋がどこか書いてあります。

      窓口に医師会館の方が常駐していらっしゃいますので、

わからない時は声をおかけください。

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(6)』の読書会:9章、談話

【持ち物】 上記書籍をご持参ください。

【参加費】 喜捨

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。

     日常を離れた空間で、ともに学びましょう!

新しく参加希望の方は、本ブログコメントにてご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。なお、コメントを入れる際の認証はすべて半角で入力お願いします。

【メールアドレス】 kokoronosakuru@gmail.com
又、これまでのメンバーの皆様は、事前にお知らせしている、出欠係の柴田までメールにてお知らせください♪

*1:+_+

第73回心のサークル報告

【と き】 2016年9月25日(日)、14時~17時

【ところ】 仙台歯科医師会館 地下1F 

【参加者】 進行:US、記録:SK

      IK、ST、SN、OY、IK 以上7名

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(6)』の読書会:7章、談話

 

 

この日はとても嬉しい見学希望のお客様を迎えての開催です☆

おひとりはOYさん。

IKさんと前日に偶然ばったりと会ったのが運のつき(?)そして連行^^;・・・じゃなかった、興味を持って下さり、同日行われたの宮城気友会の参加とともにこちらにも参加してくださいました。

そしてお二人目は当ブログを発見し参加してくださったというIKさん。

本当にありがとうございます!!

前日に参加希望のコメントが入っていると知った次第なのですが、連絡方法がなかった中、来てくださるだろうかと心配していました。

この日は久しぶりに気温が上がり、秋気分になってしまっていた体には少々辛い天候でしたが、汗だくで会場を探しだして来てくださったこと、本当に感謝いたします。

 

相変わらず雑談をひとしきり1時間ほど^^;

SNさんのクリヤヨガ瞑想で気持ちを整え、シルババーチの祈りの後、第7章の輪読です。

 

7章 難しい質問に答える

 

タイトル通り、いつもとは少し違った角度の問いに対する答えでした。

①ある日の交霊会が失敗した理由

②通信手段の不完全性

③殺人を実際に犯す人と殺してやりたいと心で思うだけの人。罪の違いはあるのか?

そんな質問に、理路整然とした答えが返っています。

 

③について、みなさまはどう思われるでしょうか?

実行した人としない人では、差があるはずと思いますが、一概には言えません。

なぜ一概に言えないのか、、、、いろんな事情があるし、心根の優しい人でも殺人者になってしまうこともあるし、殺人はしないけれど、どうしようもなく心根が曲がっている人もいる。それはどうなんだろうと考え込んでしまいますが、霊界からの答えはすっきりでした。

 

「何か具体的な例をあげて頂かないと、一般論としてお答えできる性質のものではありません」

と答えながらも こう回答します。

 

「それはその動機が問題です。いかなる問題を考察するに際しても、まっ先に考慮すべきことは”それは霊にとっていかなる影響をもつか”ということです。ですから、この際も”殺したいという考えを抱くにいたった動機ないしは魂胆は何か”ということです。」p121

 

「動機」かぁ! なるほど、たしかに「動機」が判断の基準というのは、とてもふさわしいですよね。

すっきりです。(^_^)

 

日々いろいろな感情を私たちは抱きますが、スピリチュアルを勉強するようになって、自分の心を見つめることが習慣になっています。

なにか言葉を発しようとしたとき、その言葉の裏に別の心の声がないか?と考え直して言葉をひっこめることがよくあります。

「私が正しい!」を相手に強要したいために発しようとしてはいないか? 「謝って!」と思わせたくて言おうとしていないか。

はたまた「私ってとってもすごいでしょ?」と、実は自慢だったりの下心がないかどうか自分の心を見つめるようになりました。

下心は相手に必ず伝わるものです。そして、それは同時に自分の品位も落としているということなのだなぁと、ようやく気が付きました。

 

品位を落としまくっていた人生なのですが、今生のうちに気が付いたので、なんとかセーフでしょうか。しかし、その教訓を完全に取得しているかどうかは、はなはだ疑問。あーあ、とため息つく日々はまだまだ続いております。

 

まぁ自分が未熟だということを知ることも、大切なことだと思います。

自分の未熟さを友人たちが許してくれたおかげで、これまで生きてきました。

だから私も同じように誰かの下心は見逃しながら生きていこうと思うのです。

 

さて、シルバーバーチも感情的になることがあるのだそうです、但しそれが恨みに発展することはないとのこと。

 

「私は憎しみを抱くことはできません。摂理を知っているからです。神は絶対に誤魔化せないことを知っているからです。誰が何をしようと、その代償はそちらにいる間か、こちらへ来てから支払わされます。いかなる行為、いかなる言葉、いかなる思念も、それが生み出す結果に対してその人が責任を負うことになっており、絶対に免れることはできません。ですから、いかにみすぼらしくても、いやしくても、神の衣をまとっている同朋を憎むということは私にはできません。ですが、不正行為そのものは憎みます」p124

 

上の界の人(霊)はとにかく冷静ですね^^

 

最後の「不正行為そのものは憎みます」。ただ優しくて、なんでも許してくれて…、というようなことではないんですね。うまく言葉にできないのですが、ほんとうの意味での「厳しさ」があるのかなぁと感じました。

 

 

 

 

このブログの当番になると、みんなとシェアしたいと思うものと出会います。

それは大抵、本かテレビなのですが、

今回はNHKEテレで放送されている「100分で名著」。

紹介されていた本は石牟礼道子さんの「苦界浄土」です

 

自分の故郷を襲った惨劇・水俣病患者から聞き書きをした事を独特な感性で書かれた本です。

 

心をわしづかみにされた記述を紹介します。

水俣病で両親をなくし、自らも患者として重度の障害を抱えながら漁を続けてきた杉本栄子さんが、親しかった石牟礼さんにこう語りました。

 

 もう、私たちは許すことにした

 全部許す 日本という国も許す

 チッソという会社も許す 色々差別した人も許す

 許さんば、きつうしてたまらん

 みんなの代わりに私たちは病んでる それで許す

 

 

----「許さんば、きつうしてたまらん」----

 

汚染された事を知らずに魚を食べたというだけで、一生を辛く苦しい病気とともに生きなければならないことを強いられた人生。

被害者にも関わらず、虫けらのごとく軽く扱われた時

私たちはどのような気持ちになるでしょうか。

 

けれども杉本さんは最後にはこう決めた

許すと。

そしてこうも言った。

「許さんば、きつうしてたまらん」

 

こんな場面でも摂理は単純なのだなぁと思いました。

 

この世だけの命と思えば、水俣病などは不条理の極致で、心の落としどころが見つからない境遇も、スピリチュアルの世界では必ず心の落としどころがある。

杉本さんはその事にきっと気が付かれたのだと思いました。

 

心の落としどころをみつける……。人生の勉強科目のひとつでしょうか。

 

 

 

さて、最後に、はじめて参加してくださいました、OYさんとIKさん。

どのような感想をお持ちいただいたでしょうか?

みんながとってもおしゃべりで、びっくりなさらなかったでしょうか?

 

もし、よろしければ又の参加お待ちしております。

 

尚、連絡先をお渡しするのを忘れていました。

このたびGメールを作りましたので。よろしければご連絡くださいませ。

メールアドレスは文末に記載しました。

 

次回の読書会のお部屋がいつもと違います。

お確かめくださいませ。

 

 

 

~ 次回 “第74回 心のサークル”のご案内 ~

【と き】  2016年10月23日(日)、14時~17時 

【ところ】 宮城県歯科医師会館 4F 和室(仙台市青葉区国分町1-5-1

      入り口は正面玄関ではなく裏口になります。

      窓口に医師会館の方が常駐していらっしゃいますので、わからない時は声をおかけください。

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(6)』の読書会:8章、談話

【持ち物】 上記書籍をご持参ください。

【参加費】 喜捨

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。

     日常を離れた空間で、ともに学びましょう!

 新しく参加希望の方は、本ブログコメント、またはメールで問い合わせお願いいたします。

【メールアドレス】 kokoronosakuru@gmail.com

尚、メールの返信が中々ない場合はコメント欄でそれとなく催促願います^^;管理者がぼんやりしている可能性があります^^;

お気軽にお問合せください。

なお、コメントを入れる際の認証はすべて半角で入力お願いします。

又、これまでのメンバーの皆様は、事前にお知らせしている、出欠係の柴田までメールにてお知らせください♪

 

第72回心のサークル報告

【と き】 2016年8月21日(日)、14時~17時

【ところ】 仙台歯科医師会館 2F会議室 

【参加者】 進行:US、記録:SK

      IK、ST、SN、WM 以上6名

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(6)』の読書会:6章、談話

 

 

 

35度。

どおりで暑いと思ったこの日の気温です。

あまりの暑さに仙台駅から医師会館までの距離が永遠とも思えるほど遠いと初めて思った日でした。

そんな暑さにもめげずに、いつものメンバー集結。

12時より同じ会議室で行われていたUSさん主催の「宮城気友会」に参加されていたWMさんが、読書会にも参加してくださいました。

ようこそ♪    

その為計6名の集まりでした。

 

USさんが「食べない人たち」(秋山佳胤著)

という本を読んだという報告で会はしばらくその話を。

----何も食べずに人は生きていける---を、身をもって証明・実践中の人が日本にいるそうです。

 

なにも食べないで生きている人がいる、という話を耳にしたことがある人は多いと思います。でも、それは外国の話で、インドの修行僧など特別なひとの類だろうと思っていたけれど、「不食の人」はどうやら普通に沢山いらっしゃるようです。

 

食べ物だけでなく水も飲まずに生きていけるのなら、何がエネルギーの元となるのでしょうか。

著者は空気中に漂うプラーナと語っているとのことです。

それは霊界でのエネルギーの話と似ていて、USさんは、人の進化が、地上でも始まっている証拠なのではないか? と仮説を立てられました。

 

加えて、「食べない」という治療法で難病を治したという人もいるそうです。

ドキュメンタリー映画不食の時代」でも発表されているようです。

 

治療困難の重い病気の原因が、日々の食事が原因だというストーリーは、種あかしとしてはとてもドラマチックです。

食事を見直す。あながち不食という治療法はいい線をいっているかもしれないと思いました。

 

医療費がかからない治療なので、お医者さまはあまり研究したくない治療法かもしれません。

 

 

 

さて、食べないという生き方。

人が食べることから解放されたら、世の中の苦しみや争いごとの多くが無くなるのではないか? と私はずっと以前から考えていました。

 

「食べなくてもよいなら、どんなに気楽だろう」。こんなことをもし巷で発言したら、普通の人から変な顔でみられるのがオチですが、心のサークルでは、「わかるわかる」という顔をされて頷かれるのだから嬉しいです。

 

USさんから、ひとつ注意がありました。

 

食べないという究極の生活をむやみに真似をするのも危険。

肉体には栄養が必要なことも、確かなことなので、やり過ぎは注意しましょう。

シルバーバーチも中庸が大事と説いているので、参考程度にして自分の中で咀嚼するのがよいと思います。

 

不食の話でひとしきり盛り上がったあと、いつもの通りSNさんのクリヤヨガ瞑想でみんなの気持ちを一つにし、

シルババーチの祈りの後、いよいよ第6章の輪読です。

 

 

6章 婚約者を不慮の事故で失って

 

恋人を飛行機事故で失った女優との対話です。

思いがけず大事な人を亡くせば、どんな人でも喪失感に包まれ、悲しみの淵に追い込まれると思います。

この世の死が本当の死ではないと知っている人と知らない人では、その悲しみとの対峙の仕方も全く違うものになるでしょう。

 

あなたは本当に勇気のある方ですね。でも勇気だけではだめです。知識が力になってくれることがあります。ぜひ理解して頂きたいのは、大切な知識、偉大な悟りというものは悲しみと苦しみという魂の試練を通してはじめて得られるものだということです。人生というものはこの世だけではなく、あなた方があの世と呼んでおられる世界においても、一側面のみ、一色のみでは成り立たないということです。光と影の両面が無ければなりません。光の存在を知るのは闇があるからです。暗闇が無ければ光もありません。光ばかりでは光でなくなり、闇ばかりでは闇でなくなります。同じように困難と悲しみを通してはじめて魂は自我を見出していくのです。もちろんそれは容易なことではありません。とても辛いことです。でもそれが霊としての永遠の身支度をすることになるのです。なぜならば地上生活のそもそもの目的が、地上を去ったあとに待ち受ける次の段階の生活に備えて、それに必要な霊的成長と才能を身につけることにあるからです。P99

 

 

悟りとは試練を通してはじめて得られるもの。つまり体験なしでは悟れない。辛い思いをしなければならないのが運命のようです。

乗り越えられる困難しか与えられない。霊性が高ければ苦難のハードルも上がる、ということなんだろうなと思います。そういえば立派な人だなぁと思う人にかぎって苦難の多い人生を歩んでいるのはそういうことなのかもしれません。

もし苦しみが本格的になってきたと感じたら、新たな挑戦区域に入ったと理解し、自信と感謝をもって迎えることができればいいですね。苦難でありながら感謝だと思える。それは上級者の境地なんだろうなぁ。

 

知識だけでは机上の空論。その空論が体験を通じてはじめて力になる。知識と体験、その相互関係は糾える縄のごときだなと思いました。

 

そしてその先に知識に対する責任が生じてきます。霊性が未発達な魂よりずっと丁寧に生きねばなりません。知識に沿わないことをしていると、因果応報の感度も鋭くなりすぐにその結果がでるようです。小さなことすべてで知識にのっとった生活することを自覚せざるを得ない。これもまた大へんだなと思うのでした。

もっとも、理解が深まればなにがあっても穏やかな気持ちへ到達するのだと思います。

 

死は消滅ではありません。霊が別の世界へ解き放たれるための手段にすぎません。誕生が地上生活へ入るための手段であれば、死は地上世界から出るための手段です。P101

 

このことを知れば、この世での別れに対して大きな慰めになると思います。 しかし喪失感に耐えなければならない時間は必要ですね。

 

恋人がちゃんと霊界へ行きついたか心配している様子が書かれています。

突然の死は本人にとってもショックが大きいようです。時間をかけて慣れる必要があると答えています。

 

「死ぬときは苦しがったでしょうか?」

「いえ、何も感じておりません。不意の出来事だったからです。」p107

 

そんなもんなんですね。見た目には悲惨な事故でも、「痛み」はない。それはとても慰められます。

死は自然なこと。自然は魂を傷つけたりはしないのだろうと思うのでした。この世の出来事すべては、自分が作り出す”恐怖心”が怖いのであって、実際はなにも怖いことではないのかもしれないなと思います。

 

 

近藤先生の補足部分を抜粋。

 

死後無事に霊界の生活に正しく順応していくことは必ずしも容易ではないのである。そこには本人自身の迷いがあり、それに付け込んでさまざまな誘惑があり、また、強情を張ったり見栄を捨てきれなかったりして、いつまでも地上的名誉心や欲望の中で暮らしている人が実に多いのである。(p109)

 

死んでも欲から解き放たれずにいるのは御免こうむりたいですね。

また、邪霊に狙われて正しい場所へ行けない霊もいるようです。

 

 

ではそうならないためにはどういう心がけが大切か———これは今更私から言うまでもなく、それを教えるのがそもそもシルバーバーチ霊団が地上に降りてきた目的なのである。具体的なことはこうして霊言集をお読みいただいている方には改めて申し上げるのは控えるが、ただ私から一つだけ付け加えたいのはあちらに行って目覚めた時に、かならず付き添ってくれる指導霊の言うことに素直に従うことが何より大切だということである。(p109)

 

指導霊が付き添ってくれるんですね^^よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

~ 次回 “第73回 心のサークル”のご案内 ~

【と き】  2016年9月25日(日)、14時~17時 

【ところ】 宮城県歯科医師会館地下1階(仙台市青葉区国分町1-5-1

      入り口は正面玄関ではなく裏口になります。

      窓口に医師会館の方が常駐していらっしゃいますので、わからない時は声をおかけください。

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(6)』の読書会:7章、談話

【持ち物】 上記書籍をご持参ください。

【参加費】 喜捨

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。

     日常を離れた空間で、ともに学びましょう!

新しく参加希望の方は、本ブログコメントにてご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。なお、コメントを入れる際の認証はすべて半角で入力お願いします。

又、これまでのメンバーの皆様は、事前にお知らせしている、出欠係の柴田までメールにてお知らせください♪

第71回心のサークル報告

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           

【と き】 2016年7月17日(日) 14時~17時                                                               

【ところ】 宮城県歯科医師会館 2F会議室                                                        

【参加者】 進行:US、記録:ST  SK YY SN 以上5名                                               

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(6)』の読書会:4章、談話                                                                                                                                                                       

                                                                                                                                                                               

読書前の会話におきまして、USさんより、やはり早朝の気が素晴らしい、「天の気」「地の気」をイメージしますという話。                                                                                  

SNさんが瞑想の際に「光のプラーナ」を意識していたのに加え、「水のプラーナ」を意識するようになってから、一段と深くなったとの話がありました。                                         

今回は(5章は)少し短いようですね。という話が出ましたが、内容は重要で、深いものですから量より質で、深く読み込んでまいりましょうとなりました。                                   

SNさんによるクリヤマヨガをはじめに行い、心がすっきりとしましたところで、     

USさんによるシルバーバーチの祈りを行い、学ばせて頂く謙虚な気持ちが整いましたところで読書会を開催しました。                                                                                                                                                                            

                                                                                                                                               

5章 老スピリチュアリストとの対話                                                                                                                         

英国のみならず広く海外でも活躍している古くからのスピリチュアリスト(*)が招待され、シルバーバーチは「霊的知識に早くから馴染まれ、その道を一途(いちず)に歩まれ、今や多くの啓示を授かる段階まで到達された人」として丁重(ていちょう)にお迎えした。

(*名前は紹介されていない。推測する手掛りも見当たらない。                           

霊言集にはこのように名前を明かしても良さそうなのに、と思えるケースがよくあるが、

多分、公表は控えてほしいとの本人の要望があるのであろう。これもシルバーバーチの影響かもしれない―訳者)                                                                                                                                       

シルバーバーチの影響とありますが、やはり自身の地上的な名前や地位・名声でなく、             

霊的観点に基づいた立場を重視する、もしくは大霊へと意識が向くことで自我という意識が薄らぎ自己アピールへの執着が薄れるということを示しているのではないでしょうか。                                                                                                                                                              

シルバーバーチ「思えば長い道のりでした。人生の節目が画期的な出来ごとによって織り成されております。しかし、それもすべて、一つの大きな計画のもとに愛によって導かれていることをあなたはご存じです。暗い影のように思えた出来ごとも、今から思えば計画の推進に不可欠の要素であったことが分かります。・・・                                                                                                                                                                                                         

地上すなわち、現実的・物質的世界の中、もしくは世界観の中にあって、霊的な愛の計画が推進されており、この老スピリチュアリストが葛藤の中にあっても「霊の感じる衝動」に従って責務を果たしてきたとしています。それに対して老スピリチュアリストは、                                                                                                                                                                

「目的があることは感じ取れるのです。目的があること自体を疑ったことはありません。

ただ、自分の歩んでいる道のほんの先だけでいいから、それを照らしてくれる光が欲しいのです」                                                                                                                                      

と答え、地上的(物質的、肉体的)自我と霊的自我との間の葛藤が半端ではなく、    

霊的自我をフォローしてくれるような一条の光を求めています。                                              

これは私たちにおきましても同じで、このような形で、読書会をしたり歓談のひと時を持てるということは、まさに一条の光を天から与えていただいているようなものだと思います。しかし、それに対してシルバーバーチは、        

                                                                               

シルバーバーチ「私にはその葛藤がよく理解できます。別に難しい問題ではありません。

その肉体を通して働いている意識と、あなたの本来の自我である、より大きな側面の意識との間の葛藤です。有象(うぞう)無象のこの世的雑念から離れて霊の力に満たされると、魂が本来の意識を取り戻して、日常の生活において五感の水際(みぎわ)に打ち寄せてしきりに存在を認めてほしがっていた、より大きな自我との接触が得られます。・・・                                                                                                                                                                         

と答えます。葛藤を理解しているのであれば、もう少し同情してほしい気もするのですが、

さすがそこはシルバーバーチです。「別に難しい問題ではありません。」と一刀両断します。

泳げる人からすれば、泳げない人に、「泳ぎは難しくありません」とは言えますが、

泳げない人からすると酷ですね。しかし正しい水泳法は曲げられないということでしょう。

そして、一条の光は外に求めず、自分自身の中に霊の力を満たし、魂本来の意識を取り戻すべし。と教えます。自分自身の中にこそ一条の光を求めなさい。と解釈できます。

他力ではなく自力なのです。確かに厳しいのですが、目標はこうでなくてはいけません。

シルバーバーチが厳しすぎるということで、もっと楽に自分自身を認め、楽になろうというニューエイジが広まったという解説がUSさんからありましたが、シルバーバーチが示す、霊的知識の基本を謙虚に学ぶ姿勢が大事なのでしょう。基本があってこその応用であり、進歩なのですから、厳しいからと言って避けてはいけません。このニューエイジ霊感商法に対する警告と基本重視の姿勢を説いているのが次の言葉です。                                               

               

シルバーバーチ「私たちがいつも直面させられる問題が二つあります。一つは惰眠(だみん)をむさぼっている魂に目を覚まさせ、地上で為すべき仕事は地上で済ませるように指導すること。もう一つは、目覚めてくれたのはよいとして、まずは自分自身の修養を始めなければならないのに、それを忘れて心霊的な活動に夢中になる人間を抑えることです。神は決してお急ぎにはなりません。宇宙は決して消滅してしまうことはありません。法則も決して変わることはありません。じっくりと構え、これまでに啓示されたことは、これからも啓示されていくことがあることの証明として受け止め、自分を導いてくれている愛の力は自分が精一杯の努力を怠りさえしなければ、決して自分を見捨てることはないとの信念に燃えなくてはいけません」                                                                                                                                                                                                                                  

問題を二つに分けています。一つは霊的な意識がない魂に、喝を入れ、地上で霊的意識を芽生えさせること。そして、霊的意識が芽生えつつあるのに、自己修養に向かわず、テクニックに走ったり、霊感商法に走ったりする人間を抑えること。以上の二つです。

そして自分自身の修養ということは何かというと、「愛」すなわち慈愛の精神であるとしています。

この地上において「愛」ほど物質主義から離れアンチテーゼ足りうるものはありません。ですから「愛」を意識するほど、人は現実社会との間に葛藤を引き起こし、悩むのかもしれません。                                                                                                                          

「霊の歩むべき本来の道は何にも増して困難なものです。(中略)それは自己犠牲を伴う長くゆっくりとして根気のいる、曲りくねった道です。」

シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社) p.83                                                     

「人類愛のための自己犠牲の道」これこそが霊的知識における基本の一つであると思います。短いながらここまででもいっぱいいっぱいな内容なのですが、本章はここからが本番です。

                                                                                                                                                               

実はこの老スピリチュアリストは今回の交霊会に備えて三つの質問を用意していた。その問答を紹介しておく。                                                                                          

「私の信じるところによれば人間は宇宙の創造主である全能の神の最高傑作であり、   

形態ならびに器官の組織において大宇宙のミクロ的表現であり、各個が完全な組織を具え、特殊な変異は生まれません。しかし一体その各個の明確な個性、顔つきの違い、表情の違い、性向の違い、その他、知性、身振り、声、態度、才能の差異も含めた一人一人の一見して区別できる個性を決定づける要因は何なのでしょうか」                                                                                                                                                      

                                                                                                                                               

全能の神の最高傑作でありながら、完璧な人間は存在せず、しかもバラバラで個性に満ち溢れているのは何でですか?                                                                                                           

という疑問です。これに対してシルバーバーチは、                                                                                                                                                                  

シルバーバーチ「これは大変な問題ですね。まず物質と霊、物質と精神とを混同なさらないでください。人間は宇宙の自然法則に従って生きている三位一体の存在です。肉体は物的法則にしたがい、精神は精神的法則にしたがい、霊は霊的法則にしたがっており、この三者が互いに協調し合っております。かくして法則の内側に法則があることになり、時には、見た目に矛盾しているかに思えても、その謎を解くカギさえ手にすれば本質的には何の矛盾もないことが分かります。法則のウラ側に法則があると同時に、一個の人間のさまざまな側面が交錯し融合し合って、常に精神的・霊的・物的の三種のエネルギーの相互作用が営まれております。そこには三者の明確な区別はなくなっております。肉体は遺伝的な生理的法則にしたがっておりますし、精神は霊の表現ですが、肉体の脳と五官によって規制されております。つまり霊の物質界での表現は、それを表現する物質によって制約を受けるということです。かくしてそこに無数の変化と組み合わせが生じます霊は肉体に影響を及ぼし、肉体もまた霊に影響を及ぼすからです。これでお分かりいただけるでしょうか」                                                                                                                                                                       

と答えます。                                                                                                                                           

老スピリチュアリストの質問内容は一人一人の人間の個性の違いについて解説を求めていますが、それにストレートに回答せず、まず一人の人間の中にある3つの側面、すなわち、物質・精神・霊を説明します。つまり、一人の人間の中がバラバラなのだから、当然、別々の人間であればなおのことバラバラでしょうということだと思います。               

シルバーバーチの霊訓にはこの物質・精神・霊に分けた人間解釈がたびたび登場します。

この人間解釈は人生に関する解釈ともいえますし、様々なニュースや出来事をこの観点で観察することも可能です。霊的知識の基本の一つであるといってもよろしいかと思います。物質の次元、精神の次元、霊の次元と考えれば、人の心は3次元的にとらえることも可能です。この3つの次元の組み合わせが、それぞれの程度に応じて様々な組み合わせを生じることは、世の中に無数の形があることを思い起こせばイメージがつきやすいでしょう。         

この霊的知識は、シルバーバーチの霊訓の中でも非常に実践向きの、現実世界に応用しやすい知識の一つです。                                                                                                                        

イエス・キリストが利用した例を紹介します。「マタイによる福音書22章15節~22節」イエスを貶めたいと狙うパリサイ派のスパイが、ローマ皇帝に税金を納めるべきかどうかをイエスに質問しました。                                                                                                   

「納めるべきだ」と答えれば、イエスはユダヤの敵で、ローマ帝国の側の人間であると宣伝できます。(当時ユダヤはローマ帝国に支配されていた。)                                

「納めるべきではない」と答えれば、ローマ帝国への反逆者であると宣伝でき、即刻捕まります。                                                                                                                                                            

普通に考えると詰んでいるのですが、この霊的知識を当然知っているイエスは、苦も無く答えます。                                                                                                                         

「税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持ってくると、                            

「これは、誰の肖像と銘か」と聞きます。                                                                

彼らは銀貨を見て「皇帝のものです。」と答えます。                                                                 

するとイエスは「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」といわれました。                                                                                                                                                 

神への服従と国家に対する義務とは次元の違うものであって、両者をともに守ることは矛盾ではないということです。                                                                                                              

すなわち、物質次元のものは物質次元に、霊的次元のものは霊的次元に帰するということです。物質次元と霊的次元を混同してしまっていると、とてもこのような対応はできません。

さらに二つ目の質問へと移ります。                                                                                                                                                                          

「・・・人間はその始源、全生命の根元から生まれてくるのですが、その根元からどういう段階をへてこの最低次元の物質界へ下降し、物的身体から分離したあと(死後)、こんどはどういう段階をへて向上し、最後に“無限なる存在”と再融合するのか、そのへんのところをお教えいただけませんか」           

                                                                                                                               

ここでまず問題となるのは、老スピリチュアリストが質問の前提とする「全生命の根源から生まれてくる」や、「最後に“無限なる存在”と再融合する」が真理なのかどうか、また、これを物質的問題の理解のための言語で理解し、説明することが可能なことなのか、ということです。例として、フィリピンでは、理科の授業を英語で行い、母国語を使わないそうです。なぜならフィリピン語に「光合成」等、科学的用語が存在しないからなのだそうです。

これと同じように、霊的世界の現象を地上の言語で表現するには、用語が存在しないなどの制約がある可能性があります。

                                                                               

シルバーバーチ「これもまた大きな問題ですね。でも、これは説明が困難です。霊的生命の究極の問題を物的問題の理解のための言語で説明することはとてもできません。霊的生命の無辺性を完全に解き明かせる言語は存在しません。ただ単的に、人間は霊である、但し大霊は人間ではない、という表現しかできません。大霊とは全存在の究極の始源です。万物の大原因であり、大建築家であり、王の中の王です。霊とは生命であり、生命とは霊です。

霊として人間は始めも終りもなく存在しています。それが個体としての存在を得るのは、地上にかぎって言えば、母体に宿ってた時です。物的身体は霊に個体としての存在を与えるための道具であり、地上生活の目的はその個性を発現させることにあります。霊の世界への誕生である死は、その個性を持つ霊が、巡礼の旅の第二段階を迎えるための門出です。つまり霊の内部に宿る全資質を発達、促進、開発させ、完成させ、全存在の始源により一層近づくということです。人間は霊である以上、潜在的には神と同じく完全です。しかし人間は神の生命の中に吸収されてしまうという意味での再融合の時期が到来するとは考えません。神が無限であるごとく(生命の旅も)発達と完全へ向けての無限の過程であると主張する者です」                                                                                                                                      

この短い文章に霊的生命の地上への下降と、霊界への帰還のシステムが説明されていると思いますが、理解が難しいところです。                                                                              

ポイントとしては                                                                                                                    

・人間は霊である                                                                                                                    

・大霊とは全生命の究極の根源                                                                                

・霊は生命、生命は霊                                                                                                                              

・霊として人間は永遠に存在する                                                                                                             

・霊は資質を発展させ、大霊に近づくが個性が失われることはない                           

ということのようです。                                                                                                                          

さらにこの回答を踏まえて、3つ目の質問に移ります。                                                                                                                                                                                                                            

「・・・人間は個霊として機械的に無限に再生を繰り返す宿命にあると説く輪廻転生論者がいますが、これは事実でしょうか。もしそうでないとすれば、最低界である地上へ降りてくるまでに体験した地上以外の複数の前世で蓄積した個性や特質が、こんどは死後、向上進化していく過程を促進もし渋滞もさせるということになるのでしょうか。私の言わんとしていることがお分かりいただけますでしょうか」                                                  

                                                                                                               

「地上以外の複数の前世」ということで、何故、地上以外ということにこだわるのか、             

はっきりしないのであるが、ともかく前世が次の段階における足かせとなるのか?    

ということのようです。この大きな問題に関してシルバーバーチの回答は、                                                                                                                                                              

シルバーバーチ「・・・再生というものが事実であることは私も認めます。・・・どうしてもそうしなければならない目的があって生まれ変わるのです。あずけた質(しち)を取り戻しに行くのです。ただし再生するのは同じ個体の別の側面です。同じ人物とは申しておりません。一個の人間は氷山のようなものだと思ってください。海面上に顔を出しているのは全体のほんの一部です。大部分は海中にあります。地上で意識的生活を送っているのはその海面上の部分だけです。死後再び生まれてきた時は別の部分が海面上に顔を出します。潜在的自我の別の側面です。二人の人物となりますが、実際は一つの個体の二つの側面ということです。霊界で向上進化を続けると、潜在的自我が常時発揮されるようになっていきます。

再生問題を物質の目で理解しようとしたり判断しようとなさってはいけません。霊的知識の理解から生まれる叡知の目で洞察してください。そうすれば得心がいきます」                                                                                                                                                                  

シルバーバーチは再生を認めるものの、それが人間の宿命であるとはせず、あずけた質を取り戻しに行くための手段、カルマの法則に関係したものであるとしています。                               

また、地上で意識的生活を送っているのは、潜在的自我の一部分に過ぎず、大部分が表出していないとしています。                                                                                                この意味を解く一つのカギとして、例えば同じ個性を持った人間が違う環境に生まれてきていたら、どうだったでしょうか。                                                                    

先ほど触れたように、人間の心が物質・精神・霊を認識し、表現するのだとしたら、

例えばヒトラーが近世のオーストリアにではなく、現代日本の愛情ある両親のもとに生まれていたら、「肉体もまた霊に影響を及ぼすからです」とあるように、精神的・霊的にも影響を受け、全く別の自我、別の人間性になる可能性も高いわけです。                                       

つまり、パラレルワールドのような話ですが、一つの個体のどの側面が発揮されるのかは、環境要因一つとっても、様々なバリエーションが考えられます。                                      

この再生の法則につきましては2番目の質問と同様、地上的物質の目では捉えがたく、

表現することすら困難なシステムであることに間違いはありません。                                       霊的知識の理解を通じて徐々に養われてくるところの叡智の目が必要であるとしています。様々な葛藤を抱えながらも、愛の道、霊的次元があることを心の中に確信し、力強く歩んでまいりたいと思います。きっと叡智の目を養うことにもつながるでしょうから。        

               

~ 次回 “第72回 心のサークル”のご案内 ~                                                                                                                                                                

【と き】  2016年8月21日(日)、14時~17時                                                             

【ところ】 宮城県歯科医師会館2階(仙台市青葉区国分町1-5-1)                                                入り口は正面玄関ではなく裏口になります。                                                   

      窓口に医師会館の方が常駐していらっしゃいますので、わからない時は声をおかけください。                                                                                                                                                                               

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(6)』の読書会:6章、談話                                                                                                                                                                        

【持ち物】 上記書籍をご持参ください。                                                                                                                                                                

【参加費】 喜捨                                                                                                                                                                             

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。

日常を離れた空間で、ともに学びましょう!                                                                                                                                                                            

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第70回 心のサークル報告

 

【と き】 2016619日(日)、14時~17

【ところ】 宮城県歯科医師会館 2F会議室 

【参加者】 進行:US、記録:IK

     STSK  以上4

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(6)』の読書会:4章、談話

 

4章 ジョン少年との対話

今回はいつもクリヤヨガ瞑想を行ってくれるSNさんに代わって、私IKが導入瞑想を行いました。

愛の聖者amma(アンマ)が行っているマーオーム瞑想です。マーの音をイメージする時に息を吸い、オームの音をイメージするときに息を吐きます。瞑想では、終わった後の静寂が大切です。今回は1分間、私たちを包む光をイメージしてもらいました。

 瞑想終了後、USさんに「シルバーバーチの祈り」を唱えていただき皆で祈りました。↓

http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/sb-teachings/sb-teachings-prayer.htm

 

瞑想を行うことや祈ることは、心を整える意味で大切ですね!(*^▽^*)

 

  • 瞑想と祈り後の談話にて・・・。参加者のコメントをちょっとご披露します。

 

瞑想については主に心を綺麗にするものなので、チャクラやエーテル体強化だけではいかがなものかと思っています。(IK)

 

肉体を持っている個々が最善のことをやれば、いいと思います。ただし、唯心主義ではいけません。(※唯物主義の対義語。)

グラウンディング(地にしっかり足をつけて生きること)のためには、運動(走る・歩く)することをお薦めします。(US)

 

人のために尽くす意味で奉仕すること、「ゴミ拾い」などもいいですね。(IK)

 

サイキック能力とスピリチュアル能力とは、違います。

チャクラやエーテル体強化は、サイキック能力強化に繋がるとも言えるでしょう。サイキック能力ばかりを求めると、低級霊のちょっかいにのってしまいます。注意しなければなりません。(US)

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

瞑想と祈りの後に、『シルバー・バーチの霊訓(6)』4章 ジョン少年との対話を輪読しました。

 

シルバーバーチ霊は、お子さんが好きなようで何人か霊訓集にはお話しをした子供たちが出てきます。(*´▽`*) 今回は、交霊会に参加した11歳のジョン君との対話です。

 

「幼い時に妹を失い、こんどは父親を不慮の事故で失って二人きりとなったが、母親がシルバーバーチを通じて聞いた二人からのメッセージをいつもジョン君に語っていたので、十一歳の少年ながら、すでに死後の世界の存在を自然に信じるようになっていた。」  P68冒頭

 

11歳にして、家族2人が亡くなるとはなんとジョン君の人生は厳しいのだろうか?と思いました。

しかし11歳にして、死後の世界の存在をシルバーバーチの存在により自然に信じるようになっていたとはこれもまた凄いことです( ゚Д゚)。

 

  •  人間の目と霊の目 P68

ジョン君の死んだ妹の話を軸に、「人間の目と霊の目」の違いをシルバーバーチが紹介してくれます。

 

  •  霊に年齢はない P69~71

『霊には年齢がなく、霊的に成長する』とシルバーバーチは語ります。

 

「言いかえれば、完全(パーフェクト)へ向けて成長するのです。(中略) パーフェクトというのは魂の中のすべてのものが発揮されて、欠点も弱点もない、一点非の打ちどころのない状態です。(中略)

パーフェクトであればピースが得られます。しかし、実を言うと『これがパーフェクトです』と言えるものは存在しないのです。どこまで到達しても、それは永遠に続く過程の一つの段階にすぎないのです。いつまでも続くのです。終わりというものが無いのです」。 

 

ううう~ん。終わりのない成長ということは、人間の魂はどこまでも進化することができるということになります。(+o+) なんと、厳しい道のりなのか・・・。

 

  •  死は悲しいことではない P71~73

「ジョン君に知ってほしいことは、もう分かってきたでしょうけど、(死んだ)妹とお父さんはいつも側にいてくれてるということです。(中略)みんな目に見えないものは存在しないと思っているからです。このことを理解しないために地上では多くの悲しみが生じております。理解すれば『死』を悲しまなくなります。死ぬことは悲劇ではないからです。」

 

愛で結ばれる人とは、死をもってしても決して絆が切れることはないのです。それが、本当に理解できれば私たちは、死を無駄に悲しむことをしなくなるでしょう。(⋈◍>◡<◍)。✧♡

  •  考えることにも色彩がある P73~74

シルバーバーチは、「ジョン君が何か考えるたびに小さな光が出るのです」と教えてくれています。「その色彩から、訓練のできた人はその色彩の意味を読み取ることができます。」ともおっしゃっています。

 

ジョン:「スピリチュアリズムについて知るとどういう得をするのでしょうか?」

シルバーバーチ:「知識はすべて大切です。何かを知れば、知らないでいる時よりその分だけ得をします。知らないでいることは暗闇の中を歩くことです。ジョン君はどっちの道を歩きたいですか」

ジョン:「光の中です。」

シルバーバーチ:「でしたら少しでも多くを知らなくてはいけません。知識は大切な財産です。なぜならば知識から生きるための知恵が生まれるからです。判断力が生まれるからです。(中略)

 さてスピリチュアリズムのことですが、人生の目的は何かを知ることはとても大切なことなのです。

なぜなら、人生の目的を知らないということは何のために生きているかを知らずに生きていることになるからです。そうでしょ?ジョン君のお母さんは前よりずっと幸せです。なぜなら、亡くなったお父さんや妹のことについて正しい知識を得たからです。そう思いませんか?」

ジョン:「そう思います。前よりも助けられることが多いです」

 

スピリチュアリズムの確信部分に入ってきました~!( *´艸`)

 

ジョン:「地上の人間が発明するものについて霊の世界の人たちはどう思っていますか。たとえば原爆のことなんかについて」

シルバーバーチ:「(中略)原子エネルギーの発見は時期が早すぎたということです。人類全体としてまだ自分たちが発見したものについて正しく理解する用意ができていなかったために、それが破壊の目的のために利用されてしまったのです。もしも十分な理解ができていたら、有効な目的のために利用されたことでしょう。」

 

やっぱりね~。( 一一)人間は、心や魂を使わずその知識を使ってしまったようですね。。。

 

  • 「幽霊と霊の違い」 P79~84

ジョン:「幽霊と霊とはどう違うのですか」

シルバーバーチ:「これはとてもいい質問ですよ。幽霊も霊の一種です。が、霊が幽霊になってくれては困るのです。地上の人たちが幽霊と呼んでいるのは、地上生活がとてもみじめだったためにいつまでも地上の雰囲気から抜け出られないでいる霊が姿を見せた場合か、それとも、よほどのことがあって強い憎しみや恨みを抱いたその念がずっと残っていて、それが何かの拍子にその霊の姿となって見える場合の、いずれかです。」

ジョン君は、シルバーバーチに「ぼく自身が(シルバーバーチの解答が)その答えが解らなかったんですから・・・」と正直に答えている。真理の難しい話を11歳の少年が理解したかというと難しいでしょうね。

 

 

  • 魂の自由性(freedom)と魂の自在性(liberty) P83~82

この記述について、メンバーから話がもりあがったので詳しく記載します。近藤千雄先生の翻訳のすばらしさを感じます(*^▽^*)。

 

  • freedom(魂の自由性):外部からの束縛がない意味での自由性
  • liberty(魂の自在性):内部での囚われがないという意味での自在性

 

  •  参加者のコメントを再度ご紹介します~。(‘’)

 

現代社会は、周りと関わらなくても生きていけるテクノロジーがある。心の世界が広がっていかないのでは? ゲーマーで生計をたてる人は、多様化と言えるのか?自由意志とは、無限大の選択ができるが自由意志がなくなっていくのを感じる。心という意味で広がらないとコンピュータの向上でコンピュータの知性がfreedomになると人間が奴隷になるのでは?コンピュータに慈愛の精神を理解してもらわないと困る(映画「ターミネーター」のように・・・。) (US)

 

自由を操れない人間が多くなっているのでは? (ST)

 

  • 真理普及は厳粛な仕事 P84~85

シルバーバーチ:「ストレスと難問の尽きない時代にあっては、正しい知識を手にした者は真理の使節としての自覚をもたねばなりません。残念ながら、豊かな知識を手にし悲しみの中で大いなる慰めを得た人が、その本当の意義を取り損ねていることがあります。霊媒能力は神聖なものです。いい加減な気持で携わってはならない仕事なのです。ところが不幸にして大変といってよい霊媒が自分の能力を神聖なものと自覚せず、苦しむ者、弱き者、困窮せる者のために営利を度外視して我が身を犠牲にするというところまで行きません。」

 

  •  さて、ここで・・・参加者のコメントを再度ご紹介しますね~。

 

ヒーラーは、出来るだけお金を取らないことが大切です。また一人の時間を取り、霊性の書物シルバーバーチなど)を読む時間を持つ事が大切なんです。(US)

 

霊的に生きる次元が、大切なんじゃないでしょうか?そういう意味では、自分以外の他人とスピリチュアルな時間や智慧を共有できるこの読書会はなかなかないことだと思う。人と交わる幸せを感じます。

(ST)

 

どうやってストレスを解消するか?物理的なことでは、心や魂の問題は解決しない。霊的なものでしか解決しない。(US)

 

TV「あなたの知らない世界」で霊に対する怖いイメージがついた。現在、NHK「境界のRINNE」や「精霊の守り人」、洋画「ラブリーボーン」などTV番組や映画でも霊に対する正しい知識を駆使した番組がある。これは、いいイメージがつくのではないか? (ST)

 

霊の世界にも一人で囚われている世界とみんなで囚われている世界がある。(幽界・戦場)

日常で困っている人がいても、真実をやみくもに口にしてはダメです。 (SK)

 

出会いにまかせていいと思う。真実が相手に迷惑になることもある。時間をかけて理解することもある。自らの気づきが大切です。霊的な部分を認めて、正しい知識があればすべて説明がつきます。

 (US)

 

玉石混交のスピリチュアリストへの対応について。(IKが質問)

 

相槌をうつ程度でいいのでは?(SK)

 

まだまだ尽きない参加者のコメントですが・・・。本日は、これまで。(*^▽^*)

 

~ 次回 71回 心のサークルのご案内 ~

【と き】  2016717日(日)、14時~17時 

【ところ】 宮城県歯科医師会館2階(仙台市青葉区国分町1-5-1

      入り口は正面玄関ではなく裏口になります。

      窓口に医師会館の方が常駐していらっしゃいますので、わからない時は声をおかけください。

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(6)』の読書会:5章、談話

【持ち物】 上記書籍をご持参ください。

【参加費】 喜捨

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。

     日常を離れた空間で、ともに学びましょう!

新しく参加希望の方は、本ブログコメントにてご連絡頂けますと幸いです。お気軽にお尋ね下さい。なお、コメントを入れる際の認証はすべて半角で入力お願いします。

又、これまでのメンバーの皆様は、事前にお知らせしている、出欠係の柴田までメールにてお知らせください

 

第69回 心のサークル報告

【と き】 2016年5月15日(日)、14時~17時

【ところ】 仙台歯科医師会館 2F会議室 

【参加者】 進行:US、記録:SK

      IK、ST、SN、YY  以上6名

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(6)』の読書会:3章、談話

 

3章 自分の責任・他人の責任

まずは1時間ほどの談話

「意識」の力についての話題になりました。

 

例えば同じ重い病気を患っている人が二人います。

治療法がない病気だと悲観的になっているAさんと、病気は進行しないと楽観的なBさん。

Aさんは病気が予想通りに進行し、Bさんは何年も病気は進行せずに、いきいきとしている。そんな実際の話を教えてもらいました。

こういう話は、たぶん誰もが多少なりとも見たり聞いたりしていると思うのですが、偶然にすぎないとか、Bさんだけが特別なのだろうと片付けてしまわれがちです。

しかし、これこそ霊が主で、肉体が従。意識が病気をコントロールしている証拠なのじゃないだろうか、と思います。

「意識する」ことが、治癒を左右している事実。

スピリチュアリズムの法則と一致する証なのですから、自信をもって確信を深めるべきのようです。

 

「意識すること」はとても大事なことだとわかっているのに、なかなか自由に意識をこコントロールできない! と悩む私なのです。レポートしたばかりでこれだからいけません。出来ないと思うから出来ない。出来ると思えばよいのです! 

 

話は盛り上がりいつのまにか15時となりました。

瞑想と祈りを唱え13章を輪読。

 

13章は13ページ。たいへん短い章でしたが、輪読前の談話の内容とリンクしており、その内容は肝に銘じたくなるような、毎日読んで、体に沁み込ませたいと思った章でした。

 

◇背後霊や友人の霊に援助を要求するのはどの程度まで許されるのでしょうか?

 

全生命を創造し、宇宙のありとあらゆる活動を維持せしめている力があなた方にも宿っており、その無尽蔵の貯蔵庫から必要なものを引き出すことができるのです。--(中略)-- そのためには平静さが必要です。いかなる事態にあっても心を常に平静に保てるようになれば、その無尽蔵のエネルギーがわき出てきます。それは霊的なものですから、貴方が直面するいかなる困難、いかなる問題をも克服することができます。p55

 

平静さ。

そうです、目指すは平静さです。

 

◇あからさまにいえば、取越苦労性の人は霊的に未熟ということでしょうか

 

その通りです。心理を悟った人間はけっして取越苦労はしません。なぜなら人生には神の計画がいきわたっていることを知っているからです。

(中略)たとえ僅かでも心配の念を抱くという事は、まだ魂が本当の確信を持つに至っていないことを意味するからです。もし確信があれば心配の念は出てこないでしょう。偉大なる魂は泰然自若の態度で人生に臨みます。確信があるからです。その確信は何者によっても動揺することはありません。このことだけは絶対に譲歩するわけにはいきません。なぜなら、それが私たちの霊訓の土台であらねばならないからです。p57

 

なんと、それは土台でした。

土台を確信できないでいればぐらぐらするのは当たり前です。これまで何度も何度もシルバーバーチから教えられ続けてきていたのですが、いまだに土台を固められず。

そろそろ本当に心を入れ替えなければ! キッパリ☆

 

それにしてもなぜ、取越し苦労や心配をしてしまうのでしょうか?

悪い事の方が馴染みやすく身近だからだと思うのです。

心理学者によると、悪い結果を想定する人は、「悪い結果になる」と思ったほうが実は楽だからなのだそうです。

なんと!!

確かに「よい結果になる」と思い続けることは難しいのです。ふんばりが必要です。

「悪い結果になる」と思うことは本当に簡単です。いくらでも悪い想像はふくらんで加速するのですから。

楽観的になること、平静になること。それには心の筋力が必要だと思いました。

今日から心のトレーニングをすることにしました。

 

「今日から取越苦労をしない!」

そう誓います! 

誓う 誓えば 誓えない 誓う時 誓えるかな・・・誓え! 

 

 

 

他人の責任と自分の責任について。

 

責任は個々において背負うというのが摂理です。摂理のもとにおいては、あなたは他人の行為に責任を負うことはありません。p58

 

文明はかならずしも摂理に適ったものではありません。摂理は完全です。機能を中止することはありません。的確さを欠くこともありません。間違いをおかすこともありません。あなたには自分のすること、自分の言うこと、自分の考えることに責任があります。あなたの成長の指標が魂に刻まれているからです。したがって他人の魂のすることに責任を負うことはできません。それが摂理です。もしそうでなかったら公正が神の絶対性を欠くことになります。p58

 

 

この世はカオスだなぁといろんな摩擦に疲れはてたとき、このような文章を読むと、考え方を整理することができます。

そして自分の悪い種もちゃんと責任もって摘み取らなければと思います。

しかし、悪い種を嫌ってはいけません。悪い種を撒いた結果を知ることも大事な経験だと思います。

何事も無駄な事はありません。

すべてに感謝します。

 

それにしても、向上進化の道はまだまだ遠いなぁと思っていた時、テレビを見ていたら、こんな言葉が耳に入ってきました。

 

宮本武蔵五輪書の中から「鍛錬」についてです。

 

今日は昨日の我に勝ち

明日は下手に勝ち

後は上手に勝つと思い

千日の稽古を鍛とし

万日の稽古を錬とすべし

 

ほんの少しずつでもいいから進化すればよいのだと、答えが返ってきたような気がしました。

 

 

以上、69回の報告終わります。

いよいよ次回より持ち回りの報告となります

6月はIKさん

7月はSTさん

8月はSNさん 

の予定です

お楽しみに☆♪

 

*Uさんのコメント

 今回のテーマに関連して群馬マクロビオティックセンター所長の石田英湾氏(故人)から学んだ名言を述べさせていただきます。人生における成功への秘訣が示されています。継続は力なりと言いますが、何事も天を信じて恐れず、失敗してもけっして諦めず、繰り返し試みることです。ここにスピリチュアリズムが教える真理の一つが示されていると思われます。

 

繰り返し繰り返し繰り返し試みよ

これこそは汝の守るべき教訓なり

はじめに成功することなくも

繰り返し繰り返し繰り返し試みよ

されば勇気も湧き起こるべし

たゆまず屈せず止むことなくんば

遂に勝利を得べし

恐るるなかれ

繰り返し繰り返し繰り返し試みよ

(ヒックソン)

 

 登山家エドワード・ウィンパーは、世界で最初にマッターホルンの登山に成功した方ですが、この詩に励まされて、何度も失敗しては、挑戦したようです。是非復唱してみてください。

 

~ 次回 “第70回 心のサークル”のご案内 ~

【と き】  2016年6月19日(日)、14時~17時 

【ところ】 宮城県歯科医師会館2階(仙台市青葉区国分町1-5-1

      入り口は正面玄関ではなく裏口になります。

      窓口に医師会館の方が常駐していらっしゃいますので、わからない時は声をおかけください。

【内 容】 『シルバー・バーチの霊訓(6)』の読書会:4章、談話

【持ち物】 上記書籍をご持参ください。

【参加費】 喜捨

【参加者】 シルバー・バーチの霊訓に関心があり、向上進化を目指す方どなたでも。

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